ep5 絆創膏と花火
すっかり成瀬に振られてしまった百崎は、茫然とベンチに座っていた。
こんなに苦労して着てきた浴衣も、時間をかけたヘアスタイルも台無しだ。
それなりのシチュエーションがあれば、成瀬の心も動かしてくれると思っていた。
もう少し時間をかけて落としたかったが、なぜだか結城という異質な存在が出て来てしまい、百崎には焦る気持ちが出てきてしまったのだ。
だから、こんな安直な手で成瀬に接近しようと考えてしまった。
それがそもそもの間違いだった。
成瀬の親友と豪語している浜内の気を引いて、その中で仲良くなれば、成瀬も自分に靡いてくれると思った。
百崎には成瀬を取り巻く女子より、自分の方がよっぽどいい女だと自負していた。
今まで男にアプローチをして失敗したことはなく、大半の男はすぐに百崎を好きになってくれたのだ。
浜内をちょろい男と侮らないで、恋を成就するために他人を使おうとしなければ、こんな結末になるなんてことはなかったはずだ。
そんなことを考えている間に、人ごみの中から走って百崎の前に浜内が現れた。
手にはコンビニの小さな袋がぶら下がっている。
「ごめん、遅くなった……」
彼は息を切らし、額には大量の汗がにじんでいた。
この人ゴミだ。
ここまで来るだけでも苦労をしただろう。
浜内は箱から絆創膏を取り出して、百崎の靴ずれした部分に丁寧に貼っていった。
百崎はただ、されるがまま見つめている。
「たぶん、これで大丈夫」
彼はそう言って履きやすい場所に草履をおいてくれた。
百崎が草履を履き、立ち上がった瞬間、頭上に花火が上がった。
浜内も百崎もその花火へ目をやる。
花火は大きく花開いていた。
「花火、上がっちゃったね。成瀬も葵ちゃんもいないみたいだし、俺たちもここで解散しようか」
浜内はそう言って笑った。
ここで解散なんて、花火は今始まったばかりだ。
百崎に一人で花火を鑑賞しろというのか。
それはここで花火を二人で見る以上に滑稽だ。
「ちょっと、待って。浜内先輩!」
百崎は浜内を呼び止めたが、もう足を止めてくれることはなかった。
惨めだ。
今から盛り上がる花火大会で、好きな人に振られ、それを慰めてくれる人にも見捨てられ、ここで花火を一人で見るなんて。
百崎はそのまま力が抜けたようにベンチに座った。
彼女の耳にはただ、花火の上がる大きな音だけが響いていた。
そんな時、誰かが百崎の名前を呼んだ。
それは、先ほど出くわしたクラスメイトの3人だった。
「萌咲、大丈夫? 成瀬先輩は?」
百崎は首を横に振った。
すると、隣に一人座ってきて、優しく彼女の背中を撫でる。
「そっかぁ、うまくいかなかったのか……」
皆、百崎が成瀬と上手くいかなかったことを理解した。
そして、今度は口々に浜内の悪口を言い出した。
「けど、あの男、誰だっけ? 浜内? あいつ最低だよね」
「そうだよ。自分で花火大会誘っておきながら、最後には私たちに投げるんだもん」
「そうそう。大体、あんたがいるんだから、もっと成瀬先輩との仲取り持てよって感じだよね」
口々に出る彼女たちの言葉。
百崎は慌てて、三人の言葉を止める。
「私がここにいるって、誰に聞いたの?」
するとクラスメイトの一人が首をかしげて答えた。
「あの浜内って人だよ。なんか、萌咲が一人になっちゃうから、一緒に花火見てやれって。ほんと、自分勝手だよね」
浜内は百崎を一人にして帰ったわけではなかった。
人ごみの奥に彼女たちがいることを知ったうえで、百崎から離れたのだ。
そして、帰り際に彼女たちに百崎が一人でいることを伝えた。
そうすれば、彼女たちが同情して百崎に会いに来るとわかっていたからだ。
浜内は百崎を孤独に、そして惨めにしないために最後まで考えてくれていた。
そして、初めて理解したのだ。
自分は浜内にまでフラれてしまったことを。
そう思うと涙が止まらなかった。
周りの女子たちが必死で百崎を慰めようとしていたが、彼女の悲しみは止まらなかった。
百崎の目の前には浜内の貼ってくれた絆創膏だけが残されていた。
成瀬は結城に手を引かれながら、小さな丘に登っていた。
夜空にはいくつもの花火が上がっている。
大きな音が響いて、その度に遠くで花火が輝いていた。
丘に登りきると、そこは花火が良く見渡せる場所だった。
丘の下を見てみると、たくさんの花火鑑賞者たちが集まっているのが見えた。
「ここはとっておきの場所なんだ」
結城は何度か来たことがあるのか、そう言った。
丘に登ってきている人はほんの数組だけだ。
ここなら人ごみを気にせずに見ることが出来た。
成瀬と結城の手はまだ繋がれたままだった。
結城の手も百崎と変わらないぐらい小さくて柔らかい。
けど、あの時よりもずっとドキドキした。
この大きな鼓動は花火の鳴り響く音のせいなのか、それとも結城と繋がれた手のせいなのかわからない。
ただ、成瀬は目の前に輝く花火より、その光に照らされる結城の横顔から目が離せなかった。
花火なんて興味のなさそうな結城だが、実際は楽しんでいるようだ。
大きく開く花火に目を輝かせていた。
「成瀬、今、すごい大きなの上がったぞ!」
結城が珍しく浮かれた様子で成瀬に話しかけた。
その時、初めて成瀬が花火ではなく、自分の事を見ていることに気が付いた。
そして、繋ぎっぱなしの手にも気が付いて、慌てて手を離す。
結城はつい、夢中でいろんなことを忘れていたのだ。
さすがにこれには恥ずかしくなったのか、結城の顔は赤くなっている。
それが成瀬には愛らしく見えた。
「結城さん」
成瀬はそんな結城の名前を呼ぶ。
結城はゆっくり顔を上げた。
「これが恋愛感情なのかまだわからないけど、これだけはわかる……」
彼はそう言って、真っすぐ結城の顔を見た。
真横では何発も花火が上がっていた。
「俺は君にどうしようもなく惹かれているみたいだ……」
結城の耳には同時に花火の音が響いていた。
どんとつきあがる音とバーンと弾ける音。
そして、最後散っていくパラパラという音。
その音と一緒に、結城の耳には何度も成瀬の言葉が響いた。
その言葉に、結城はどう反応していいものなのかわからなかった。
ただ、花火の輝く夜空の下で、成瀬と見つめ合っていた。