10・造船の神さまを罠にかけてみた
巡視船モドキの設計を半ば遊びで行い、軍令部へと示すと、やはり船首と艦尾の形状について質問をされたので、高速性発揮のための措置であることを説明して納得してもらった。
そこからはトントン拍子で話が進み、千鳥型水雷艇と共にその建造計画が推し進められることとなった。後から始められたはずの新型艦ではあったが、基本船体がすでにあったところに小幅な修正を加えただけの第一期グループは最速での建造スケジュールが組まれ、千鳥型を押しのける形で3隻の建造が組み込まれるほどである。よほど上海沖海戦が堪えてるんだろうな。本格的な波浪貫通型バウや切り落とし艦尾を備えた第二グループは水槽試験を経ての採用となるので少し遅れている。
そんな忙しい最中にR1とかいう飲み物でもグランプリでもない話が舞い込んだ。
「20ノットで飛行機を飛ばしたい?いや、無理でしょ。やるならシャルバでも積んだらどうですかね」
というと、相手はキョトンとしていた。え?シャルバ知らんの?オートジャイロだよ。カ号観測機って陸軍があきつ丸に積んだ哨戒機じゃん。え?あ・・・・・・
というわけで、シャルバ社への問い合わせやら、陸軍空母型特種船の設計まで舞い込んでしまった。どないしよう?
まあ、とりあえず船が欲しいという事で史実通りの神州丸なソレが完成するので今はそれで良しという話になったが、オートジャイロが使えるようなら改めて話がしたいという事になった。今は忙しいからその程度で済んでくれて本当に良かったよ。
そして、1933年の夏を過ぎる頃から初春型が試験航海に入り、どうやら大きな問題点は無かったとの報告が行えた。良かった良かった。
史実の初春型に対してかなり砲関係の重量を削減できているし、艦橋もはじめっから低い。気がかりは射撃指揮装置だったが、低重心化した事で問題にはならなかったらしいが、有明以後にはより軽量簡易化された小型艦用の装置へと変更される予定だ。今までが本来巡洋艦クラスに搭載すべき装置だっただけに、駆逐艦には不釣り合い過ぎた。
そう言えば、満賢君は父上同様に気性が激しく、御仁と気が合うかとも思ったが、まあ、磁石のように激しく反発している。同族嫌悪かな?アレ。
そんな満賢君は空母にかなり強い興味がある様で、龍驤に関して常に批判を行っている。
実は、例の波浪貫通型バウというのは、彼の理想とする船体中でも高速力を発揮できるように考えた一つの案だったりする。
ダブルステップバウという二段式船首構造というのは、大和型戦艦のバルバスバウの様な造波抵抗低減ではなく、船の長さ、それも水と接する面を最大限に長く取るための手法である。
一般に細長い船が高速向きだというのはよく知られている話である。では、大出力を得るために多数のボイラーや巨大なエンジンを備えて船体中央部を長くしても良いのかというと、そうではない。同じ長さであれば、より細い方がよく、さらに言えば細く伸びた船首部分が長いほど良い。
大和型を例にとると、30ノットを出すためにより沢山のボイラーを積んだり大型のタービンを積むために機関部を追加しても、重くなった分の馬力が食われてほとんど速力が上がらない。
ところが、基本スペックをそのままに船首を15~20m伸ばすとあら不思議、パワーアップもしていないのに高速戦艦の出来上がりという、GCデータが存在している。
そう、戦艦大和はほぼあのスペックのままでも船首を伸ばして全長280m程度にすれば15万馬力で30ノット出てしまうらしい。
そして、トランザム·スタンに関しては、かの英国面においてちょうど今頃建造されているはずだ。有名な艦では、遅れてきた中継ぎ戦艦ヴァンガードだろうか。切り落とし艦尾の採用で0.3ノット速くなったそうだ。
という話を満賢君にしたわけだ。
すると、戦艦型船体を弄って水面境界の長さを示す水線長(日本海軍では英国海軍に倣って艦首水面境界から舵軸までの長さである垂線間長が設計基準)をいかに長く取れるかの研究を行い、何やら会得しているらしい。それをもって残りの条約枠を埋めるべく新型空母に関する提案を行っているが、どうにも相手にされていない様子だ。
一度、息抜きの為にも彼に巡視船モドキの設計を任せてみようかな?
などとやっていると、あっという間に1933年が暮れて行ってしまい、藤本喜久雄にとって事実上最後の年が始まった。
1934年と言えば、就役したばかりの水雷艇が転覆事故を起こす、あの友鶴事件の年であり、これをきっかけに謹慎という憂き目にあう事になる。
1934年3月13日、最悪の結果が知らされてきた。乗員のうち生存者は20名程度だという。100名以上の死者行方不明者を出す大惨事となり、上海沖海戦に次ぐ大事件として海軍では大騒ぎとなっている。
「とうとう貴様も年貢の納め時だなぁ!藤本!!!」
喜々として飛んできた御大に対し、すかさず一言声を掛ける。
「確か、あの船体は貴方の設計ではありませんでしたかな?私は公試で沈むような大失態を回避しただけですので」
と、ありのままを告げる。
だって、千鳥型の設計者は実は平賀譲その人だもの。ねぇ?造船の神さま!!
喜々としていた顔が一気に青ざめている。気軽に罠に引っかかるからだよ。鬼門だと知っていたから回避策に出ただけなんだ、アレ。
「な、な、何を言うか!あれはお前が正式に仕上げたんだろうがぁ!!」
と怒鳴ってみても、事実は覆らんよ。しかも、大幅に武装を改変し、艦橋も平賀案より低くしたから、ちょっとやそっとで転覆などあり得ないはずだったんだがなぁ~
それが事故るのだから、歴史の力というのはちょっとやそっとでは覆らない宿命を背負っているのかもしれない。
さて、そんな友鶴事故に伴う性能評価委員会であるが、平賀派の面々が喜々として藤本派を蔑んでいるところに、顔面蒼白の盟主がご登場と相成り、混乱により拍車がかかっている。
「まず、事件に関する話の前にご報告いたします、本事件を引き起こした友鶴の基本設計者は、ここにおわす平賀譲殿でございます。まずは、設計者より、本艇の特性についての説明をいたしたいと思います」
被告席に座るはずの人間が検察席からそんな口上述べたらどうなるね?
予定通りの大混乱である。
「うるさい!俺はアイツに騙されただけだ!!」
と、被告が述べております。




