いざ王都へ
いくら帳簿の内容を全て覚えているからといっても、実際に紙に書き起こすには時間がかかる。誰かに手伝ってもらうこともできず、復元までの道のりは遠く思えた。
一刻も早く書き上げたい――その一心で、クラウディアは寝る間も惜しんで作業に没頭したため、一年分を書き上げたところで腕が悲鳴を上げた。
少し手首を曲げただけで激痛がするようになったのだ。
ユリウスとアントンには隠れて、夜、自室で作業をしていたため、クラウディアの腕の痛みを知ったユリウスは目を釣り上げ、アントンはため息をついた。
三日間の静養を申し渡されて落ち込んでいたクラウディアは、話し相手を求めて裏庭に行った。あいにく誰もおらず、一人でぼうっとしていたところに急に声をかけられて驚いた。
「ここにいらっしゃったんですね。探しましたよ」
ニコニコと機嫌の良さそうなアントンが立っていた。
「あの。何か」
「あははは。そんなに警戒しないでください。私のことを、『不幸を運ぶ不吉な男』とでもお思いですか?」
「す、すみません。そんなつもりは」
「ああ、いえいえ。わかっています。冗談ですよ。冗談。……まあ。焦る気持ちはわかりますが。突っ走ると、こんなことになってしまうわけですからね!」
(「ねっ」と言われても)
「あ! 今、『ねっ』って言われてもって、思ったでしょう?」
「え! ええっ!」
「あははは。いやあ。本当にわかりやすい。とまあ、冗談はこの辺で」
「じょ、冗談?」
アントンは急に真面目な顔つきに変わった。
「すみません。実は大切なお知らせがあってお探ししていたんです。クラウディア様の過去分帳簿作成と同時に、直近二年間の帳簿作成も行うことになったのです。そのためにはインスブルック家の、というよりは、リンツ商会の取引先を回る必要がありますから、王都に乗り込みますよ」
「王都に……」
不安な表情を浮かべるクラウディアに、アントンも表情を曇らせて共感した。
「私も気乗りはしないんですけどね。ですが、なんだかんだ言って、ユリウス様が珍しく気が急いているみたいで。明日の国王陛下の快気祝いパーティのためにユリウス様は王都へ向かわれましたが、半分は王都での滞在の準備をなさるためです」
アントンはニコニコと笑みを浮かべ、いつものアントンに戻っていた。
「まあ私としては、こんな風にユリウス様に火をつけてくださったことに関しては、お礼を言いたいくらいですが。ああ、今のは忘れてください。あははは」
「え? ええと」
くるくるとテンションが変わるアントンに、クラウディアは生返事しかできなかった。
王都に行くと知らされてから五日後。
クラウディアはグラーツ家の豪華な馬車から、王都の、どこか懐かしい通りを眺めていた。
「そなたにとっては見慣れた通りだったな」
「はい――いいえ。あ……。知ってはいるのですが、なんだか随分久し振りで、知らない通りのようにも感じるのです」
「そうか」
賑やかな通りを父親と一緒に歩いたのが、クラウディアには遥か昔のことのように感じられた。
馬車は王都の目抜き通りを通り過ぎ、牧歌的な緑の中を進んでいた。
いったいどこへ向かっているのだろうと、クラウディアの顔に不安な表情が浮かんだのをアントンは見逃さなかった。
「まさか王都のど真ん中の宿屋に入るわけにはいきませんからね。それでは人目につきすぎて、あっという間にリンツ商会の耳にも入ってしまいます。秘密裏に、とまでは言いませんが、できる限り妨害されないうちに事を進めておきたいですからね」
どうやら遠くに見える瀟洒な屋敷へ向かっているらしい。
「シュテファン老公爵の屋敷に逗留させていただくのです。クラウディア様もご存知の方ですよね?」
「シュテファン老公爵? マリント・シュテファン公爵……」
「そうです! いやあ、老公爵への書状をクラウディア様にもお見せしたかったです。ユリウス様が心を砕かれて、陳情とも受け取れるような熱い書状を――」
「アントン!」
アントンが自分に酔ったようにしゃべっている中、ピクピクとこめかみのあたりをひくつかせていたユリウスだったが、とうとう堪えきれずアントンを睨みつけた。
「オホン! まあ、私たちの逗留を快諾してくださったというわけです」
シュテファン家の屋敷はなだらかな丘陵地にあった。
馬車がゆっくりと敷地内を進んで玄関ポーチに到着すると、クラウディアは不思議な感覚に襲われた。
先ほどの目抜き通りとは違った懐かしさを覚えたのだ。
(何かしら? この感覚……)




