最果ての地へ
クラウディアの荷物は少ない――というよりもほとんどない。
擦り切れたタオルなど、持っていく必要があるだろうかと逡巡したがカバンに入れた。
グラーツ領が罪人を受け入れるにあたり、身の回りの品を用意してくれるわけがないと思い至ったのだ。
服も使用人のお仕着せ一着だけ。これといった私物もない。本当に体一つで家を追い出され、今、こうして行商の馬車の荷台に揺られている。
通常、罪人が王都から追放された場合、馬車になど乗せてもらえはしない。どこへなりとも歩いて行くしかないのだ。罪人に手を差し伸べる者などいるはずもない。
クラウディアはグラーツ領へ行くことを命じられていたが、それとて徒歩での移動になるはずだった。
それなのに、こうしてグラーツ領行きの行商の馬車に運よく乗せてもらえたのは、誰かが手筈を整えてくれたからとしか考えられなかった。
クラウディアの脳裏に、あの老公爵の優しい眼差しが浮かんだ。
(……馬鹿なことを。私に優しくする人間なんているはずがないわ。偶然よ。たまたま通りがかっただけ。運がよかったと神様に感謝しないと)
馬車に揺られて向かう先のグラーツ領は、南の果てにある領地だ。海に面した辺境の地。
(海ってどんなのかしら。お父様からは、とても大きなものとしか聞いていないけれど。早く見てみたいわ)
クラウディアは、馬車の荷台にあった古いオットマンに座っていたが、その座り心地があまりに良いせいか、つい、避暑地にでも出かけるような感覚で目的地のことを考えてしまった。
(もう馬鹿じゃないの。そんな楽しい時間なんて、あるはずないじゃない)
「馬鹿馬鹿しい。私は幸せにはなれないのに」
――幸せになることはない。
父親の死後、義母と義妹によって、毎日唱えられ続けた呪いの言葉。
クラウディアは、いつしか自分自身でも唱えてしまっていた。今こうして罪人として追放の身となったことを思えば、あの言葉は真実だったのだ。
クラウディアが家を出たのは夜が明ける前だったが、すでに日が暮れようとしていた。途中、休憩を挟んだとはいえ、ほぼ一日中走っている。
だが宿泊代を持たぬ身にとっては、夜であろうと、その日のうちに到着できるのはありがたい。
「なんとか間に合いました。門が閉まる前に領地に入れました」
荷台にいるクラウディアに、商人が声をかけた。
王都を出て、入り組んだ二つの領地を通り過ぎてやってきたところ。
(ここが南の果てのグラーツ領。私、とうとうこんなところまで来たのね。こんな遠いところへ一人で……)
うつむくと、頬を伝って手のひらに雫がこぼれ落ちた。
クラウディアは、それが涙だと認識するまでしばらくかかった。
悲しいのだろうか? 何を悲しむというのか。これは旅の疲れだ。きっとそうだ。そうに違いない。
「何かしら……?」
クラウディアは嗅いだことのない匂いに戸惑った。
最初は流した涙のせいかと思った。だが、少し不快な、粘りつくような、言いようのないしょっぱさが鼻から入ってきて消えないのだ。
商人も同様の匂いを嗅いだらしく、クラウディアに話しかけてきた。
「海はご覧になったことありますか? 潮風が海の匂いを運んできていますね」
「海の匂い?」
「ええ。初めてだとピンと来ないものです。明日明るくなったら海を見に行かれるといいですよ。この匂いの正体がわかります」
(この匂いの正体?)
「あ、ほら。見えてきました。あの小高いところにある屋敷です」
商人がそう言ってから屋敷に着くまであっという間だった。
「それではお気をつけて」
「ありがとうございます」
クラウディアが罪人であることは知っているだろうに、商人は最後まで気持ちのよい態度だった。