濡れ衣を着せられて
主人公クラウディアを序盤で見捨てないでください。どうか長い目で見てやってください。
「ハイマン王の名代として判決を言い渡す。クラウディア・インスブルックの爵位を剥奪し、グラーツ領に追放する」
空席の玉座の前に毅然と立つフランツ王太子が冷たく言い放つと、周囲の貴族らは、「あの南の果ての……?」などと、ざわめきたった。
「静まれ! 年若い娘だからといって法を曲げることはできぬ。心を鬼にして証言した妹のメラニー嬢こそ不憫ではないか。交易事業で得た利益を不正に着服し、国を――国王を欺いて豪遊の限りを尽くしたのだ。極刑に処されてもおかしくないところを、爵位を剥奪し追放だけで済ませてやるのは、メラニー嬢の嘆願があってこそなのだ。それをよく覚えておくように」
名前を出されたメラニーは、瞳を潤ませてフランツに熱い視線を送ってから、消え入りそうな声で訴えた。
「フランツ殿下。ありがとうございます。ご厚情に感謝いたします。ですが。やはりお義姉様が爵位剥奪の上、追放とは――あまりに、あまりにおいたわしゅう存じます」
「もうよすのだ。メラニー嬢。そなたはあまりに優しすぎる。この二年間、そなたがこの者にどれほど虐げられてきたのか、この僕が誰よりも知っているのだぞ」
「……殿下」
小刻みに震えるメラニーの肩を、母親のゾフィーが抱きしめる。
クラウディアは目の前で繰り広げられている様を、他人事のようにぼんやりと眺めていた。
ほんの一時間前のこと。
クラウディアは、昼食の準備のために厨房でじゃがいもの皮をむいていた。そこへ突然、兵士がドカドカと入ってきたのだ。
どうやらクラウディアを探しているらしく、名前を呼ばれたので答えたところ、両脇を抱えられるように宮殿に連行された。
さすがに見苦しい格好をしていたので、おざなりのドレスに着替えさせられはしたが。
そして理由を聞かされないまま、この大広間の中央に連れてこられ、膝をついて待つように言われたのだ。
周囲には大勢の貴族たちが並び立ち、罪人として裁かれようとしているクラウディアを見て、眉をひそめて囁きあっていた。
フランツ王太子が入室するや否や、裁判が始まり、クラウディアは身に覚えのない罪を犯したと断罪され、有罪になった。
全てがあっという間の出来事だった。
クラウディアには、王太子が意気揚々と喋り、義母と義妹が家の中では見せたことのない、しおらしい態度で感情をたかぶらせている光景が見えただけだった。
「明朝、グラーツ領へ出発せよ。グラーツ公爵家の使用人として生きるのだ。いかなる重労働も拒否することは許さぬ」
フランツの下した判決を聞いた限りでは、クラウディアの居場所が、別館の使用人部屋から、どこか遠い領地にある使用人部屋に変わるだけのようだ。
つまり、クラウディアにとっては何も変わりはしない。
(未来永劫、私が幸せになることはない。お父様が亡くなったあの日から……)
「今日からこの家の主人は私。もうこれまでみたいに大きな顔はさせないわよ」
モーリッツ・インスブルック公爵の葬儀が終わった夜、妻であるゾフィー――後妻なのでクラウディアにとっては義母に当たる――が、クラウディアに向かってそう宣言した。
クラウディアは、屋敷を取り仕切ることを言っているのだと解釈したが、それは大きな間違いだった。
亡くなった父モーリッツの右腕として帳簿をつけていたクラウディアだが、その日から執務室に出入りすることを禁じられた。
インスブルック家は、代々、他国との交易を独占的に許可されており、利益に応じて交易税を国に納めている。
モーリッツ亡き今、全体の事業資金の流れを把握しているのはクラウディアだけなのに、ゾフィーは彼女を家業から締め出し、あろうことか、モーリッツが、「信用できない」と、決して出入りさせなかったリンツ商会を招き入れ、そこに交易事業を丸投げしたのだ。
激しく抵抗したクラウディアに義妹のメラニーは、
「お義姉様。そんなに働きたいのならどうぞご勝手に。仕事ならいくらでもあるんだから」
そう言って、使用人のお仕着せを投げつけた。
「あっはっはっ。確かにそうね。思う存分こき使ってあげるわ」
ゾフィーの命令で、クラウディアは本館の部屋を追い出され、別館の使用人用の部屋へと移された。
クラウディアは、使用人として屋敷の下働きをしたいと、自主的に申し出たことにされてしまった。
「お前はケチな父親と同じで、お金を使うことに興味がなかったでしょ。働くことが楽しいんだったわよね」
「お義姉様のせいで、私まで思うようにドレスを仕立てられなかったのよ」
「お前が幸せになることは金輪際ない」
「これからは私がお義姉様の分まで幸せになるわ。だってもう、お義姉様はこの先幸せになることはないんですもの!」
モーリッツがこの世を去って二年。クラウディアは毎日のように二人にそう言われ続けてきた。
そんな彼女を慰めていた使用人たちだが、古くからいた使用人は一人また一人と屋敷を去っていき、とうとう新参者ばかりになってしまった。
その上、交易事業の方もクラウディアがいなくても問題なく回っていると聞かされ、彼女は自分の存在意義を失ってしまったのだ。
「恐れながら申し上げます。フランツ殿下。此度の罪状ですが、証拠の品は何一つ提示されておりません。メラニー嬢の証言だけで判断するのは――」
ぼんやりと過去に意識をさまよわせていたクラウディアの耳に飛び込んできた声には聞き覚えがあった。
父親と親交の深かった老公爵だ。名前は――なんだったか。よく思い出せない。
だが皆まで言わせてもらえず、フランツに遮られてしまった。
「証人がいるのだ! この上なく信用できる証人がな。その証人が証言したのだ。これ以上の証拠は必要ないであろう。確かな人物の証言は、百の証拠にも勝る!」
人生経験のあるマリントは、血気盛んな若者が興奮している時には、何を言っても無駄だと知っていた。
今のセリフは、とてもフランツの言葉とは思えないが――と、よくよく観察すれば、ゾフィーが娘の肩越しにニヤついているのが見えた。
どうやらインスブルック家の母娘の陳情を一方的に聞き入れ、母親のゾフィーに誘導された結果がこれらしい。
(許せモーリッツ……)
病のせいで長らく伏せっていたとはいえ、体に鞭打てば起き上がることはできたのだ――今日のように。こうなる前に打てる手があったはずなのに。
モーリッツが亡くなった後、残された娘のクラウディアの身を案じてはいたのだが。もっと早く手を差し伸べるべきだった。今となっては遅きに失してしまった。
(……はあ。どうやら判決は覆りそうにない。であれば、その後のことを考えたほうがよさそうだ)
マリントは発言を修正した。
「仰せの通りでございます。殿下のおっしゃる通り、まだ十五歳になったばかりと聞き、年若い娘に、ついほだされてしまいました。出過ぎた真似をお許しください」
「うむ。許す。温情のある公爵の助言は貴重だ。これからも遠慮せず申せ」
「はっ」
「そなたは亡くなったモーリッツと親しかったのであろう。案ずるな。インスブルック家に認めていた他国との独占的な交易はこれまで通りとする。本来納められるはずだった税は、情状酌量の申し出の折に、すでに納められておるしな」
不意に、どこかから声が上がった。
「なんと寛大なご沙汰でしょうか。フランツ殿下におかれましては、立派にハイマン王の名代を務められ、我ら臣下一同、この国の明るい未来に胸が高鳴っておりまする」
「いかにも」
「さようですな」
フランツを讃える空気が大広間を支配する中、ご満悦なフランツの前から、クラウディアは近衛兵に抱えられて部屋から連れ出されていった。