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あぶく姫  作者: 城内早良
本編
7/10

6

(綺麗……)


 翌朝、ダフネの部屋を訪れたクリストフは黄色い花束を手にしていた。この間庭でダフネも見た、ミモザの花だ。

 小さな丸い花がぽつぽつと咲いていて、優しい匂いがする。ソファの上でダフネは花束を抱きしめて、ふんわりと香るミモザの匂いに包まれる。

 とても幸せな気持ちだ。ベッドにミモザを敷き詰めて、その上で寝たらとても幸せな夢を見られそう。


「喜んでもらえて良かったです。この間は香りを楽しむほど傍には寄れなかったので」

「マノン様、匂いはなくなってしまいますが、ミモザは飾りながら乾燥させてドライフラワーにすれば長く楽しめるんですよ」

(そうしましょう!)


 アンヌが毎日部屋に花を生けてくれていたが、こうして花束をもらうのは初めてだ。

 本当は一日中抱きしめていたいぐらいだが渋々アンヌに手渡す。それをクリストフが嬉しそうに眺めていたのだが、ダフネは気づかなかった。


「あと、これは兄さんからです」


 そう言ってクリストフがダフネに手渡したのは、折り畳まれた紙だ。なんだろう、とダフネは広げて読む。


『マノンおはよう。

 今日も午後に会いに行ってもいいだろうか。

 庭と図書室だったらどっちがいい?

 パトリック』


 これはきっと、昨日パトリックが言っていた文通だ。早速書いてくれたのだと嬉しくなる。


「パトリック様からのお手紙ですね。マノン様、お返事を書きましょう。すぐに渡してきます!」


 そう気づいたのはダフネだけではなくアンヌもだったようで、花瓶に生けた花をダフネの前のテーブルに置くと、書くものをささっと用意してくれた。ダフネはありがたく思いながら、悩みつつ返事を書く。

 せっかく天気も良いから庭へ行ってもいいし、借りてきていた本も読み終わってしまっているので図書室に行くのもいい。でも天気を優先して庭にしよう。海の中にいたときは、雨だろうと雪だろうと水底には関係がなかったから気にしなかった。地上に出ると、雨の日は外に出るのが億劫になる。洋服なんてものを身に着けているから、濡れるのが嫌になるのだ。

 早速手紙を書いてくれて嬉しい、と思ったままを書いていたら、ダフネの手元をクリストフが覗き込んだ。


「ふーん、午後は兄さんとデートですか」

(デート?)

「クリストフ様はほぼ毎日マノン様と過ごされてるんだから、たまにはパトリック様とデートされたっていいじゃないですか。マノン様、パトリック様にお渡ししてきますね」


 ダフネから手紙を受け取り、慌ただしくアンヌが走っていってしまう。

 デートとは何なのだろう。

 聞こうとクリストフを振り返りダフネは固まった。思いの外近くにクリストフの顔があったからだ。

 いつの間にか隣に座っていて、鼻と鼻がくっつきそうだ。クリストフはいつも距離が近いけど、いつにもまして近い。クリストフのさっぱりとした柑橘系の香りもする。


(クリストフ……?)

「僕も一緒に、いさせてください。嫌ですか?」


 勿論嫌だなんてことはないから、ダフネは首を振る。すると縋るような眼差しだったのが和らいだ。

 手に持ったままだった羽ペンで、先程アンヌが一緒に持ってきてくれていたノートに文字を書いていく。


『デートとはなんですか?』

「デートは……異性として意識している人とふたりきりでいることですかね。茶化している場合もありますが」

『異性として意識って?』

「もっと知りたいと思っていたり、付き合ったり結婚をしたいと思っていたり、程度の違いはあれど、好意を持っているということです」


 つまり、伴侶になりたいということか。

 ダフネは、パトリックに愛されなければならない。それは結婚したいとほぼ同意義だろう。だからダフネは、パトリックを異性として意識していることになる。

 でもパトリックはどうなのだろう。ダフネのことを異性として認識しているのだろうか。


「……マノンは、兄のことをどう思っていますか?」

(え?)

「好意的なのはわかります。それ以上に、異性として見ているのですか?」


 異性として、意識しているに決まっている。だってダフネはパトリックに愛されたいのだから。

 でも、すぐにそう答えてしまうのには躊躇いがある。

 アンヌは、好きな人と愛し合ってお付き合いして、結婚するものだと言っていた。貴族とかになると家のために親が選んだ人と結婚したりするものだけど、本当は皆、好きな人と結婚したいのだと。

 ダフネは、泡になりたくないからパトリックに愛されたいのだ。そして愛し合ったら結婚するものだというから、結婚したいとも思う。

 パトリックは、素敵な人だ。ダフネのことを拾ってくれて、忙しい中でも時間を作って、ダフネのことを気にかけてくれる。

 パトリックと話すのは楽しい。人間の気持ちはまだわからないところもあるけれど、きっとこれは、愛情に近いもののはずだ。


「変なことを聞いてすみません。リハビリ始めましょうか」


 答えないダフネに申し訳無さそうにクリストフは言う。そんなにおかしな質問をされていないのに答えられないダフネのほうが申し訳なくて、ぶんぶん横に顔を振る。

 するとクリストフの腕が伸びてきて頭を撫でられた。ダフネは初めて頭を撫でられたが、すりすりと撫でる手が優しくて、胸がきゅっと締め付けられたようになる。

 パトリックといるととても穏やかな気持ちになるけれど、クリストフといると胸がどきどきしたり、締め付けられたようにおかしくなったり顔が熱くなったりしてばかりだ。病気なのだろうか。


「戻りまし……もうクリストフ様! 何をなさってるんですか!」

「あっ、つい可愛いなと思ったら手が……」

「マノン様は犬じゃないんですから」


 クリストフの手が離れてしまう。もう少しこのままでも良かったのに、と思うけれど言葉にはしないで、ダフネはクリストフとアンヌの手を借りてリハビリを始めた。




 *****




「迎えはいいというから変だと思ったが、何でおまえもいるんだ」


 クリストフに抱えられてきたダフネを見て、パトリックは顔を顰めた。

 やはり駄目と言うべきだったかなと、ダフネは少し後悔する。というのも、あの後戻ってきたアンヌに、絶対パトリックは二人きりで会いたいはずだからクリストフは置いていったほうがいいと言われたのだ。アンヌはクリストフに向かっても「ダフネ様は優しいから断れないに決まってるのに何言ってるんですか」と散々文句を言っていた。

 そしてクリストフが譲歩した結果。


「僕はマノンの送迎係なので。部屋に戻る頃また迎えに来ますね」


 そう言うクリストフを見るアンヌの目が冷たい。

 この間は噴水の前に置かれていたテーブルは、今はマグノリアの下に置かれている。大ぶりの白い花を真下から見上げるのもまた素敵だなと見上げていると、ダフネに紅茶を注いでくれていたアンヌがくすりと笑った。


「クリストフ様は本当、マノン様にべったりですね」


 昨日は夜まで会わなかったけれど、その前まではほぼ半日以上は顔を合わせていたのは確かだ。でもそれをべったりと表現してしまうのはどうなのだろうとアンヌを見つめていると、彼女はダフネの手元に筆記具を置きながらふふっと含み笑いをする。


「マノン、クリストフのせいでなにか困ってたりはしないか?」


 困るようなことはあるだろうか。ダフネはクリストフにはお世話になりっぱなしだ。

 どきどきさせられることが多いのは困りものではある。クリストフはダフネに対して距離が近い気がする。とはいっても、人間の異性はパトリックとクリストフしか知らないから普通なのかもしれない。パトリックは初めて会ったときを除いて、向かいに座る以上に近づいてきたことはない。

 どきどきしているのはダフネの勝手だからクリストフのせいにするのは悪い気がする。


『困るようなことは何もないです』

「そうか。あいつが女性に積極的に接しているのを初めて見るから、どうなのかと思ってな」

『クリストフ様はとても優しいです』

「違和感しかないが……自分に重ねているのかもしれないな」


 パトリックのあまりの言い様に普段のクリストフの様子が気になる。クリストフはダフネは勿論アンヌに対しても紳士的で、アンヌも理想的な雇い主だから死ぬまで勤めたいと言っていたのだ。

 歩けなかった自分と同じだからとダフネに親近感をもっているのはパトリックが言っている通りだろう。

 それに加えて、クリストフと同じ瞳の色だからじゃないかとダフネは気づいた。人間には珍しい瞳の色らしいから、仲間を見つけて嬉しいのかもしれない。だから優しいのだ。


「せっかくゆっくりできるから、マノンの話を聞きたい。言葉は知っていたとはいえ、一週間でこんなに書けるようになるとは思わなかった。どうやって勉強してたんだ?」

『アンヌとお話したり、本を読んだりしていました』

「そういえば、この間童話を沢山借りていたな。俺はあまり読まなかったが、クリストフがよく読んでいたのがあったな。……確か人魚姫とかだったか」


 人魚姫なら読んだばかりだ。まるで自分のことのように。


『人魚姫なら、アンヌと読んだばかりです』

「あれは物語だが、テティス嬢から聞いところによると、この辺りの海には人魚がいるという噂があるらしい」

「まぁ、そうなんですね。クリストフ様の御領地にも同じような噂があるそうですよ」

「それは知らなかった。ここからは遠いのにな」


 そんな噂があるのか。

 ダフネはパトリックを助けるまで人間についてあまり知らなかったのに、パトリック達人間は人魚のことをよく知っている。ダフネの他にも、人間になった人魚がたくさんいるのだろうか。そうでなければ、まるでダフネのことを書いたような物語はできないのでは。

 だが、もし他にも同じような人魚がいたとして、彼女らはどうなったのだろう。人魚に戻ることができたのだろうか。それとも、あの物語のように…。


「マノンは、人魚の噂を知っていたかい?」


 パトリックの質問にダフネはどきりとする。

 彼はきっと世間話のつもりで話しているのだ。ダフネがこの辺りにいたと思っているようだから、それならば知っているかもしれないと。

 決して、ダフネのことを人魚だと疑っているわけではないはずだ。なのに、そう思えて仕方ないのは、ダフネが本当は人魚だと隠しているからなのだろうか。

(ここで知っていると答えて、もし、人間が知らない人魚のことを話してしまったら……)

 人魚だと露見してはいけないと、ダフネは首を振った。


『人魚姫を読んで、初めて人魚を知りました』

「そうか。マノンはどんな話が好きなんだ?」

『読んだ中では、サンドリヨンが好きです』

「あぁ、ガラスの靴が出てくる物語だったかな。なんとなくは覚えているが……マノンは主人公が幸せになって終わる話が好きなのか?」

『そうかもしれません。パトリック様はどうですか?』

「俺もそうだ。せっかく作り話を読むなら、楽しい気持ちになりたい」


 人魚の話から離れてダフネはホッとする。

 人魚姫の話も、人魚姫が王子様と結ばれて終わればよかったのに。仮に、その話の元となった人魚がいたのだとしても。

続きは明日更新予定です。

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