メイド長のネリー
馬車の音を聞いたらしく、使用人が屋敷から出てきた。
「クラウディア様ですね。伺っております」
中年と思しき女性は、サッとクラウディアの全身に視線を這わせて値踏みした。
「どうぞこちらへ」
クラウディアが通されたのは厨房の横の小部屋だった。
まずは領主による検分が行われると聞かされていたクラウディアは、自分でも気づかないうちに、全身から血の気が引き震えていた。
領主はもとより使用人たちも、クラウディアが特権を利用して贅沢三昧をしていたという話を聞いているに違いない。
クラウディアがいくら身に覚えがないといったところで誰も信じないだろうから、何を言われようと、言われるがまま受け入れるしかない。
およそ領主が近寄りそうにない小部屋に入れられたということは、領主に会う前に使用人たちから罵倒されるのだろうか。
さすがに暴力を振るわれるとまでは思わないが、わからない。
クラウディアは知らず知らずのうちに、両手でスカートをギュッと握りしめていた。
そんな彼女を見かねて使用人が声をかけた。
「そんなに緊張することはありません。ユリウス様は今日はいらっしゃいません。明日改めてお会いされるとのことです」
判決内容は早馬によって領主であるユリウス・グラーツ公爵に届けられている。
その上で、クラウディアの主人となったユリウスが、彼女の身の振り方を決めるのだ。過酷な労働を命じるも、小間使いのような軽微な労働を命じるも、ユリウスの心一つで決まる。
クラウディアは、命じられたことを毎日繰り返すだけだ。ただ、肉体労働は今までしたことがない。
命じられたことがちゃんと出来なかったらどうなるのだろう。その点が不安だった。
「今日のところは、まず食べて休むこと。これは留守を預かっている私が決めたことですから、従ってもらいます」
「……え?」
聞き間違いだろうか。クラウディアはまだこの屋敷で働いていない。それなのに、食事をとってもよいと?
「私は、この屋敷のメイド長を任されているネリーです。普通にネリーと呼んでもらえれば結構です」
トントントン。
「お入り」
ネリーが返事をするより前にドアが開いた。
人懐っこい笑顔の少年がトレイを持って入ってきた。年はクラウディアより少し上だろうか。
「ヨハン。ドアを開けるのが早すぎます。きちんと許しを得てから入りなさい」
「はい。すみません。でも馬車から降りるところが見えたんで。やっと来たと思ったら――あ。すみません」
ヨハンと呼ばれた少年は、目を釣り上げたネリーを見て、急に大人しくなった。
(私が憎くないのかしら? そうでなくても地方の人々は貴族が嫌いなんじゃ……。横領までして浪費していたなんて聞けば、そんな風に微笑むことはないと思うんだけど……)
「もう残っているのはこれくらいです。気に入らなくても食べるしかありませんよ」
ネリーは嫌味ではなく、事実を言っているようだ。
ゾフィーやメラニーのニヤニヤした顔とは違う。
それでも、彼女がクラウディアの全身をくまなく観察していることには気がついた。
トレイには、二切れのパンと、煮込まれた牛肉の塊と、野菜スープが載っていた。
「これが――私の――」
クラウディアは、「一人分ですか?」と言いたかったのだが、驚きのあまり声にならなかった。
クラウディアがすぐに手をつけなかったため、ネリーが顔をこわばらせて言った。
「どうしたのです? 不服ですか? こんなもの、口にできないと? これからは、こういう食事に慣れるしかありませんよ。いくら文句を言おうと、もう豪華な食事は用意されないんですからね」
ネリーの顔には、「やはりそうか。ほらみろ。本性が出た」と書いてあった。「ヒステリックに泣きわめこうが、身の程を教えてやる」とも。
「ち、違います。文句だなんて。そんなこと言ったらバチが当たります。私はその――大変申し訳なくて。こんなにたくさんは――とても食べきれないので。今までの食事は、大抵、玉ねぎの皮のスープやくず野菜を焼いただけでしたから。パンはあったりなかったりだったので」
ネリーとヨハンが目を見開いて驚いた。
その様子を見て、クラウディアは怒らせてしまったのだと思った。
(どうしよう。こんなに食べたら体が驚いてしまうかも。でも用意してもらったんだし、食べるしかないわね)
「ご、ごめんなさい。文句を言ってしまいました。い、いただきます」
「いえ。無理はしなくていいので、少しずつ体と相談しながら食べてください」
「あ、ありがとうございます」