ヨハンの調査報告
夜遅く、ヨハンが王都から戻ってきた。
「戻り次第顔を出せとのことでしたので、こんな時間ですが参りました。よろしいですか?」
アントンが、「もちろん」と、執務室のドアを開けてにこやかに迎え入れる。
「やあやあ、お帰り。その様子だと、知りたいことは全部わかったようだね」
そう言われてヨハンの顔に、ぱあっと嬉しさが広がった。役目を無事にこなせた自負が刺激されたのだ。
「はい! 終わった事については皆さん口が緩むみたいで。色々聞くことができました」
「ははは。確かにそうかもしれないね。渦中の娘は南の果ての領地に追い払われた後だしね」
「アントン」
入り口付近で立ち話を始めてしまったアントンに、見かねたユリウスが視線で指示をする。
「ああ、すみません。ささ。こちらへ」
ヨハンは三人分のお茶の用意を持参してきていた。アントンが話し始めてしまったので、セッティングする間がなかったのだ。
ユリウスの向かいにアントンとヨハンが座った。皆が紅茶を一口飲んだのを見計らって、ヨハンが居住まいを正した。
ユリウスがうなずくと、ヨハンが口を開いた。
「まずは暇を出されたインスブルック家の使用人たちを探し出して話を聞いたのですが、彼らだけで、おおよそのことはわかりました」
領主の死後、その後妻と娘――クラウディアにとっては義母と義妹にあたる――が実権を握り、贅沢の限りを尽くしていること。
クラウディアは、ずっと節約を強いられてきた不満のはけ口にされ、義母と義妹から毎日、罵声を浴びせられ使用人として酷使されていたこと。
重要な交易事業を胡散臭いリンツ商会に丸投げし、使用人もリンツ商会から派遣してもらい、クラウディアをかばう古くからの使用人は全員暇を出されたこと。
「確か、領主は流行り病で急逝したんだったな。せめて娘が成人していれば話は違っただろうに。名家がこんなことになるとは残念だな」
ユリウスが珍しく憐憫の情を示した。
「はい。使用人の方々も、クラウディア様を心配されていました。交易事業どころか、屋敷からも締め出されて、お金に手をつけることさえできないのに、どうしてあんな判決が出たのだろうと、皆さん納得がいかないようでした」
「かといって、使用人たちに何ができるわけでもなし――」
アントンのつぶやきにヨハンがうなずく。
「ええ。ええ。そうなんです。皆さん、話をするうちに、ご自分たちの無力さに涙を流される方もいらっしゃいました」
ユリウスは、ほんの数日前、目の前に立っていたクラウディアの姿を思い出していた。
何もかも諦めてしまった生気のない顔。おどおどと怯える様子。
人の恨みを買うような性根は、嫌でも顔にでるものだ。
あれだけのことを成すには、それなりの胆力がいるはず。
どう見てもあの娘は無実だ。
フランツは馬鹿なのか?
静かにティーカップを口に運ぶユリウスにつられて、ヨハンも紅茶で喉を湿らすと、そのまま続けた。
「事件について調べるために、アントン様のツテをお借りして、リンツ商会に雇ってもらえるところまでこぎつけました。事務所で顔合わせということで、何か証拠になりそうなものがないか探ってみたんですが、さすがに無理でした」
「いやあ、警備が厳重でして」と言い訳しつつ、話題はリンツ商会の代表のヒューゴーに移った。
「商人仲間からの評判は最悪ですね。最初は詐欺まがいの汚いやり口で元手を作り、権力者に取り入って会社を大きくしたようです。汚れ仕事まで請け負っていると噂になったくらいです。それでもあっという間に規模を拡大して、今じゃ貴族社会にも顔がきくようになりましたからね。相当な手腕と言えなくもないですね」
「褒めてるのか?」と、ユリウスの青い瞳に牽制され、ヨハンが慌てて頭を左右に振った。
「……それで? 判決に至るまでの経緯は?」と、アントンが水を向ける。
「あ。はい。いやあ、王宮は緊張しました。ユリウス様の紹介状を持っているのに、あの屈強な兵士たちに睨まれると生きた心地はしませんね。ワインを持っていったのは正解でした。王宮に納めることができそうか、味見して欲しいと言うと、人だかりができましたからねー。もう、飲めば飲むだけ口が軽くなって――」
ヨハンが調子に乗って脱線しそうになり、アントンが咳払いをした。
「あ。すみません。ゾフィーとメラニーの母娘は、王太子への献上品を持参して足繁く通っていたそうです。その場に居合わせた者によれば、二人は泣きながら現状を王太子に訴えていたそうで。なんでもインスブルック家の交易事業を牛耳っているクラウディア様が、二人の生活費を満足にくれないくせに、自分は豪遊しているとか。まあ、そんな感じの与太話をしては、涙を流していたそうです。王太子は令嬢の涙に弱いようで、『けしからん! 今すぐ連れてまいれ!』と感情的になられることもあったとか。それを娘が『お許しください』と庇うものだから――」
「『なんと心の美しい令嬢なのだ』とでも言ったのかな」
アントンが決め台詞を奪うと、ヨハンは、ああ、そのセリフはオレが言いたかったと悔しそうな顔をしながらも認めた。
「そうなんです! 殿下はクラウディア様を裁く法はないのかと従者に八つ当たりすることもあったそうです」
「なるほど。そこまでの状況を作り上げた上での告発か」
アントンはもう皆まで言わなくともわかると食傷気味だ。
「はい。横領した上での脱税について、母娘がちらっと匂わせただけで、王太子がクラウディア様の拘束を命じられたとか」
ユリウスが頭を抱えて唸るのを見て、アントンが代弁した。
「母娘は狂喜乱舞しただろうね。と言うよりも、王太子がここまで簡単に手のひらの上で踊ってくれるとは思ってもみなかったのかもしれないな。それにしても、我が国のご老人たちが苦言を呈しなかったとは思えないが……」
「ええ。公爵家の裁判とあって、名だたる名家の当主らが集まっていたようです。シュテファン公爵は即座に異を唱えたらしいのですが――」
その名前を聞いてユリウスがハッと目を見張った。
「病状が思わしくないため、もう何年も屋敷を出られていないと聞いているが。そうか……。あの方が……」
ヨハンは申し訳なさそうに伏し目がちに言った。
「はい。ですが、王太子は聞く耳を持たれず、その場で高らかに言い切ったそうです。『信用できる証人は、百の証拠に勝る』と」
聞いた途端、ユリウスとアントンが揃って紅茶を吹き出しそうになった。
「ぐふ。なんだそれは。ものすごく格好のいい言葉のようで、実際は間が抜けている」
アントンはそう吐き捨てて、ハンカチで口を拭った。
「女の浅知恵かもしれんな。ということは、やはり証拠は――」
ユリウスの青い瞳が光った。
「皆無です。何一つ提示されていません。王太子の前で涙を流した女性の証言によって判決が下されたのです」
「とんだ茶番だな。いやむしろ、そこまで前代未聞の茶番が繰り広げられるとわかっていたら、私もその場で拝見したかった」
ふざけているアントンを注意することもなく、ユリウスが冷ややかに言った。
「王太子のその後が気になるな。そのような甘言に惑わされるとは。次期国王がそれでは心配だ。国政がその母娘の手に落ちたも同然ではないか。これは憂慮すべき事態だ。だが……」
アントンは、ギュッと拳を握りしめるユリウスの胸の内が手に取るようにわかった。
王の代理、すなわち王命による判決は絶対だ。
一領主の判断で、その命令に逆らうことはできない。
王都から遠く離れたここグラーツ領で、クラウディアを客として相応のもてなしをしたとしても、おそらく王宮へ伝わることはない。
だがそのようなこと、高潔なユリウスは考えもしないはずだ。
正しいことができないもどかしさに、アントンもユリウス同様の歯痒さを感じていた。




