領主との面談
「そなたがクラウディア・インスブルックか?」
ユリウスの問いに、
「はい」と蚊の鳴くような返事が返ってきた。
それっきり、クラウディアはうつむいたまま顔を上げようとしない。
「もう少し近くによれ」
「はい」
クラウディアは恐る恐る部屋の中央まで進み出た。
「顔を上げろ。インスブルック家ではそのように作法を習ったのか?」
「申し訳ありません」
「誰が謝れと言った?」
「申し訳ありません」
恐ろしく冷たく響く領主の声は、クラウディアを打ちのめした。
最後にゾフィーが言った不吉な予言が的中したのがわかった。
「お前は知らないだろうけど、ユリウス・グラーツ公爵というのは、溶けない氷像と言われるほど冷酷な領主として有名なんだから。そりゃあ容赦無くこき使われることでしょうよ。ここでの暮らしが天国だと思えるくらいにね。私たちがどれほど優しかったか、思い出して泣くといいわ」
ユリウスが気分を害していることが、その口調から、声から、伝わってくる。
主人というのは、使用人にあたり散らすものだ。気がおさまるか、何か違うことに興味が移るまで、頭を下げ続けるしかない。
余計なことは言わないこと。絶対に言い返したりしないこと。それが、嵐が早く去る秘訣。
クラウディアがこの二年間で学んだ数少ないことだ。
「私は何か間違ったことを言っているか? 何か理不尽なことを言っているか?」
「申し訳ありません」
「他に言うことはないのか? その言葉以外に知らないのか!」
「申し訳ありません」
他の言葉なんか言ってはいけない。言ったらどうなるか、嫌と言うほど知っている。この身に叩き込まれている。痛い思いはしたくない。
「謝るなと言ったのだ」
「申し訳ありません」
「こ、この――。よい。わかった。はあ」
ユリウスの言葉が途切れた。
嵐が去った気配を察して、クラウディアがチラリと目線をあげると、冷徹な領主は彼女に背を向けて窓の外を見ていた。
盗み見したことがバレないように、クラウディアは急いで視線を落とす。
言葉の足りないユリウスに代わって、アントンがクラウディアに声をかけた。
「いつまで頭を下げているのですか。真っ直ぐ前を向いて立ってください」
「はい」
命令されたのでクラウディアは頭を上げたが、その瞳に生気はなかった。
本当に体力だけでなく気力もないようだと、アントンは口に出しそうになった。
「ユリウス様。まだ本題に入られていませんよね?」
アントンに促されるまでもない。
ユリウスはくるっと向き直ると、クラウディアを見据えて静かに問うた。
「私の質問に答えるのだ。『申し訳ありません』以外の言葉でな。わかったら、『はい』と返事しろ」
「……はい」
(これでは、まるで私が恫喝しているようではないか。気に入らない)
「そなた。此度の判決をどう思う? どう受け止めている? なぜ有罪と認定され、爵位剥奪の上、追放されたか理解しているのか?」
「はい」
「『はい』とはなんだ。罪を犯したと認めるのか? 当然の報いだと?」
「……」
「どっちなんだ!」
「……」
声を荒げるユリウスは珍しい。
ユリウスは、気が高ぶるのを必死に抑えている。片やクラウディアは、感情がまるで乱れない。そもそも感情というものなど、はなっから持ち合わせていないみたいだ。
アントンは感情の起伏がまるで釣り合っていない双方を、興味深く観察していた。
「公明正大を尊ばれた先王は、強権による弾圧を防ぐため、不服申し立ての制度を作られた。そなたは申し立てを行い、再審を希望するか?」
「……いいえ」
「申し立てをしないと?」
「何も――変わらないと思います。判決が覆るとは思いません」
「それはつまり――有罪だと認めるということか?」
「……」
「なんとか言ったらどうなんだ」
ユリウスの強い口調に、クラウディアがビクッと体を震わせた。
「この私が暴力を振るうとでも? ふん。馬鹿げた噂を間に受けているようだな。無礼者めっ」
「申し訳ありません」
「アントン!」
クラウディアの怯える姿がユリウスを傷つけているなど、彼女には想像すらできない。
アントンは想定外の流れに、「はあ」とため息をついて、クラウディアに言った。
「部屋に戻っていなさい。今後のことはネリーに伝えるので、彼女の指示に従うように。よろしいですね」
アントンが務めて穏やかにそう言うと、クラウディアは「はい」と返事をして部屋を出ていった。
ドアが閉まる音がして、ユリウスは口を開いた。
「あれはなんだ?」
「うーん。なんでしょう?」
「は?」
「あっはっはっ。まあまあ。そうムキになられなくても」
「この私がムキになるだと?」
本当に珍しくユリウスが感情を見せている。
「お気に召さなかったようですね」
「当たり前だ。まるで私が無理難題を言っていじめているような気分にさせられた。不愉快極まりない」
「ふふふ。確かにそうでしたね」
「モーリッツ・インスブルックは不正とは無縁の御仁だと伺っていた。その娘がまさかあのような者とは」
アントンは、今朝届いたばかりの報告内容をユリウスに伝えた。王宮から早馬が届いてすぐに、情報収集に動いていたのだ。
「クラウディア・インスブルック。十三歳にして大人並に数字を扱う天才と言われていた娘です。その年ですでに父親の交易業務を補佐していたとかいないとか。相当に利発な娘だったことは間違いないと思います」
「それは本当か? ただの噂ではないのか?」
「おや? ご自分が噂されることは気に入らないのに、他人に関してはそのようなことをおっしゃるのですね」
「……」
「おそらく、父親を亡くしてからの二年間に何かがあったのでしょうね」
「……」
「ヨハンを王都へやりましたので、おいおい知らせが届くはずです」
「そうか」
ユリウスは何かを思案しているようで、アントンとの会話が上の空だ。
「ご心配ごとでも?」
「いや。ただあの状態で働けるものなのか?」
「おや? ネリーと同じことをおっしゃるのですね」
「誰が見てもそう思うだろう。お前は違うのか?」
「まさか。私もそのように進言しようと思っていたところです」
「お前というやつは――」
「おちょくってやがるな」とは、悔しくて口にできないユリウスだった。