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三毛猫みー子の話

とある三毛猫:みー子の(本猫にとっては)長い一日と、(本猫にとっては)大冒険のお話です。

猫好きさんはもちろん、そうでない人にも楽しんでいただけたら幸いです。

※初投稿でよくわかっておらず、「連載」になってしまっていました。正しくは「短編」です。変更できないらしく、申し訳ありません。。

 ここは、どこなんだっけ。

 おそるおそる起き上がり、三毛猫は周囲を確認する。

 知らない匂い、知らない感触のベッド。ふわふわと柔らかいけれど、落ち着かない。

 狭くはないけれど、いつもと違うケージの柵。かろうじて、毛布だけはいつもと同じものだとわかった。ちょっぴり、安心。

「なぁなぁ、新入り」

 ふいに話しかけられ、反射的に飛び上がる。

 声の主は、身体の小さい黒猫だった。まだ子猫だろう。ケージの柵越しに、興味深そうな黄色い二つの瞳がこちらを見つめる。

「しんいり……?」

「今日連れてこられたばっかだし、新入りだろ?だから、ボクのほうが先輩なんだ」

 黒猫は得意げに胸を張った。そのままチラリと視線を寄越す。何か言ってほしそうだ。

「そ、そうなんだね」

 正直なところ、混乱していて会話どころではなかった。

 そうだ、黒猫の言う通り、今朝ここに連れてこられた。

 てっきり病院に連れていかれると思ってキャリーの中で不貞腐れていたら、気づいた時にはこのケージに入っていたのだ。

 ここは、どこなんだっけ。

「ここはどこ?って顔ね。教えてあげましょうか」

 いつの間にか黒猫の隣にいた、ハチワレ猫が口を開く。

 よく見ると部屋には他にもたくさんの猫がいた。遠巻きにこちらを観察するもの、自身の毛繕いに勤しむもの、遊び疲れたのかオモチャを枕にして眠るもの…。

「ここはね、保護猫シェルターなの。身寄りのない猫が集まる場所よ」



 *** 黒猫:タンゴ ***


「ここはね、保護猫シェルターなの。身寄りのない猫が集まる場所よ」

 ハチワレ猫のナナ姉がそう言うと、三毛猫の目がまん丸になった。

 身寄りがないというのがどういうことか、タンゴにはよくわからないけれど、自分がそう呼ばれる境遇にあることだけはわかっている。

「ママ……」

 三毛猫が呟いた。それは消えそうな、小さな小さな声だったけれど、猫たちの耳にはしっかり届いた。

 ナナ姉の顔が曇る。遠巻きに観察している猫たちの何匹かも、同じように顔を曇らせた。

 生まれてすぐにここに来て、半年も生きていないタンゴには、よくわからないことがまだまだ沢山だ。

 ───ママって、なんだろう?

 タンゴは考える。

 人間に拾われてここに来る前は、外でひとりぼっちだった。

 生まれた時はきょうだいがいたような気もするけれど、よく覚えていない。

 覚えているのは、寒くて、お腹がすいて、寂しかったことだけ。

 タンゴはここに来て温かさを知った。名前もつけてもらった。雨に打たれず、カラスにも狙われない。とても安全だ。ご飯は毎日出てくるし、ナナ姉や他の猫も、人間も優しくしてくれる。

 タンゴにとってここは良い場所だ。

 でも───目の前の三毛猫は、沈痛な面持ちで項垂れている。

(この子はなんで、そんなに悲しいのかな)

 タンゴは考える。考えても考えても、やっぱりわからない気がした。

(あとでトラじぃに聞いてみようっと)

 くるり。三毛猫のケージに背を向けて、タンゴは歩き出す。

 右側に面白そうなオモチャを見つけた。左側からは気になる匂いもする。調査しなくては。

 タンゴは尻尾をピンと立て、足を速めたのだった。



 *** ハチワレ猫:ナナ ***


「ママ……」

 三毛猫の呟きに、ぎゅうっと心臓が潰される気持ちになった。

(この子、やっぱり……)


 彼女が今朝ここに連れてこられた時、ナナは一部始終を見ていた。

 本来は猫が入れない事務所に、こっそり忍び込んで探検していたからだ。

「本当に、本当にすみません……」

 三毛猫を連れてきた人間は、ボロボロと涙をこぼしていた。

 名残惜しそうに三毛猫の入ったキャリーをシェルターの人間に手渡すと、泣きながら足早に去っていったのだった。


 あの人間が、三毛猫のママなのだろうか。それとも別の誰かなのか。

 三毛猫を改めて観察する。

 体型は太りすぎず痩せすぎずふっくらしている。毛艶も良い。清潔な匂いがする。首輪も綺麗で良く似合っている───気がする。ナナがこれまで見てきた経験上、典型的な、愛されてきた飼い猫だ。

 しかし保護猫シェルターに連れてこられた。持ち込まれたと言うべきか。

 そうなると、やはりこの三毛猫は───。

「なんだ、お前も捨てられたのか?」

 突然、背後から投げかけられた言葉にドキリとする。

 灰色長毛猫のソルトだ。遠巻きに見ていたうちの一匹だったが、興味が勝って近づいて来たらしい。ビビリのくせに弱いものに対してはいじめっ子気質な彼が、ナナは少し苦手だった。

(やめて。やめてよ。今それを言わないで)


 ナナを含め、それなりに知恵と知識のある成猫は皆知っている。

 このシェルターが主に保護しているのは、捨て猫だ。飼い主が亡くなったり、入院してしまった猫も含まれる。

 タンゴは野良猫である母猫が車にひかれ、シェルターの近所でひとり彷徨っていたところをたまたま保護されたのだと、トラじぃから聞いた。

 そのような例外を除き九割方、何らかの理由で人間と暮らせなくなった猫たちがここに集められているのだ。


 直視できない、と思った。

 もうママに会えないと悟って絶望する三毛猫の表情が、容易に浮かぶ。また、心臓がぎゅうっとなった。

(同じだもの。おばあちゃんが施設に行っちゃった、あの日のわたしと)

 優しくて温かい、しわくちゃの手が無性に恋しくなった。

 今夜はお気に入りのぬいぐるみを抱き締めて眠ろう。ナナはそう心に誓ったのだった。



 *** 灰色長毛猫:ソルト ***


「なんだ、お前も捨てられたのか?」

 そう声を掛けると、新入りらしい三毛猫は意外な反応を見せた。

「ママが、あたしを捨てるわけない!」

 叫びにも近い反論の声は、部屋中に響き渡ったように思えた。

 辛そうに顔を背けていたナナが、驚いて三毛猫に向き直る。遠巻きに観察していた猫たちも、目をまるくして一層注目しているようだった。

 三毛猫は四肢を踏ん張って、キッと強い目つきでソルトを見据える。なんだ、つまらない。もっと落ち込むと思ったのに。

 それにしても、「捨てるわけない」とは。ここに来た当時の自分を思い出し、ソルトは自嘲気味に笑った。

「俺もそう思っていたさ。子猫の頃はな」


 愛されて生きていくのだと思っていた。

 当たり前の幸せをずっと享受できるのだと、信じて疑わなかった。

 ソルトにとってはかけがえのない家族だった。

 大好きだった。大好きだったんだ。


「でも、ざーんねん。人間は飽きたら捨てる。簡単にポイだ。そういう酷いやつらなんだよ」

 ちらり。三毛猫を横目で見る。緑がかった大きな瞳と視線がかち合った。

 ───なんで。

 ソルトは苛立ちを覚えていた。

 なんで、この三毛猫は絶望しないんだ、と。

 絶望すればいい。人間なんて碌なものじゃないと学習して、嫌いになればいい。

 だって、そうじゃないと───。

「ママは、あたしを捨てたりしない。ママもパパも、ずっとずっと一緒にいるって約束したんだから!」

 三毛猫の瞳には、光があった。愛し愛されてきたものの証。信頼の光。

 ソルトの苛立ちは増すばかりだった。

「ふん、そうかよ」

 苛立ちが収まらないので、目の前にあった尻尾を軽く叩いた。尻尾の主───ナナが抗議の視線を向ける。

 隣の部屋から、シェルターの人間がソルトを呼ぶ声が聞こえた。ご飯にはまだ早いから、おやつだろうか。

 歩きながらも、ソルトの心にはモヤモヤしたものが溜まって晴れない。

 なんで、そんなことを言うのだろう。希望を持つのだろう。人間を信じるのだろう。

 嫌いにならないと、きっとまた傷つくだけなのに。

 でも、もしかして───もしかしたら。

(そうじゃない人間も、いるのかな)


「あ、来た来た。ねぇ、ソルト」

 シェルターの人間が話しかけてくる。なんだ、おやつではないらしい。

「ソルトと一緒に暮らしたいって人が来たのよ。家族に、なれるかもしれないよ」

 ソルトは自分の耳を疑った。

 それから───少し嬉しいと思ってしまった、自分の心も。



 *** 三毛猫:みー子 ***


「ママは、あたしを捨てたりしない。ママもパパも、ずっとずっと一緒にいるって約束したんだから!」

 思わず大声で叫んでしまった。

 周囲の視線を一身に浴びて我に返ったみー子は、自らの前足をペロペロと舐め、落ち着きを取り戻す。

 灰色長毛猫が去ったあと、いつの間にかハチワレ猫も姿を消していた。最初に話しかけてきた黒猫も遠くで遊んでいるのが見えるし、遠巻きに観察中の猫たちも、すぐに近づいてくる気配は無さそうだ。

(ママもパパも、あたしを捨てたりなんかしない。絶対にしない)

 毛布に身体をあずけると、いつもの匂いがした。

 みー子自身の匂い、家の匂い。


 ───大好きよ、みー子。ずっと一緒にいようね。


 ママの優しい声。パパの大きな手。

 会いたい。寂しい。どうして今、ここにいてくれないんだろう。

 どうして、家に帰れないのだろう。

 帰りたい。いつもの家で、ママとパパの間に寝っ転がって、可愛がってもらいたい。

 ママに甘えんぼしたい。パパに遊んでほしい。


 ずっと一緒に、いてほしい。


 知らない人間がケージを開けてご飯を置いていった。あれがハチワレ猫の言っていたシェルターの人間、というやつだろうか。いつも食べているご飯と匂いが似ている気もしたけれど、みー子は食べる気になれなかった。

 ぼんやりとしている間に時間は過ぎていき、気づけば部屋から人間の気配が消えていた。

 猫たちもそれぞれ、寝床に引き上げたようだ。ケージから見える部屋の中心部には、誰もいない。オモチャも片づけられていて、みー子にはひどく殺風景に見えた。

 みー子のトンネルやオモチャで、いつも少し散らかっている家が恋しくなった。

(ママと寝んね、したかったな)

 夜眠る前はいつも、オモチャと格闘して、パパの足とも格闘して、それからママの布団に入るのに。

 どれもできない日が来るなんて、考えたこともなかった。


 寒いわけではなかったけれど、毛布の上でしっかりと身体を丸めた。

 どうか、これが悪い夢であるようにと願いながら。



 *** 茶トラ猫:虎次郎 ***


「ママ……パパ……」

 右隣のケージから、か細い寝言が聞こえてくる。

 今朝連れられてきた、あの三毛猫だ。随分緊張していたようだが、ようやく眠れたようだった。虎次郎は少し安堵した。

 いきなり知らない場所に連れてこられたのだから、泣き叫んで暴れてもおかしくはないくらいだが、彼女はそうはしなかった。大人しいタイプなのかもと思っていたが、ソルトに言い返していたところを見るとそうでもなさそうだ。

 怖くて寂しくて、不安で辛いのだろう。虎次郎にも気持ちは痛いほどわかる。

「ねぇねぇ、トラじぃ」

 左隣のケージから、小声で話しかけてくる子猫がいた。先月保護されたばかりのタンゴである。

「なんじゃ。わしはもう眠いから、手短にな」

「てみじか?ってなに?」

「いいから、はよ言わんか。なんか聞きたいことがあるんじゃろ」

 虎次郎が眠たいのは嘘ではなかったが、どちらかというと、せっかく眠れたばかりの三毛猫が起きてしまわないか心配だった。

 疲れているだろうし、目が覚めればまた現実に直面して辛くなるだろう。少しでも長く寝かせてやりたい。

「あのね、あのね、ママってなぁに?」

 黄色い瞳を爛々と輝かせながらタンゴが尋ねる。

 柵にめり込みそうな勢いで身を乗り出して来るので、柵越しに髭の感触を感じ、虎次郎は少しだけ柵から身を離した。

「ママか。……なんでそれが知りたいんじゃ」

「んー、なんか良いものなのかなって思ったんだ」

 三毛猫の影響なのは間違いない、と確信し右隣を見やる。

(せめて、明日聞いてくれればのう……)

 丸まって眠る三毛猫の表情は、穏やかとは言えなかった。少なくとも、良い夢の中にいそうには見えない。虎次郎は内心ため息をついた。

 そんな反応はおかまいなしなのが子猫という生き物である。

「トラじぃは何でも知ってるんでしょ。ナナ姉が言ってたよ」

「さすがに何でもは知らんわい。まぁ……ママは、お前さんの言う通り良いものじゃ」

「わぁ、やっぱり良いものなんだね!」

「物じゃなく、生き物じゃがな。愛を注いで、大切にお世話してくれるもののことじゃよ」

 パアッと顔を輝かせるタンゴが、次に何を聞いてくるか虎次郎には予想がついていた。

 生物学的な話をしてもピンとこないであろうこの子猫に、短時間で伝える手段としては間違っていないはずだ。

「ボクにもママ、できるかな!?」

 あまりにも無邪気なタンゴのようすに、虎次郎は目を細めた。

「ああ、毎日良い子にしていたら、いつか来てくれるじゃろう。だから今日はもう寝なさい」

「うん!おやすみ、トラじぃ」

 数秒で寝息を立て始めたタンゴを見つめ、虎次郎は自分の言葉を反芻する。


 ───愛を注いで、大切にお世話してくれるもののことじゃよ。


 かつて、虎次郎にもそんな人がいた。

 虎次郎の場合は「ママ」ではなかったけれど。

(父ちゃん。会いたいなぁ)

 大事にしてもらった。

 父ちゃんが仕事から帰ってくるのが、毎日待ち遠しかった。

 悪戯をして怒られた日もあったし、父ちゃんが酒くさい日もあったけれど。

 楽しい日々だった。

 何もせずただ膝に乗っているだけで、この上なく幸せだった。

 

 玄関で倒れた父ちゃんが、何も言わず冷たくなっていったあの日までは。


 そういえば、と。

 もう一度三毛猫を見る。

 事務所に忍び込んでいたナナによれば、連れてきた女性は黒い服を着ているように見えたとか。猫の視覚が当てになるかどうかはさておき、虎次郎の中では思い当たるものがあった。

(父ちゃんの、葬式の時……)

 家に集まった人間が皆、黒い服を着ていたのを虎次郎はよく覚えている。

 それに皆が、泣いていたことも。

 人間は、悲しい時に涙を流す生き物だ。


 眠たい脳で考えるにはこの辺りが限界だった。

 部屋をゆっくりと見渡す。皆ケージの中で大人しくしているようだ。

 正しくは一部の脱走常習犯を除いては、だが、あれは趣味みたいなものだ。放っておくに限る。

 毎日これくらい静かなら良いのじゃが、と老描は微睡みに沈んでいくのだった。



 *** 三毛猫:みー子 ***


「それでは土曜日からトライアル開始ということで。ご自宅にお伺いしますので。よろしくお願いします」

「ありがとうございます!ソルトくん、また土曜日にね」

 シェルターの人間と、知らない人間が遠くで何やら話している声で目が覚めた。

 疲れていたのか、思ったよりも眠ってしまったらしい。

(今日も、ここで過ごすのかな)

 憂鬱な気分でケージの外に目をやると、何やら人だかりならぬ、猫だかりができている。中心にいるのは、昨日突っかかってきた灰色長毛猫のようだった。

「ソルトくん、ママができるって本当!?」

 そう無邪気に訪ねているのは、昨日話しかけてきた黒い子猫だ。

 ママ、という単語でみー子の寂しさが増幅する。

「ま、まだわかんねーよ。まぁでも、俺と一緒に暮らしたいって言うなら、行ってみてもいいかなって」

 灰色長毛猫はそっけない口調で答えながらも、言葉の端々に嬉しさを滲ませる。

 そりゃそうだよね、とみー子は思った。

 ママがいて、嬉しくないわけない。

 朝起きたらいつも、ママに撫でてもらって、ご飯もらって、お寝坊なパパを起こして、ママに褒めてもらって、パパにすりすりして、それから───。

 毛布をぎゅっと抱き締める。みー子自身の匂いは変わらないのに、他の匂いは薄れている気がした。

(嫌だ。嫌だよぉ)

 家に帰りたい。ママとパパに会いたい。

 大好きよ、かわいいね、いい子だね、って。いつもみたいに撫でてもらいたい。


 どのくらい、そうしていただろう。

 聞き覚えのある足音に、みー子は両の耳をピンと立てた。

 遠くの遠くから、だんだん近づいてくる。

 シェルターの人間が遠くのドアを開ける音。誰かを迎える気配。

「まぁ、随分と早かったのね。大丈夫なの?」

「はい、どうやら父の報告が大げさだったみたいで」

「っていうか髪ビショビショじゃない!雨そんなに降ってるのね。ちょっと待ってて、タオルタオル……」

 みー子は立ち上がった。

 勘違いかもしれない。みー子の願望がそう聞こえさせているだけかもしれない。

 それでも。確かめたい。今すぐ。

「ねぇ、そこの白猫さん。昨日、自分でケージのドア開けてたでしょ。あれ、どうやるの?」

 勇気を出してみー子が話しかけると、お目当ての白猫は気だるそうに近づいてきた。

「ッチ、見られてたか。アタイの得意技なんだけど、バレたら色々めんどいからさ。他の猫たちには内緒にしてよね」



 *** 白猫:しらたま ***


「ほら、開いたよ」

 成功を知らせると、三毛猫は緊張を全身に漲らせた。

 慎重に歩を進め、ゆっくりとケージドアの隙間から滑り出る。

 そして───しらたまの至近距離で、三毛猫は固まってしまった。

「どした、なんか目的あるからアタイに頼んだんじゃないの」

「う、うん……そう、なんだけど……」

 まぁ、無理もないか。と、しらたまは思う。

 昨日来たばかりの場所で、自ら安全圏から抜け出したのだ。身を守るものは何もない。ましてや、守ってくれる人間も。

「やめとく?戻るなら、鍵ごまかしとくけど」

 しらたまがケージを顎で示すと、三毛猫はブルブルと頭を横に振った。

「開けてくれてありがとう、行ってくる」

「おー、がんばれ」

 姿勢を低くして、尻尾を下げて、三毛猫は歩いていく。

 しらたまは決して面倒見の良い猫ではない。だが、なぜか三毛猫は少し気がかりだった。

(んー、なんか気になるし面白そうだし。アタイも行ってみるか)



 *** ハチワレ猫:ナナ ***


 どういう状況だろう、とナナは首をひねった。

 昨日来たばかりの三毛猫が、もうケージから出ている。あり得ないわけではないが、珍しいとは言えた。新入りは数日間ケージの中で過ごして、この場所に慣れるところから始めるのが慣例だ。

 さらに不可解なのが、しらたまの行動だった。

 普段は一匹狼のしらたまが、三毛猫の後をつけるように歩きながら、周囲の野次馬ならぬ野次猫たちを視線でけん制している。

 しらたまは喧嘩が強い。このシェルターでは負け知らずと言っても過言ではないので、彼女に守られている三毛猫に、わざわざ手を出したり絡みに行く怖いもの知らずはまずいないだろう。

 なお、当の三毛猫はいっぱいいっぱいで、しらたまのおかげで道が開けていることには気づいていないようすだった。

「ほぉ、しらたまを味方につけたか。やるのう、三毛のお嬢さん」

 隣で見ていたトラじぃが微笑む。

 なんとなく、ナナ自身も関わりたい衝動にかられた。

「事務所に忍び込むなら良いルートがあるの。わたしもご一緒していいかしら、三毛猫さん」



 *** 三毛猫:みー子 ***


 よく考えたら変な状況だ、とみー子は前後を交互に見る。

 前には、ナナと呼ばれていたハチワレ猫。後ろには、いつの間にかついてきていた鍵開けが得意な白猫。ナナがしらたま、と呼んでいたっけ。

「この柵、猫が通れないようにつけられてるのだけど、コツがあるのよ」

 ナナが嬉々として話し出す。お嬢様風の上品な彼女だが、わりと悪戯っ子のようだ。

 コツとやらを聞く前に、するりと通り抜けて見せたのはしらたまだった。

「この端っこ、ちょっと押せば動くね。建付け悪いってやつ」

「もう、今から説明するところだったのに。でもあなた、センス良いわね」

 しらたまの言う通り、木製の柵の端をグイっと押してみると、ほんの少し隙間が広がった。細身の猫なら頑張れば通れる、という程度の隙間だが、みー子たちには十分だ。

 柵を抜けた先で棚の陰に隠れると、人間たちの会話が聞こえてきた。

「本当すみません、急に無理なお願いしてしまって。まさか夫の出張中に、親戚の葬儀と母の入院が重なるなんて」

「あなたのご両親は私の恩人だもの。これくらいなんてことないわ。ところで、弾丸移動で疲れてない?少しゆっくりしていく?何もない事務所だけど、お茶くらい出すわよ」

「ありがとうございます。でも、どうしてもあの子に早く会いたくて」

 勘違いかもしれない。みー子の願望がそう聞こえさせているだけかもしれない。

 それでもやっぱり、ママの声にそっくりだ。

「ママ!!」

 たまらず、陰から飛び出した。みー子につられたナナと、「わぁ、ちょっとちょっと」とか言いながらしらたまも出てくる。

 あはは、とシェルターの人間の笑い声。

「あらまぁ、みー子ちゃんママのお出迎え?ナナもしらたまも、(さん)ニャンで女子会かしら」

 さては犯猫(はんにん)はナナね、と付け加えながら、シェルターの人間はナナとしらたまを両腕で抱き上げた。

 みー子の目の前には、大好きなママだけ。

「おまたせ、みー子。寂しい思いさせてごめんね」

 そうだよ。寂しかったよ。頑張って大冒険もしたんだよ。

 ママとパパに話したいことが、たくさんたくさんあるよ。

「一緒にお家、帰ろう。パパもみー子が心配だから、早めに切り上げて帰ってくるんだって」

 ふわり、抱き抱えられる。少し雨の匂いと、いつものママの匂い。

 抱っこはあまり好きじゃないけれど、今日だけは許してあげなくもない。

 そう思いながら、みー子は安心して目を閉じたのだった。


 ───もう大丈夫だから。ママとパパとずっと一緒にいようね、みー子。




                 三毛猫みー子の話  <終>

我が家には保護猫団体からお迎えした三毛猫がおりまして、娘として大事に大事に、愛情かけて育てています。

名前はみー子ではないですが、ところどころモデルにした部分はあります。

どうかすべての保護猫ちゃんたちが、安心して一生涯過ごせる素敵なご家庭に恵まれますように。


なお、今後投稿するものはファンタジー中心になると思いますが、

こういう童話風味なものもたまには書くかもしれません。

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