クラウディアの才能
翌日からクラウディアは港へ通うことを許可された。そして仕事も変更された。
午前中は港の作業把握、午後は執務室でユリウスの補佐――主に帳簿の確認を行うことになったのだ。
港から戻り昼食をとると、ドレスに着替えてユリウスの執務室へ行くという毎日が始まった。
(でも本当にいいのかしら。最初にちゃんと聞いておかなければ……)
クラウディアはユリウスの執務室に入ると、昨日のお礼を述べてから気がかりな点を尋ねた。
「本当に私が帳簿を見ても構わないのでしょうか? 帳簿というのは秘密事項だと思うのですが」
「ほう。その通りだ。よくわかっているな」
「父からそのように教わっております。数字を追いかければ領地経営の全てがわかると」
「さすがだな。交易事業を任されていただけのことはある。まあ、そなたに知られたところでどうなるものではないから全く構わん。そういえば、インスブルック家の帳簿は今どうなっているんだ?」
「……さあ。わかりません。でも心配です」
本心だった。この二年間はそんなことすら忘れていた。ただただ毎日を生きるのが精一杯で。
「まず、そなたがどの程度、帳簿を読み解くことができるのか知りたい。まずはこれからだ。過去三年分ある。我が領地の特産品に関する数字を追いかけてみろ」
「はい」
そうして、クラウディアは午前中は港に、午後はユリウスの執務室に、夜はちょっとした内職をする、という暮らしのリズムができあがった。
帳簿を見ただけで、グラーツ領が素晴らしい領地であることがわかった。
農業と漁業の二本柱は言うに及ばず、林業やその他加工品の事業も、毎年、着実に収益が微増している。
もちろん、事業拡大や、災害対策などのために必要な経費もかけている。
見事としかいえなかった。領地経営のお手本のようだった。
(ああ。お父様と一緒にグラーツ領の帳簿談義をしたかったわ)
クラウディア父娘は、帳簿を開いては、この年にこれだけの投資をした分が、二年後に実を結び、これだけの利益をもたらしたなどと、よく話をしたものだった。
帳簿の数字は秘密事項なので、さすがに執務室から持ち出す許可などもらえない。夜を徹して部屋で読めたらいいのにと、クラウディアは残念に思った。
結局、与えられた帳簿を隅々まで読むのに五日かかった。
クラウディアが全て目を通したと報告すると、早速ユリウスが所見を求めた。
「それでは聞かせてもらおうか」
「はい」
クラウディアは分析した結果を、特に事業ごとの顕著な変化を、支出明細に記されていた内容を基に、実施された施策を類推しながら指摘した。
「……そなた。何も見ずにしゃべっているが」
「はい。書き写す許可をいただいていなかったので、記憶した内容を――」
「待て待て。記憶しただと? こだれけの数字を全部覚えたというのか?」
「はい。一度見れば覚えられます」
ユリウスは驚愕して、思わずアントンを見た。
「うーん。映像記憶というやつかもしれませんね。ごく稀に、そういう人物がいると聞いたことがあります。いやあ。でも間近で見ると、ちょっと怖いですね。人間離れしているというか。これだけの量を……」
ユリウスとアントンは、クラウディアの特殊能力に感嘆したが、それだけでなく数字に強いことがわかった。ユリウスは本格的に帳簿の作成を任せてみたいと思ったが、すぐには口に出せなかった。
当の本人の気持ちがわからない。強要はしたくなかった。
午後の仕事をどう思っているのか。
港での作業なら一通り見終わった頃合いだ。それなのにいまだに通っているということは、ユリウスと一日中顔を突き合わせて一緒に仕事をするのはご免だということなのかもしれない。
「クラウディア。そなた、午前中はまだ港に通っているのか?」
サボっていると疑われたのだと解釈したクラウディアは目を見開いて、どう申し開きをしたらよいのだろうと答えに窮した。
アントンが、すかさず代わりに答える。
「当たり前じゃないですか。クラウディア様も心外ですよね。スザンナから、ちゃんと報告が上がっていますよ。みんなと仲良くやっているそうじゃないですか。漁師たちとも今じゃすっかり顔馴染みだとか」
「そうか」
(私に対しては打ち解ける気配もないというのにか)
少し不機嫌になったユリウスに、アントンが追い討ちをかける。
「質問が面白いらしいです。魚の“新鮮なうち”とは、どれくらいの時間なのか、とか。とれたての魚を王都へ運ぶには貴重な氷が必要だが、そんなことをしたら十倍の値段で売らないと元が取れないだとか。商売人が買い付けに来たみたいだと言われているようですよ」
(え? そうなの? 私、そんなに変なことを聞いていたの?)
「あっはっはっ。そんな顔をなさらないでください。みんなクラウディア様から質問されるのが楽しいって言っているんですよ。おっと。ここにも一人楽しいと思っている方が――」
ユリウスはアントンの悪ふざけを苦々しく思いながらも、頬が紅潮してしまった。
慌てて話題を変える。
「そなた。港へ行く際はみすぼらしい格好をしていると聞いたが。誰かに何か言われたのか?」
インスブルック家と違って、「罪人の分際で!」などとクラウディアを叱責するような人は、ここグラーツ領にはいない。
「いいえ。違います。私が頼んでそうさせてもらっているんです。ユリウス様から頂いたドレスを塩水で汚すわけにはいきませんから。港に行くときだけですし」
「そ、そうか。やはりそなたも女性だな。綺麗なドレスは大事なんだな」
アントンが、「おっほん!」とわざとらしく咳払いをする。
「はて? ユリウス様が買ってさしあげたからでしょう」
「……は? ドレスを買い求めたのはお前だろう」
「え? それをお許しになって支払ったのはユリウス様です。ユリウス様から頂いたものを汚したくないということですよ。ユリウス様への精一杯の感謝ですよ」
「私への……? 」
「クラウディア様。そうですよね?」
話の方向がよくわからないまま、クラウディアは頷く。
「は? はい。そうです。大切です」
「大切?」
ユリウスは珍しく素っ頓狂な声を出した。
もう一度、クラウディアが言う。
「はい大切です」
「私が大切なのか?」
アントンは笑いを必死に堪えて顔を背けた。
「……? ユリウス様が? ええと。はい。もちろんです。他の皆さんにもお尋ねになってください。きっと皆さん間違いなくユリウス様のことを大切だとおっしゃるはずです。絶対です」
「……な。よい。もうよい。大切ならばそれでよい。明日からも気をつけて行け。今日はもう下がれ」
「はい。……あ。あと、これを。ささやかですがドレスのお礼です。どうぞ」
クラウディアは、アントンに用意してもらった紋章の図と材料で、夜な夜な作業してやっと完成させた物をユリウスに手渡した。
「スザンナさんに聞いたのです。グラーツ領の男性は、皆さん家の紋章を刺繍した布を身につけていらっしゃると。それでグラーツ領の紋章を刺繍してみたんです」
ユリウスの手の上のスカーフは、青地に金色の天秤が光っていた。
「よくできている。そなた。手先が器用なのだな」
「ありがとうございます」
そのままアントンに渡して仕舞わせると思ったのだが、ユリウスは首に巻いて、「似合うか?」と尋ねた。
スカーフよりも、クラウディアに向けられた優しい笑顔が眩しくて、彼女は小さく、「はい」と答えるのが精一杯だった。




