エピローグ
最終話です。
シュテファン邸で祝杯をあげた翌日、ユリウスは王宮に呼ばれていた。
国王の執務室には、ハイマンとフランツ、そしてユリウスの三人しかいない。
完全に人払いをした上での会談だ。
「フランツよ。そなたは厳しい判決を躊躇なく下せることが国王の資質だと思っているようだが、考え違いも甚だしい。判決に間違いがあってはならぬのだ。そのために、証拠をよくよく吟味しなければならない。証拠をな」
フランツは憮然とした表情で聞いている。
「国王の下す判決は大きな影響を及ぼすのだ。人ひとりの人生を左右する。情状酌量の余地を考えることはあっても、感情に任せての厳罰化など、あってはならない」
ハイマンに静かに諭されて、フランツはようやく自分の非を認めた。
「今回の件につきましては、確かに証拠を出すまでもないと決めつけてしまいました。反省しています」
「もっと早くわかっていればな。だが遅すぎる。まだまだそなたは、法の精神をわかっておらぬ。此度は、無実の者を罰し、不正を行っている輩をみすみす逃したばかりか増長させてしまった。この罪は重い。そなたもまた罪を償うのだ」
そう言うと、ハイマンはゆっくりとユリウスに視線を移した。
「このユリウスを、王位継承権の一位に据えようと思う。そもそもユリウスの父、カイザー国王が真の王位継承者だったのだからな。第一王子だったユリウスが王位を継承することは当然だ。私は、病弱なカイザー兄上から、玉座を一時的に預かっていただけのこと」
ハイマンの決意を聞いたフランツは、ガタッと膝から崩れた。涙ながらに震える声でハイマンに訴える。
「……そんな。それでは私はどうなるのです? ずっと父上の後を継ぐものだとばかり思っていました。私は確かに間違いを犯しましたが、これまでの努力はどうなるのです?」
――これまでの努力はどうなるのです?
フランツの言葉は、かつてユリウスが父親に放った言葉だった。
健康上の理由で弟のハイマンに譲位すると聞かされた日。父親にくってかかったユリウスも、同じ言葉で父親を傷つけた。
目の前のフランツが、幼き日の自分と重なって見える。
ユリウスは今でこそ、少しはマシな人間に成長したと自負しているが、あのまま拗ねて王宮にいたらどうなっていたことか。
フランツも、経験が彼を変える可能性がある。
「陛下。恐れながら申し上げます。私は、これから交易事業をクラウディアと二人で立て直さねばなりません。それがこの国のためになることだと思っています。王位継承権は放棄させてください」
「なんだと?」
「え?」
ハイマンとフランツが、同時に驚いた表情でユリウスを見た。
「陛下。父上と同じ我が儘をお許しください。どうか、グラーツ領から陛下をお支えするお許しを……」
ハイマンが逡巡したのは、ほんの一瞬だけだった。
「……ふ。そうか。わかった。好きにせよ。この話はしばらく保留とする。このフランツが一人前になるまでな」
「殿下もこれからたくさんの経験を積まれれば、陛下の望まれる王太子へと成長されることでしょう」
「そうあってもらわねば困る。……ふむ。それでは、しばらく預かってはくれぬか? そなたの下で――」
「謹んでお断りいたします。王都にも適任者がいるはずです。どうか交易事業に専念させていただきたく」
ハイマンは、「はあ」と、これみよがしにため息をついてみせた。
「よく似ておるな。私に有無を言わせぬところが兄上とそっくりだ。わかった。まあグラーツ領にやったくらいでは罪を償うことにはならぬしな。フランツは、北方の領土にやることにしよう。もちろん馴染みの従者はつけぬ。一人きりで行かせる」
「……ち、父上。北方というと、あのハルシュタット領ですか? あんな――。あんな野蛮な者どもと一緒に暮らせとおっしゃるんですか?」
「言葉に気をつけることだ。味方のいないところで自分の居場所を見つけねばならぬのだぞ。己の言葉も、その態度も、全てそっくりそのまま自分に跳ね返ってくるのだ。よく考えて行動することだ。早く学べばそれだけ早く戻れるというもの。励むことだ」
ただ嘆き悲しむだけのフランツは、ハイマンとユリウスが温かい眼差しで、彼の成長を願っていることに気づくことができなかった。
クラウディアたち一行がグラーツ領に戻ると、領内は祭りのような騒ぎになっていた。
早馬の知らせを聞いた領民たちが、思い思いに祝っていたのだ。
花で飾られた通りでは、ワインやつまみの料理が売られ、大勢の人が買い求めている。
そんな中を馬車が通ると、皆が手を振って歓声を上げた。
「あ、あの。ユリウス様。これはいったい――」
「アントン」
ユリウスが、「犯人はお前だな」と、ひと睨みした。
「いやあ。ここまで盛り上がっているとは予想外でした。いい知らせは、いち早く届けたいじゃないですか」
「あははは」と笑うアントンに、ユリウスは意外にも、「それもそうだな」と同意した。
そうして初夏を迎えるグラーツ領に、クラウディアは正式な客人として迎えられたのだった。
クラウディアたちが戻ってから三日ほど経った昼過ぎのこと。
厨房では、採れたてのチェリーつまみながら、アントンがネリーと雑談に興じていた。
「……あの二人。なんとかならないものかなー。見ていて歯痒くて仕方がないんだけど」
クラウディアの部屋は、ユリウスの部屋の隣に用意された。
二人はしょっちゅう顔を合わせるのだが、互いに見つめ合ってはプイッと顔を背けるのだ。
ユリウスは、クラウディアと目が合うと決まって、「コホン」と咳払いをしては話題を変えてばかりいる。
ネリーがため息をつきながらこぼした。
「クラウディア様は、圧倒的にその手の経験が不足していますからね。その辺の十五歳の令嬢とは比べ物にならないくらいに」
「ユリウス様の方も、その辺の十八歳の領主と違って、経験がまるでないからなー」
「はあ」
「はあ」
「道は長そうだなー」
「焦らず時間をかけるしかありませんよ」
「果たして私たちの手に負えるかどうか……」
二人がそんな話をしている頃、クラウディアとユリウスは、港の近くの療養所の建設予定地に立っていた。
不意に目が合うと慌てて逸らしたり、話が弾んだかと思えば急に無言になったり。二人は、そんな風に少し距離をとりながら、ここまで歩いてきた。
だが立ち止まって話をする時は、いつもピタリと体を密着させるのだった。
「ここに療養所ができる頃には、牡蠣という珍しい食材が出回る。きっとそなたも気に入ると思う」
「まだ私の知らない食べ物が、ここにはたくさんあるんですね」
「ああ。まだまだたくさんあるぞ。脂がのった魚もうまいのだ」
クラウディアの右腕からは、ユリウスの体温が伝わってくる。
ユリウスと一緒の時は、いつもこの温もりに包まれているように感じる。
不意に、ユリウスが真面目な口調で言った。
「そなた――」
「はい」
「そなたの帰る場所はグラーツ領だと言ったな」
「はい」
「それはつまり――。つまり、ここが帰る場所ということは、ここにずっといると思っていいんだな?」
「はい」
「ずっとと言うのは、本当にずっとだぞ」
「はい!」
クラウディアは、精一杯の気持ちを込めて返事をした。
ユリウスが頬を赤く染めてクラウディアを見つめている。
(はい。いつまでも。いつまでもあなたの側にいます。ここが私の帰る場所だから)
ユリウスがクラウディアを優しく抱きしめた。
ユリウスの胸からも腕からも、その想いが熱をまとって雄弁にクラウディアに語りかけてくる。
この温もりがあるところが、彼女の帰る場所なのだと。
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