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その後、少し時間があるというパトリックと、戻ってきたアンヌとでダフネはテーブルマナーをおさらいし、アンヌにいつも以上に気合いの入った化粧などを施され、ダフネは晩餐の席についていた。
パトリックとクリストフと三人で夕食を摂っていたのと同じ食堂だが、テティスがいることで何故か雰囲気が異なって見える。以前はいなかったメイドたちが並んでいるからなのかもしれないと、テティスは思うことにした。
「貴女、テーブルマナーはお二方に教えてもらったの?」
(そうです)
「慣れてないでしょうに、綺麗な食べ方ね」
(!)
テティスが褒めてくれたのでダフネは嬉しくなるが、そう言うテティスのほうがより優雅に食べている。どこが違うのだろうと見惚れていると、クリストフが口を開いた。
「マノンは勉強熱心なので教え甲斐があります」
「テーブルマナーについては俺が教えただろう」
「そういえば、パトリック様は学院でも教えるのが上手だと評判でしたわね」
そんなふうに三人が話しているのを聞き、時折テティスやクリストフから話を振られながらデザートになった。
三人の話題は主に学院とやらのことだ。学院とは貴族の子女が一定の年齢になったら通う場所で勉強をしたり、友人を作ったりするところなのだそうだ。人魚にも似たようなものがあった。街に住んでいる年上の人魚が知識を伝えてくれるのだ。人魚のそれは何回かに分かれていて、次は伴侶や生殖について教えてくれると言っていた。
テティスとパトリックは同い年らしく、学院でどんな風だったか様々なエピソードを楽しそうに話し合っている。年下のクリストフとダフネは少し置いてきぼりになってきた。
「今日は行けませんでしたが、アンヌとリハビリできましたか?」
(ええ。いつも通りにしたわ)
「よかった。一日行わないだけでも三日分が無駄になりえますから」
そんなに違うのかと吃驚する。アンヌもダフネも、クリストフが来なくても当然やるものだと思っていたから良かったけれど。
「明日は行けるので、安心してくださいね」
(ありがとうございます)
「……そういえば、テティス嬢は合唱クラブに入っていたんだったか」
「ええ」
ふと聞こえた隣の会話にダフネはテティスを見てしまう。
合唱クラブに入っていたということはテティスは歌が好きなのだろうか。ダフネは歌を歌うのも好きだったが、聞くのも同じぐらい好きだ。テティスは声が綺麗なのできっと歌声も素敵だろう。
聞いてみたい! 言わずに見てると、テティスはダフネと視線を合わせた後、初めて表情を変えた。
狼狽えているというか、困っているというか。
「そんな顔で見られても歌いませんわ」
(そんなぁ…)
「よくマノンの言葉がわかったな」
「言われなくてもあんな顔で見られたら分かります」
そう言って、まだ困ったような表情を浮かべながらもテティスは紅茶を飲む。
きっとどんなことがあっても表情を変えないのが淑女の嗜みなのだろうが、戸惑いであろうとそれを露わにしているほうがテティスは魅力的だとダフネは思った。きっと顔立ちがいいから、どんな表情をしていても美しく見えるのだろう。羨ましい。
簡単な歌はアンヌが歌ってくれたが、下手だからとあまり歌ってくれなかった。人魚だった頃は毎日のように歌ったり、歌を聞いていたダフネは、歌えない今せめてもっと聞きたい。
懲りずにテティスに視線を送っていれば、溜息を吐かれた。
「……少しだけですよ」
(やったー!)
「では、賛美歌を」
歌が好きな人に悪い人はいない、ダフネはそう思いながら感謝の気持を込めて両手の指を組んで拝むようにテティスを見る。
コホンと一つ咳払いをしてから歌いだした、テティスの歌声は美しいと声と相まってやはり素晴らしかった。
賛美歌が神様とやらを称える歌だというのは既にダフネは知っていた。だからか、テティスが荘厳に見えるし、神様を信じていないダフネにも尊い何かはいるのかもしれないという気持ちにさせる。
テティスが歌い終えても、うっとりと聞き入っていたダフネはぽやぁとしてしまったし、それはパトリックとクリストフも同じだったようだ。
「歌い終わりました。もうそんなに見ないでください」
「……初めて聞いたが、思っていたよりすごいな」
「僕達の代まで語り継がれていたので不思議に思っていましたけど、これだけ歌えれば語り継がれてもおかしくないですね」
(うんうん!)
下手な人魚よりも上手かもしれない。流石に歌姫と呼ばれたダフネには劣るかもしれないけれど。
話したい。一緒に歌ってみたい。テティスともっと仲良くなりたいが、テティスはダフネとそこまで親しくする気はないようだ。
その証拠に、出会ったときから気にかけてくれているようだが、積極的にダフネと関わろうとはしていない。やはり勝手に屋敷にいるからなのか、身分が違うからなのか、それとも別の理由があるからかは分からないが。
「さて、そろそろ僕はマノンを部屋へ送り届けてきますね」
「ああ、頼む。マノン、また明日」
「おやすみなさい。良い夢を」
(おやすみなさい)
クリストフがいつものようにダフネを抱き上げてくれるので、ダフネは自然な流れで首に両手を回す。食後すぐに抱き上げてもらうときはいつも、重くないだろうかと不安になる。だがクリストフはいつだって涼しい顔でダフネを抱えてくれるし考えないことにする。その代わり早く歩けるようになろうといつも思うのだ。
テティスが微笑んで手を降ってくれ、パトリックも腰掛けたまま見送ってくれる。手を振り返しながら二人はまだ部屋に戻らないのだとぼんやりと思う。
「マノンは歌が好きでしょう。歌うのも好きだったんですか?」
(好きだったわ)
「いつか聞いてみたいです」
ダフネは歌にだけは自信があるから、お世話になっているクリストフには是非聞いてほしいと思う。そうしたらテティスにもどうにかお願いできないだろうか、一緒に歌いたいと。
なんて想像をしていれば、ダフネの部屋の前へ辿り着く。
クリストフがドアを開けるが、アンヌはまだ夕食から戻っていないのか、部屋の灯りは付けてあったが誰もいなかった。
クリストフはいつものように、ダフネをソファの上に下ろしてくれた後、うーんと悩む素振りを見せた。
「アンヌが戻るまでいましょうか」
(きっともうすぐ戻ってくるだろうから、大丈夫)
「僕もどうせ入浴して眠るだけですから」
そう言ってクリストフは隣に腰掛ける。パトリックは基本的には向かいに座るが、クリストフはいつも隣に座る。
断りはしたが、クリストフがいてくれるなら心強かった。明かりがついているとはいえ、部屋の隅は薄暗い。海の中であれば夜も怖くはなかった。いつも夜の海は同じ色をしていたし、魔法で灯した明かりは薄ぼんやりとしていた。陸の上は明るい場所と暗い場所がはっきりしているのがなんだか怖いのだ。昼のようなのに、振り返ると真っ暗い闇が口を開けているのが。
「あと半月程したら、僕達は領地へと戻ります。そのとき、もしよければ一緒に来てもらえませんか?」
クリストフはダフネの手を取り、徐にそんなことを言った。
彼らが帰るとき、ダフネはどうしたらいいのだろうかと一日に一回は考えていた。歩けていたらパトリックたちとを見送り、この館からも出ていかなければならないのだろうと。まだ歩けなかったら、クリストフに歩けるまでは診てもらえないかお願いしようと考えていた。
どうにかしてパトリックの傍に居なければならないから、そのためにクリストフといられるのであればとてもありがたかった。
けれど、何故そんなことを言ってくれるのだろうか。半月のうちにダフネは歩けるようになっているかもしれないのに。
そっと、親指ですりすりとダフネの手の甲を撫でるクリストフは何を考えているのだろうか。
「勿論、歩けるようになっていても、なっていなくても」
(……なんでなの?)
手元に落としていた視線をあげると、深い青の瞳と視線が交わった。
吸い込まれそうな瞳だ。ダフネが住んでいた場所を思い出す、海の底のような色。アンヌと見た図鑑に載っていた、ラピスラズリのような色。
真っ直ぐに、まるで魅了の魔法をかけられたかのように見つめてくるクリストフに、ダフネはまたしても胸の鼓動を忙しなく感じる。
むしろ逆に、ダフネがクリストフに魅了されてしまいそうだ。
ダフネはパトリックに愛されるようにしなければならないのに。
クリストフが何を思ってダフネを誘ってくれているのか知りたい。でも、それがダフネの足が無事歩けるようになるよう、そしてその後も問題ないか観察するためだとしたら、ダフネはがっかりしてしまうかもしれない。
(あぁでも、なんでそれだとがっかりしてしまうんだろう)
考えがまとまらない。
ふと微笑んだクリストフに、ダフネは胸が締め付けられたような気持ちになった。
「まだ二週間ありますし、ゆっくり考えてくださいね」
そう言って、クリストフの手がダフネの手をそっとソファに戻す。そのタイミングで、ドアをノックしアンヌが入ってきた。
「あっ、マノン様戻られてたんですねっ。すみません、使用人が増えたので食堂が混んでしまっていて」
「大丈夫ですよ。ねぇマノン」
(ええ)
クリストフとこれ以上二人きりだと、なんだか心臓に悪い気がする。丁度いいタイミングで戻ってくれたアンヌに頷いてみせるともう一度謝られてしまった。アンヌがゆっくり食事できるに越したことはないのに。
「それでは、おやすみなさい。また明日」
「おやすみなさい、クリストフ様」
(おやすみなさい)
クリストフを見送り、アンヌがダフネの入浴の支度をしに浴室へと向かってしまったため、ダフネは広い部屋にぽつんとひとりになってしまう。
クリストフの手の温もりが薄れていってしまうのがなんだか寂しく感じて、ダフネはきゅっと手を握りしめた。
続きは明日更新予定です。