トラウマの再燃
クラウディアが屋敷に戻るとネリーが出迎えてくれた。午後の仕事は休んでいいということだった。アントンの指示らしい。
執務室では、ヨハンが港で見てきた一部始終をユリウスとアントンに報告していた。
「そうですか。かちあってしまったんですね。こちらでもっとお引き留めすべきでした。取り継ぐことなく門前払いをしたのは失敗でした。『領主は港から帰って具合が悪い。伝染病ならまずいので誰にも会わないように閉じこもっている』――などと見え透いた嘘だったのですが。あらぬ疑いをかけられないように、念の為、外国籍の船の二週間の隔離は厳守していると申し添えましたが。ちゃんと伝わったかどうか……。ユリウス様がもう少し令嬢の扱いがお上手ならば……。ああ、いいえ。独り言です」
にらみつけるユリウスにわざとらしく嫌味を言うアントンだが、クラウディアのことを思って心を痛めているユリウスの心中を代弁した。
「それにしても。あの妹君は……。王太子に視察という名目まで与えてもらって、わざわざこんなところまで義理の姉の落ちぶれた姿を笑いに来るとは。というより、王太子は大丈夫ですかね。無関係の令嬢に、視察などという公務を申し付けるとは。はあ。それにしても、わざわざクラウディア様の居場所を使用人に聞いてまで馬車で向かわれるとは。もうただの執念ですね。私も急いでヨハンを使いにやったのですが間に合いませんでした。どうやら元気な虫を入れる前に、重たい蓋を二重にされてしまったみたいですね」
ユリウスは、ハッと気づいた。
「元気な虫か。元気づけてやればいいんだったな。そうすれば元気になるんだったな。アントン。クラウディアを呼んできてくれ」
「ええ? 今はおやめになった方が……。クラウディア様は、気持ちの整理をつけるのに人一倍、時間を要する方だと思うので」
アントンが渋るので、ヨハンがクラウディアを呼びにいかされた。
「ユリウス様。珍しく感情的におなりですよ。それよりも……蓋です。二年間被せられていた蓋を思い出さされたんですよ。わかりますか? ユリウス様」
「……」
トントントン。ノックに続き、弱々しい声が聞こえた。
「お呼びでしょうか」
「入れ」
部屋に入ったクラウディアは生気がなく、うつむいている。
ユリウスは、時間が遡った感覚に襲われた。
「いいか! 人は皆、幸せになるために生まれてくるのだ。幸せになるには、まず、幸せになりたいと願わなければならないんだ。そなたは頭は良いが、こういう肝心なことを知らなさすぎる! わかるか?」
「……」
ユリウスのあまりの剣幕に、クラウディアが体を震わせた。
その様子を見て、ユリウスも我に返った。
「い、いきなり、す、すまない」
「い、いえ」
ユリウスは、感情的にならないよう、気持ちを押し留めながら話した。
「港でのことは聞いた。メラニーとかいったか。そなたの義理の妹は。ただの令嬢の遠出に視察などという名目を与えて、あのように近衛兵まで貸し与えるなど言語道断だ。王太子には言いたいことが山ほどあるが」
クラウディアからは、ユリウスの言葉を聞いているのかどうか表情が読み取れない。
「義理の妹は、家族として暮らしてきたそなたに、随分と無礼な物言いだったそうだな。王都を離れて本性を現したのかもしれんが。裁判の時とは全く態度が違うではないか。勢揃いした領主たちの前で、涙ながらに慈悲を請うたと聞いたのだがな。王太子は聖女の如く絶賛したらしいではないか。それならば最後まで誤解させるよう、聖女の仮面を外すべきではないと思うが。自分の計画を全うする覚悟すらないとみえる。そんなことすら見抜けない王太子は――」
これでは王太子への不満をクラウディアにぶつけているみたいではないか。
なぜクラウディアに向かって、思いの丈をぶつけているのだろう。
そんなことを言うために呼んだわけではないのに。
ユリウスは、拳をぎゅうっと握りしめた。
(蓋など打ち破ればよいのだ)
「――それでも。王太子やそなたの義理の妹が何をしようとも、だ。そなたはそんな風にうつむいて、全て言われるがままになっていてはいけないのだ。味方が一人もいなくとも、自分自身だけは、最後まで自分の味方でいなければならない」
クラウディアはすっかり心を閉ざしているように見えた。ユリウスの言葉など聞こえていないのかもしれない。
そう思うと、ユリウスはようやく口をとじることができた。
「よく――覚えておくように」
クラウディアが退室すると、アントンが温かいお茶を持って来させてユリウスに勧めた。
「ユリウス様はお優しいですね。クラウディア様の代わりに怒って差し上げたんですね。ですが――。二年というのは、私たちが思っている以上に長かったようです。そばで飛ぶ虫を見ることさえ出来ないほどに。クラウディア様は、まだ勇気を受け取る準備が出来ていないようですね」
「準備が出来ていない? は? では私の言葉は何一つ伝わっていないのか。あれだけ勇気づけたのに」
「ああ。えーと。でも、めげずに飛び続けて見せるしかありませんよ!」
「……」
「そんな怖い顔でこっちを見ないでくださいよー」
「なんだと」
アントンがユリウスにお茶を進め、自分も飲んだ。
「それよりも。いくら名ばかりとはいえ、王太子に任命された視察官ですからね。怒らせたのはちょっとまずかったですね」
「わかっている」
「また王宮で勝手な処分が下されないように、こちらで先に処分をすませた方がいいかもしれませんね」
ユリウスが驚いてアントンを凝視した。
「処分だと? スザンナたちをか?」
「まあ。まあ。落ち着いてください。罰と言っても、色々とありますからね。反省文だったり刺繍だったり」
ユリウスはキョトンとした顔で聞いている。
「刺繍? あのスザンナが? 刺繍が罰なのか?」
「ぶっ。いいですねそれ。個人的にはそれを見てみたい気がしますが。厳罰が下されたと、あの高慢ちきな妹君が思える内容でなければなりませんから」
「あの妹君が納得するような罰……」
「そうです」
その日のうちに、ユリウスの名で王太子へ正式な報告がなされた。
報告書には、メラニーへの謝罪と共に、スザンナに男性に混じって港での作業を命じたと書かれていた。
そして、原因となったクラウディアも同罪で、スザンナの補佐を命じたとも。
スザンナやクラウディアにとっては何一つ変わらない日常だが、フランツは、恐ろしい厳罰を科されたと受け止めた。
四日後。
ユリウスの目の前に置かれた銀色の盆の上に、丸まった上質な紙が金色の組紐で縛られ鎮座している。
アントンが恭しく持ってきたのは、王太子からの手紙だった。
「読んでみろ」
「よろしいのですか?」
「ああ」
アントンは読み進めるうちに、「むっふっふっ」と笑い出した。
「何か面白いことでも書いてあるのか?」
「これは傑作ですよ。あの、おごりたかぶった妹君は、こちらの報告が届いて三日後にやっと王太子に報告に上がったそうです。どうせ魚の匂いが染み付いたように感じられて、匂いが取れるまで三日待ったんでしょうね」
「ふん!」
「それからなんと! またしても王太子の前で涙をこぼされたそうですよ。姉の連座処分は回避して欲しいと。いやあ。なんなんですかねー。今回の事件が、不遜極まりない妹君が泣くための理由作りに使われていますね。なんだか悔しいです」
「……お前。よくそんなに次から次へと「妹君」を形容する言葉が出てくるな。よっぽどお前の癇に障ったんだな」
「そうですか? そんなつもりはありませんが。でもまあ。そんな風に願い出たということは、クラウディア様が妹君の想定通り、惨めな暮らしをしていると確認できたからなのでしょうね。南の果てくんだりまで見にきた甲斐があったということで」
「なんだと!」
「いや、私じゃありませんよ。あの妹君がですよ」
アントンは、「こわい。こわい」と言いながら肩をすくめた。
辛い回になってしまいました。ユリウスも空回ってしまって。
あと二話ほど辛抱していただければ、挽回しますので。




