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05 夏休みが始まって

 夏休みに突入した。早朝からクマゼミが大音響で鳴いている。

 太陽はすでに高くにあり、無慈悲に地上を灼いて気温は早くも三十度に達しようとしていた。熱帯夜の寝苦しい寝床から汗まみれで目覚める朝。

 そんな酷暑の毎日であるが、それでも夏休みともなればハッピーなのだ。小学生のときとは比べものにならないほど大量に出された宿題に閉口しながらも、これから一ヶ月も続く自由時間にわくわく感が抑えきれない。しかもこの夏はいつもと違っていた。

 エミルの存在である。

 いまだ正体不明のロボットがどんな秘密を持っているのか、また、なにをもたらしてくれるのか、麦沢兄弟にとって大きな関心事であった。

 ナノマシンで怪我を治したり、人間と区別がつかない外見であることから、エミルはおそらく遠い未来からやってきたのであろう。そこは疑いなさそうだとして、問題はその目的だ。

 ターミネーターのように、未来世界で仇なす存在を過去に行って消し去ってしまおうというのは考えられなくもないが、記憶がないとはいえエミルののほほんとした態度を見みるにどうもそれはなさそうだった。

 ではドラえもんのように過去を変えることで未来のさだめを良くしようという極めて個人的な理由からやってきたのか──。もしそうなら、だれの運命を変えようと……秀電も灯雅ものび太ほど将来を心配されるほどダメ人間でもない。

 すぐに結論の出る話ではないが、いずれにせよ、すでにエミルは過去に干渉してしまっている。未来がどうなってしまうのかは神のみぞ知る──いや、神でも予測できないかもしれない。

 とはいうものの、麦沢兄弟は、そんな小難しい危惧を抱く気はさらさらなかった。まだ見ぬ未来が変わるといわれても具体的なイメージができなかったし、というか、コトが大きすぎて思考が届かないのだ。十代の少年に大臣の仕事がイメージできないのと同じである。

 さらに弟・灯雅には解決しなければならない案件が他にのしかかっていた。

 字川玲花である。

 どう対応してよいかわからずにいた。ただ、夏休みだから毎日顔を合わせることもないのが救いだった。あるいは、向こうもそれが気まずいから夏休み直前を選んだのかもしれなかった。

 いずれにせよ心にささる小さなトゲのようにチクチクと気がまぎれない。べつに嫌いというわけではないのだが、大っぴらに付き合うというには抵抗があった。

 灯雅には、今、エミルがいた。エミルの存在は字川よりもはるかに刺激的で、少年心をくすぐった。

 字川と比べるのも酷ではあるが、少年にとって理屈では割り切れない感情に、自身、どう対処してよいかわからないでいた。

 そんな弟の気持ちは兄の秀電にも理解できた。しかし、

「ちゃんと真面目に向き合ったほうがいいぞ」

 高校のクラブ活動──空手道部の練習に出かけようと身支度を整える秀電は、さりげなくアドバイスする。

「おれもそうしていたら、今ごろ……って思うことあるからな」

 秀電にとってその過去はまだ生々しく、甘酸っぱい思い出として感じられるには、まだ何年か発酵が必要だろう。

「うん……」

 と、灯雅は生返事。わかっているのかどうか──。

 充電中でスリープモードのエミルが部屋の片隅に突っ立っている。およそ十帖ほどの部屋で圧倒的な存在感を放って。

 灯雅が寝ぼけ眼でそれを見ていると、

「じゃあ、行ってくる」

 言い残し、兄は部屋を出て行った。

 灯雅は朝食もまだだった。パジャマがわりのTシャツと短パン姿で二段ベッドの上段でたたずむ。両親はこの時間すでに勤め先へと出かけていて、秀電が高校へ行ってしまうとエミルと二人きりになる。

 暑さにエアコンをつけたいところだが、エミルが充電中ではブレーカーが落ちてしまう。

 ──とりあえずリビングで涼みながら朝メシ食って宿題を片づけてしまおう。

 そう思った。

 はなはだしくやる気はおきなかったが、スマホゲームはただの暇つぶしにしかならないし、テレビなんかはもっとつまらなかった。

 暑さから避難するついでに適当に選んだワークブックとペンケースをもって部屋を出た。

 一階へ降りる階段の途中でスマホがなった。メッセージ着信。

 灯雅はリビングのエアコンをオンにしてからメッセージを開いた。

 うっ……と、うめいた。

 字川からだった。

 合皮のカウチにどっかと腰をおろし、朝っぱらから何事だといぶかりながら文面を読む。

〈土曜日の商工まつり、いっしょに行かない? 漫才師も来るし〉

「あー、そうだったな」

 灯雅はつぶやいた。

 毎年、七月の終わりごろ、町の商工会主催の夏祭りが開かれる。南中学校のグラウンドで縁日やらステージやら、夜には打ち上げ花火もあって、娯楽の少ない町故、けっこうな人出で賑わう。

 ただ、打ち上げ花火なら遠くからでも見えるので、毎年家の近くから見物していてわざわざ会場まで出向くことはなかった。

 けれども……。

 灯雅は迷った。

 行くというと、二人きりでは間がもたないし、かといって行かないというのもつれない。

 どう返事をしてよいものかと考えると、冷蔵庫のなかを確かめる気もリビングテーブルにおいた宿題を開く気にもならなかった。

 だれかに相談するわけにもいかない。すぐには返信せず、熟考する。

「なにをしているの?」

 いきなり声をかけられて、灯雅は飛び上がった。

 足音もなく、エミルが二階からおりてきていた。リビングに一歩足を踏み入れて、開きっぱなしのドアを手で軽く押さえていた。充電が完了したようである。

「宿題をやろうとしていたところだよ」

 灯雅は取りつくろうかのように、ペンケースをあける。

「ふうん、そうなの」

 エミルは、リビングテーブルにおいてある町の広報誌をなにげなく手に取った。毎月町から配られてくる二色印刷されたそれに、フルカラー印刷のチラシがはみ出していた。引き抜くと、A3二つ折りで、広げるみると商工会まつりの案内だった。会場地図や催しもののタイムテーブル、協賛企業などが詳細が載っていた。

「あ、なにこれ、楽しそう」

 反応した。

「行くなよ」

 灯雅はすかさず釘をさした。あんな大勢の人間があつまるところへ行かれたらどんなことが起こるかわからない。不吉な予感が頭上に垂れ込める雨雲のように心にのしかかる。

「まだ行くって言ってないのに」

 エミルは頬を膨らます。

「でも行きたいんだろ?」

「打ち上げ花火ぐらいなら、見てもいいんじゃない? 夜だし」

 と、しげしげとチラシを眺めるエミル。

「そうだ!」

 灯雅ははたと思いたった。スマホで電話をかける。メッセージの返事を待っているのがまどろっこしかった。コール七回で相手がでた。

「なんだい、こんな朝っぱらから」

 天岡幸信の眠そうな声がぼそぼそと聞こえた。まだ眠っているところを叩き起こされたらしい。もう九時をすぎているというのに。

「こんどの商工会まつり、行ってみないか?」

「はい? なに寝言いってんだ?」

 こんな時間まで寝ていたやつに言われたくないセリフを返された。

「一度行ってみようぜ」

 一瞬ムッとした灯雅だったが、めげずに誘った。

「ああ……たしか夕方から漫才のステージがあって、そのあとビンゴ大会だっけ?」

 行くつもりがなかったのかと思いきや、案外詳しくチェックしていた。これなら、と期待した。

「そうそう。梅山も誘ってさ」

「梅山なら、最初はなっから行く気まんまんだったぞ。おれたちが誘わなくても一人で行くだろ。若手の漫才師が来るんだからな」

「あっ、そうか!」

 思い出した。梅山の将来の夢は漫才師だった。テレビでブレークしている完成されたネタよりも、まだ成長途中にある若手のほうがなにかと参考になるのかもしれない。

 梅山が行くとなれば、話は早い。

「ならいっしょに行こうぜ。予定あるのか?」

「いや。予定なんかあるわけない」

「じゃ、決まりだ」

「暑いのに」

「夏は暑いに決まってるだろ」

「えらくテンションが高いな。なにかあったのか?」

 なにかを察して、天岡はうかがうように訊いた。

 それに答えず、灯雅、

「じゃ、梅山に連絡しとくよ。行く時間はあとから決めるから」

 それじゃ、と通話を終える。

 みんなで行けば怖くない。これなら自然だし、字川もあからさまな態度では接してこないだろう。そう考えると灯雅は心が弾んだ。雨雲がさっと切れて、太陽が明るく照らしだしたかのよう。

「ずるい。灯雅ばっかり楽しんでさ」

 テレビをつけて、朝のワイドショーの芸能コーナーを見ていたエミルが振り返った。

「こっちにもいろいろ事情があるんだよ」

 弁解するも頬がゆるんで悪びれた様子もない灯雅。エミルが不満がるのも当然である。

「エミルのことはおおっぴらにできないんだし、そこはわかってくれよ」

「ぶう……!」

 こんな問答は、エミルか来てからこっち、もう何度も繰り返してきた。

 カゴの鳥のような扱いはたしかに気の毒ではあると灯雅も同情していたが、明快な解決策は思いつかなかった。放置するつもりはないが、まずは目下の問題を解決するほうがさきだ。

 目処がついてとりあえずホッとした灯雅は、朝食がまだなのを思い出してリビングの横のキッチンに回り込む。三帖ほどのカウンターキッチンは、洗っていない食器がシンクに置かれたままで朝のあわただしさが目に見えるようだった。

 麦沢兄弟が幼いころにベタベタ貼ったシールだらけの冷蔵庫の扉を開けると、ゆうべの残りのゴーヤチャンプルーが小皿にひと盛りしかなかった。

「…………」

 小皿を取り出し、灯雅はつぶやく。

「そういうオチかよ」

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