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潮に閉じ込めたきみの後悔を拭いたい  作者: 葉方萌生
第一章 月の海

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終わった関係

「楽しかったよ。ごめん、さっきのは冗談。今も楽しいと思ってる。仕事は大変だけど、やっぱりファンの人たちに支えられて生かされてるのは格別っていうか。こういう人生を送れるなんて思ってもなかったからさ。ただちょっと、たまにはこういう自然の中ではーって息を吐くのもありだなって思っただけ」


 その答えを聞いて、なぜか私はほっとしていた。

 翔はやっぱり淡路島で燻っていていい人間ではない。

 大都会に出てチャンスを掴んでいく。私が恋をした男は、そういう大それたことを平然とやってのける男だ。


「翔はどれぐらいこっちに滞在するの? 仕事は大丈夫なの」


「うーん、今迷い中。ずっとこっちにいてもいいかな、なんて」


「そんなのダメでしょ。仕事があるでしょ」


「まあ、そうだけど。てか朝香、なんかちょっと冷たくない?」


「……そう? 普通だけど」


 冷たくしているつもりはなかった。でも、心のどこかで翔と昔みたいに、無邪気に接していいのか迷っているのは事実だ。曲がりなりにも私たちは別れた元恋人同士なんだし。むしろ、そんなことを微塵も感じさせない距離感で明るく話しかけてくる翔の方が不思議だった。


「久しぶりに会えるっていうのに、昨日も集まり来ないしさー。俺、嫌われてんのかと思ったよ」


「昨日はたまたま……仕事が長引いただけ」


 咄嗟に嘘をついた。翔は「ふーん」と納得したのかしてないのか分からない様子で頷く。


「仕事って、『香風堂』だよな。無事に跡継いだんだ?」


「ん、まだ継いではないよ。そのうちね。近い将来に継ぐことになるけど、具体的なことはまだ」


「そっか。でもすげえな。高校の時から思ってたけど親の言うことにしたがってちゃんと地に足つけて仕事してんの、尊敬する」


「……」


 翔にそんなふうに思われているなんて考えてもいなくて、どんな反応をすれば良いか分からなかった。黙り込んでしまった私を見て何か思ったのか、「そうだ、今度店の方に行くよ」と明るい声を上げる。


「お店なんか来ても翔が興味のあるもの、売ってないよ」


「えー俺、お香とか結構興味あるけどな。いい匂い嗅いでたら癒されるじゃん」


 意外な返答が返ってきて驚く。それが翔の本心なのかどうかはさておき、店に来るという翔を、私は不思議な生物でも見ているかのような心地にさせられていた。


 翔はどうして、私に関わろうとするのだろう。

 十年も経ったとはいえ、昔の恋人であることには変わりない。それに私たちは、決して円満に別れたわけではなかった。

 翔と別れた時の苦い思い出が蘇る。今でもトラウマになっている記憶は、本人を前にすると古傷がぱっと開いたように当時の生々しい感覚を運んでくる。

 あんな経験、人生で二度としたくない。

 そう思えるくらい、翔との別れが私の心に深い傷を刻みつけた。


「仕事してるとこ見られるの、緊張するからやめてほしい」 


 昔のことを思い出すうちに、翔に対してどんどん心が塞がっていくのを感じていた。さっき、一緒に天の川を見上げた時とは大違いだ。翔に会えたことは正直嬉しいが、これ以上、恋人だった時のように無邪気に仲良くすることはできそうになかった。


「そんなこと言うなよ。俺は、朝香のこと——」


「私たちはもう終わったんだよ。いくら時効だからって、昔みたいには戻れない。一度付き合って別れるっていうのは、そういうことだよ」


「……」


 今度は翔の方が黙り込む番だった。

 少し言いすぎたかもしれない。そう思ったけれど、後悔してももう遅い。自分の発言が間違ってるとは思わない。

 誰だってそうでしょ? 別れた元恋人と何もなかったみたいに関係を続けられるなんて、ありえない。もしあるとしたら、それは本気で恋をしていなかった証拠だ。


 私は、翔に対していつだって本気だった。

 本気で好きだったから、今もこうして素直になれないんだよ——……。


 頭上で瞬く星が、変わらずに私たちを見下ろしてる。月はどんどん上の方へと昇っていく。一際大きな潮騒が胸に差し迫るように響く。翔はその後、何も言葉を発しなかった。

 翔と出会った日のことが、映画のフィルムみたいにカタカタと音を立てて再生され始める。

 流れゆく潮風だけが、私たちの間をすり抜けていた。

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