マリント・シュテファン老公爵
シュテファン邸に到着した三人は、若い執事に迎えられ、ひとまず応接室に案内された。
「主人を呼んで参りますので、こちらで少々お待ちください」
執事と入れ替わりに二人のメイドが入ってきて、三人の前に素早くお茶とお菓子を並べた。
後から来る予定の主人の席には、パープルのハーブティだけが置かれている。
トントントン。
「お待たせいたしました」
そう言って執事がドアを開けると、マリント・シュテファンが姿を現した。
同じ公爵家でも序列ではグラーツ家の方が上だ。だが老公爵への敬意から、ユリウスは立ち上がって出迎えた。アントンとクラウディアもユリウスに倣う。
「遠路はるばるようこそ我が屋敷へ。歓迎いたしますぞ。先日のパーティは欠席させていただきましたから、ユリウス様と最後にお会いしたのは、もう十年以上前になりますかな」
「はい。その頃の私はどうしようもない未熟者でしたらから、ご記憶の中の私は、さぞやご不快な思いをさせていたことでしょう。今更ですがお詫びいたします」
「はっはっはっ。律儀ですなあ。それに、お小さいユリウス様を可愛いと思いこそすれ、不快に思ったことなど、ただの一度もありませんぞ」
ウエーブのかかった白い髪を優雅に垂らした老人に、「可愛い」と言われ、ユリウスはまごついた。
「どうぞお茶を召し上がれ。私も特製のハーブティーをいただきたいので。客人が飲んでくださらんと手がつけられませんのでな。おお、毒味役を失念しておりました」
「そのような者は不要です。いただきます」
ユリウスがそう言ってティーカップを持ち上げると、
「いただきます」
「頂戴いたします」
クラウディアとアントンも続いてティーカップを手に取った。
ゆっくりとお茶を堪能してから、ユリウスは王都にやって来た目的を詳細に語った。
マリントは時折目を閉じながら、うんうんとうなずいて聞いていた。
マリントからも王都の最新情報が提供され、今後の方針を確認しあうと、ひとまずそれぞれの部屋で休むことになった。
クラウディアに用意された部屋は二階の角部屋で、開け放たれた窓から日光が降り注いでいた。
(あら? とっても可愛いお部屋だけど……)
壁紙には大小のピンクのバラが描かれていた。よく見ると、白地に薄黄緑のストライプの上に花が描かれている。
十五歳のクラウディアには少し甘った過ぎる。老公爵の娘か、あるいは孫娘が使っていた部屋だろうか。
(違う……わ)
――どうかな? 姫様のお気に召しましたかな?
――うん! とっても、とーっても気に入ったわ。じい様大好き!
「……私。……この部屋」
突然、クラウディアの頭の中に幼い頃の記憶が蘇った。
この部屋は、クラウディアのために用意されたものだ。いつもこの屋敷に遊びに来た時に泊まっていた部屋だ。
(こんな幸せな記憶をどうして忘れていたのかしら。そうよ。老公爵だなんて。そんな風に呼んだことは一度もないわ。私はいつも――)
「オオカミじい様」
「ちび姫がようやく帰ってきた」
部屋の入り口に立っていたマリントが、少し涙ぐんだ声でつぶやいた。
「この部屋を見れば思い出すのではないかと思ってな」
「じい様! ごめんなさい。私、忘れちゃうなんて」
クラウディアはたまらなくなって、マリントに駆け寄ると彼の手を取った。彼の方もギュッと握り返してくれる。
「あのちび姫がこんなに大きくなって」
この屋敷で父親と過ごした幸せな時間を思い出すと、クラウディアは溢れてくる涙をとめられなかった。
顔をぐしゃぐしゃにして、しゃくりあげながらマリントに抱きつく。
マリントは子どもをあやすように、クラウディアの背中をポンポンと叩いてやった。
そんな二人の様子をユリウスとアントンが廊下から見ていた。
「ユリウス様の目論見通りですね。お望みが叶ってなによりです」
「なんのことだ」
「またまたー。ヨハンの調査資料でシュテファン公爵とのつながりに目をとめていらっしゃったでしょう?」
「ふん」
人目を避けるならば、空き家を一軒貸し切った方がよい。そうせずにユリウスがここを選んだのは、クラウディアに味方がいるということを教えてやりたかったからだ。
全てを諦めてしまうように洗脳されてしまったクラウディアに、父親が亡くなる前の満ち足りた時間を思い出してほしかったのだ。
愛されていたという実感が、きっと彼女を強くするはずだ――と。
クラウディアは、ユリウスがそんなことを考えているとは露知らず、マリントとの再会に浮かれていた。
だが、そのマリントの顔色がすぐれない。
「オオカミじい様。どこかお体の具合が悪いのですか? 昔みたいにお話をいっぱい聞きたかったのに」
「なあに。歳をとると顔色なんてこんなものだよ」
「本当に? そうだ! じい様。グラーツ領へいらして! 是非、生のお魚を食べてみてください。私も最初は信じられなかったけれど、生のお魚って、とっても美味しいのよ。それに、お魚を食べているうちに、どんどん元気になるの。ほら! この通り!」
「確かに。ちび姫はとっても元気そうだな」
「暖かいところで美味しいものを食べれば、じい様も、きっと顔色が良くなると思うわ。私、ユリウス様にお願いしてみようかしら」
急に自分の名前を出されて驚いたユリウスは、今にもクラウディアが探しに来る気がして、盗み見ていたことを気づかれないよう足音をさせずに去った。




