07 商工会まつり
二日後──土曜日。
快晴で、懸念されていた台風もそれて、花火は予定どおり七時半に打ち上げられる予定である。
商工会まつりは午後から開催される。南中学校のグラウンドに仮設ステージが組まれ、地域の団体の発表会がおこなわれる。小中学校のクラブの演奏や、和太鼓、ダンスなどなど。だれでも観覧できるが、まだ真上から日の射すこの暑い時間帯、見に来ているのはステージ出演者の関係者ぐらいだろう。
夕方になって──といっても、まだ日差しは強く、暑さもさほどやわらがないが──やっと少しずつ人が集まってくる。
会場には駐車場がなく、道路を挟んだ向かい側に建つ「いかるがホール」の駐車場も早くからうまってしまうので、遠方から来るには臨時にピストン運行される無料バスを利用することになる。法隆寺前の大きな駐車場まで徒歩で行き、そこから出ているバスがいかるがホールとを往復する。
午後四時。
灯雅が持参したうちわを扇ぎながら、目深にかぶった野球帽の内側の汗を気にしつつ待ち合わせの駐車場に着てみると、もう字川が先に来ていて駐車場横のインフォメーション「法隆寺iセンター」の中で涼んでいた。
法隆寺iセンターは二階建てで、法隆寺の関連資料がおかれていた。屋根瓦や模型やらが展示され、大型ビジョンにエンドレスで法隆寺を紹介するビデオが流されている。喫茶店もあって休憩にはちょうどいい。わずかだが記念品も売っていた。
この時間、バスを待っているのは、自転車では行けないような小さな子供のいるファミリーが多かった。
「やぁ」
と、声をかけた灯雅は、字川の服装に戸惑う。
藤色をベースにした浴衣だった。灯雅の、洗いざらしTシャツに膝までの短パン、クロックスという、近所のコンビニに行くようなのとは違う、気合いを感じさせる服装だった。ほんのりと香水の香りまでする。
「は、早かったね……」
噛んでしまった。
「あとの二人は?」
「遅れるから、先に行ってって、メッセージが入った」
「うそっ?」
灯雅にはそんな連絡はなく、信じられない。電話で打ち合わせたときは、なにも予定はないと言っていた。にもかかわらず二人そろって遅刻を字川に知らせてくるとはどうなっているんだ?
「あ、バスが来たわ」
どこか作為的なウラを感じ取った灯雅だったが、目の覚めるような黄色の帯をしめた背中を向けて歩きだす字川に、真相を確認するタイミングを逃してしまった。
臨時バスは二〇分おきにでていた。国道25号線に面する駐車場からバスに乗ると、一〇分ほどでいかるがホールにつく。白地にグリーンのラインが入った中型バスの車内は、ほどほどの混み具合。打ち上げ花火目当ての乗客で満員になるにはまだ時間が早かった。
がやがやとした車内で、灯雅と字川は無言だった。滅多に乗らないバスから見える風景は視線が高く、よく知っているいつもの町が新鮮に感じられた。
田んぼのなかに唐突に現れた大きな屋根のいかるがホール。その裏側にある駐車場に入ったところでバスは停止する。続いて降りていく乗客。
長いスロープの歩道橋をわたって交通量の多い道路をこえると、すぐ南中学校だ。人の流れにしたがって校門を入った。
中学校の駐車スペースに設けられた会場は、もうかなりの人で賑わっていた。左右には出店が並び、子供たちが群らがっていた。浴衣を着ている人は少ない。
奥に仮設ステージが作られていた。
「もうそろそろ漫才が始まるころね」
字川が、手に持っている商工会まつりのチラシを読んでいる。タイムテーブルによれば、すでに地元のバトントワリングやクラシックバレエや和太鼓やらの有志、中高生の吹奏楽部の演奏なんかが矢継ぎ早に終わっていた。
「じゃ、もっと前のほうへ行く?」
灯雅はそう言うと、二人して人をかき分けるようにしながら奥のステージへと近づいていった。ところがステージの近くではすでに色とりどりのレジャーシートで占領されていた。花火目当ての人が、もうこの時間から場所取りをしているのだ。夜の花火はステージの後ろ、フェンスの向こう側の中学校グラウンドから打ち上げられる。おそらくここが特等席になるだろう。間近で開くスターマインは大迫力に違いない。
灯雅と字川は、他人のレジャーシートをふまない位置までステージに近づいた。高さ一メートルほどのステージの上には「商工会まつり」の看板がかかげられていた。
そのとき、あっ、と灯雅は気がついた。
控え室用にとステージの右側の袖に張られた、幕で覆われたテントの近くに、やや緊張した面もちで立っているのは梅山計輔ではないか!
「あいつ……」
遅れると言っておきながら先に来ている。
おかしい、とは思っていた。将来は漫才師になると豪語している梅山が、売り出し中の若手コンビによる漫才が間近で見られる機会に、どんな理由があっても遅刻してくるとはちょっと考えられない。
では、なぜ遅れてくるなんて言ったのだろう?
いや──。それを聞いたのは字川からであって、梅山本人からではない。
灯雅は傍らに立つ字川の顔をチラと見る。赤い髪飾りが灯雅の疑惑を強烈に否定しているかのように自己主張していた。
(本人に確かめてみるか)
そう思って、
「ちょっとここで待ってて」
字川に言い残して歩き出そうと一歩踏み出す。が、後ろ手をつかまれる。
「もう、漫才がはじまるよ」
字川の微笑みは有無を言わさないものがあった。
その言葉どおり、商工会の若い男性ボランティアスタッフがマイクを片手にステージに勢いよくかけ上がり、
「みなさん、暑いなかお待たせしました。ただ今より、お待ちかねの若手漫才師による楽しいステージが始まります!」
ステージの左右に置かれた黒い業務用スピーカーから、会場の外にまで聞こえそうな音量で声が響く。
「本日は、三組の漫才師の方々に登場していただきます。さっそく一組目をご紹介します。ええっと……」
と、手にしたメモを確かめて、
「ベーカーズのお二人です! みなさん、拍手でおむかえください!」
スタッフがステージの左袖にひっこむと、入れ替わるように右袖から、髪を金色に染めた若い男二人が現れた。テレビのローカル番組でときたま見るコンビだった。
「どうも~、ベーカーズでぇす」
声をそろえてあいさつする。
灯雅はまたもタイミングを逸してしまった。漫才が始まっても気にせず移動してもよかったが、字川が握りしめた手を放してくれなかった。
しかたなくその場で漫才を聞く。
軽快な口調の漫才が始まっていた。
「こんな炎天下の暑いなか、こんなに集まってもらって、うれしいやら、あきれるやら」
「あきれるって、なんやねん」
「冷房のきいた部屋におるのが普通やろ。ほら、正面におるカップル、手ぇつないで、めっちゃ暑いやろ」
ネタに入る前の前振りで、いきなりいじられた。字川の浴衣が目についてしまったのだろう。大勢から注目されて、これでは字川の手を振り払って移動するわけにもいかない。
と、ステージに集中していた梅山も灯雅と字川を見ていた。当然、気づかれたわけだが、なにか言いたそうな視線をステージに戻し、何事もなかったかのように漫才に見入る。
灯雅はなんとなく気まずい気持ちになり、汗まみれで演じられる漫才を楽しむことができなかった。
「どうもありがとうございましたー!」
五分ほど経過して、一組目の漫才が終わってしまった。
さっきのボランティアスタッフが再びステージに上がり、次の漫才師を紹介する。
「さ、今のうちに」
灯雅は字川の手をひいて、人をかきわけながら梅山のいるところへと移動する。
抵抗するかと思った字川だったが、ついてきた。
ステージ上には、そろいのブレザーを着た二人組が上がっていた。
「よ、梅山」
灯雅は声をかけたが、
「ごめんだけど、話はあとだ」
真剣にステージを見ようとする梅山。テレビのお笑い番組を見ているのとは違う、なにかを得ようという眼差しがまっすぐで、灯雅も口を閉じて待たざるを得ない。
ブレザー二人組の漫才が始まった。
灯雅も立って漫才を見る。テレビでは見たことがあるかもしれないが記憶にないコンビ名だった。エネルギッシュな必死さが伝わってきて純粋に面白かった。
三組目に登場したのは、なんと、この町内出身の漫才師だった。「拾い喰い」というインパクトのあるコンビ名の男二人は同級生だと自己紹介し、しかも商工会まつりの会場となっている南中学校卒。漫才の中身も非常にローカルで、法隆寺や藤ノ木古墳への徒歩での遠足やら、町内を走るコミュニティーバスは帰りが困るとか、毎年四月の町民運動会の開催場所への坂道が急だとか、地元の人間にしかわからないようなネタのオンパレードは三組の中で一番の大ウケだった。
大きな拍手に送られて、彼らがステージから下がる。
「どうだった?」
熱心に見ていた梅山に、灯雅はあらためてそう声をかけた。
「ああ、テレビで見るのと違ってライブはやっぱりいいな」
余韻さめやらぬ、といった様子の梅山は、ところで──と、口調を変えた。
「麦沢は急に都合が悪くなったんじゃないのか?」
「えっ?」
灯雅は目をパチクリする。都合が悪いなどと言った覚えはない。
が──。
「ああ、そういうことか」
合点した梅山は、字川の浴衣の肩をぽんぽん、と軽くたたき、
「気合い入ってるじゃないか。まぁ、がんばれ。それじゃ、おれはこれから天岡を呼んで二人で花火を見物するとするから」
「あ、それなら、みんなで花火を見ればいいだろ」
去ろうとする梅山は振り返る。
「そいつは野暮ってもんだぜ」
人差し指を立て、芝居がかったセリフを吐いた。
もはや字川の工作は明白だったが、あえてそれに触れず、乗せられてやろうという意図の梅山の言動は、しかし灯雅にとってはありがた迷惑だった。
駆け寄って、梅山に耳打ちする。
「字川とでは場が持たないだろ」
今までろくすっぽしゃべったことのない相手では、どうにも気まずくて。
しかし梅山は仕方なさげに眉を下げ、
「男ならしっかりやりな。クラスのやつには黙っておいてやるから。もっとも、見つかったら知らんけどな」
言い残し、歩き出す。
あのあのあの、と言いかけた口のまま、灯雅は固まった。その背後から字川が言った。
「暑いからかき氷たべようよ」
時刻は五時半。ステージ上では、毎年豪華な賞品が並ぶことで人気のビンゴ大会の準備がすすめられていた。
花火大会は七時半からで、商工会まつりはまだまだ続く。字川との長丁場を乗り切れるだろうかと、灯雅は漠然と不安を感じる。