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あぶく姫  作者: 城内早良
本編
5/10

4

「おはようございます、マノン様」

(おはよう、アンヌ)


 悩み事があるとなかなか眠れないものだと本には書いてあったが、ダフネはぐっすり眠って、あの後一度も目が覚めなかった。深刻な悩みのはずなのに、と思いながらダフネは起き上がる。


「パトリック様方からご伝言です。今日の午前中はリハビリできないそうです。あと、これから食事は一緒に取れないかもしれない、と」

(まぁ。何故かしら?)

「実は、本日のお昼頃、この屋敷の持ち主であるスカルホーン家のお嬢様が到着されるみたいで。お出迎えだったり、食事もその方と……」


 言いにくそうに眉を下げるアンヌに、あなたが気にすることはないのよ、と伝えたいけれど今は何も伝える術がない。大丈夫と微笑めば、尚の事アンヌは申し訳無さそうにしてしまった。

 寧ろ、今は誰にも会いたくない気分というか。本当はパトリックとの距離を詰めるべきなのだろうけど、どうしたらいいのかわからないので少し考えてみたいのだ。


「私はお側にいますからね」


 そう言ってくれるアンヌがいるだけで心強いということを、伝えてあげたい。

 ダフネは支度の手伝いに寄ってきたアンヌの手をぎゅっと握りしめる。アンヌの手はいつも温かい。それに、メイドという職業柄か少し荒れている。

 魔法が使えたらすぐに治してあげれるのに、とダフネはアンヌの手を撫でる。


「マノン様、ありがとうございます……。今日も張り切ってリハビリしましょうね!」

(うん!)


 身支度をし朝食を終えても、やはりクリストフは訪れなかったので、アンヌとダフネは二人でリハビリを始める。アンヌに背を押してもらい柔軟をしたり、ゆっくりと自分で足を動かしてみたり、普段クリストフがやってくれることを二人で思い出しながら進めていく。


「大分足を動かせるようになりましたよね」

(本当に)

「あとは筋力さえ付けば立てるかもしれないですね。詳しいことはわからないのですが……」

(動くようになっただけでありがたいわ)


 最初は藁にも縋る思いだったが、クリストフが言っていた、医者にもなれるほど知識があるというのは本当のことなのだろう。立場的になれない、というのはどういう意味かアンヌに聞いたら、侯爵家を継ぐのはパトリックだが、クリストフも父の伯爵位を継いで、領地経営をするらしい。

 今回、ここへ来るのが別々だったのも、パトリックは王都から、クリストフは領地から来たためだという。

 そのせいでパトリックは船に乗り、そしてその船が座礁し、ダフネが助けたのだ。パトリックが休暇を利用してここへ来たのに毎日忙しそうなのも、その座礁事故で死者が出たためだそうだ。確かに、ダフネはあの日パトリックの他にも沈んでいく人間を見た気がする。

 アンヌは色々とよく知っている上にダフネに分かりやすく教えてくれる。


「パトリック様もマノン様とお話したいみたいで、クリストフ様にずるいって言ってましたよ」


 二人しかいない部屋なのに内緒話をするようにアンヌが教えてくれる。

 それなら、時間さえあればパトリックと親しくなれるかもしれない。

 ダフネはアンヌと半日ゆっくり過ごして頭がすっきりとした。ダフネが色々考えたところで、どうしようもないのだ。パトリックがどんな人なのか詳しく知らない以上。勿論、接する時間や会話をする時間が増えれば、その分好意を抱かれる可能性はあがるはずだから、ダフネは機会さえあれば働きかけようとは思っているけれど。

 気になるのは、二人が昨日までよりも忙しくなりそうなことだ。この館の持ち主が来ているのなら仕方がないのだろうけれど、持ち主ではなくその娘が来ているというのが、ダフネは少し不安になる。


 その後、昼食はアンヌと一緒に摂った。本当は、メイドは主人とは別に食事をするものらしいが、その間ダフネが一人になってしまうことを心配してくれたのだ。パトリックの許可も得ているらしい。

 おかげで楽しく食事をしていたのだが。


「テティス様がこちらへいらっしゃいます」


 先触れだという、ダフネのことを見張っているような目つきで見る執事が訪れそう言った。テティス様というのが、今日この館へ到着した、持ち主の娘なのだろう。

 アンヌは困ったように此方を向いたが、ダフネも同じく断る術は持たないので大人しく頷く。パトリックたちが拾ってくれたとはいえ、ダフネは呼ばれてもいないのにこの館に居させてもらっている身だ。

 アンヌに身だしなみを整えてもらい、ソファに座り待っていると再度ノックをする音が響いた。


「ごきげんよう。スカルホーン・テティスと申します」


 そこから現れたのは、目を瞠るほど美しい女性だった。

 細かく波打つ髪は星のない夜のような漆黒で、人魚のように肌は白く、瞳はリラの花のような薄い紫で、零れそうなほどに大きく丸い。ツンとした鼻に、艷やかな赤い唇をしていて、声も凛としてよく通る。

 この屋敷のどこかで見た、人形のようだった。人形が大きくなり動き出したかのようだ。

 赤いデイドレスをまとったテティスはゆっくりとした足取りでダフネの向かいへと歩いてくる。


「こちらはマノン様です」


 名乗れないダフネの代わりにアンヌが紹介してくれる。それに合わせてダフネが座ったまま一礼すると、テティスはまじまじとダフネのことを眺めた。少し、居心地が悪い。


「気分を悪くされたらごめんなさいね。話せないし立てもしないというのは本当なの?」

(はい)

「ふぅん。大変ね」


 そう言うとテティスはダフネの向かいに優雅に腰を掛けた。すかさずメイドが紅茶を持ってくる。

 一口それを飲んでから、テティスはまたダフネのことを見る。正面から見てもやはり美しい顔をしている。

 美しい黒髪、美しい声、不自由のない下半身。テティスはダフネが失ったものをすべて持っていた。その上、ダフネよりも美しい。

 白雪姫の母親は、白雪姫が自分よりも美しいと妬んでいた。これが妬ましいという気持ちだろうか。ダフネはこんな気持ちは初めてだと思った。

 羨ましくて、それが醜い気持ちになるような。


「クリストフ様がつきっきりで看病されたと聞きました。足の状態は少しは改善したのかしら?」

「ええ。いまは動かすことならおできになります」

「会話は?」

「筆談でしたら概ね可能です」

「そう。……昼食にいらっしゃらなかったから、夕食はご一緒できればと思って。いかが?」


 いかが、と言われても。

 本当はどちらかといえばアンヌと一緒に部屋でゆったりと食べたいが、特別なことらしいのでそれが続くとアンヌに悪いような気がする。それに、せっかくパトリックやクリストフと一緒に食事を採れるならそれに越したことはない。

 気になるのは、食事の際のマナーとやらだ。パトリックたちと食事するときに教えてもらったが、スープ一つとっても、どのスプーンを使うか、掬い方、音を立てないなど決まり事がいくつもあった。パトリックたちは美味しく食べれればそれで十分だと言っていたが、テティスもそう考えているかは分からない。

 パトリック達は当然かもしれないがマナーはしっかり守って食べていた。テティスも恐らく、きちんと食事をするのだろう。そこでダフネ一人がカチャカチャ音を立ててしまったりするのはとても嫌だ。

 夕食までに時間があるから、最低限アンヌに教わろう。そう決めて、ダフネはコクリと頷いた。


「まぁ嬉しい。そう気負わなくて結構よ、ほぼ内輪のようなものだし。では、お待ちしてるわ」


 ニコリと笑っていたが本当に嬉しいのかは良く分からない。

 テティスが立ち去ると斜め後ろに立っていたアンヌがふぅと息をついた。なんとなくだが、アンヌはテティスが苦手そうだなと思った。

 ダフネは、妬ましさを覚えるがテティスのことは嫌いではない。人魚だったら仲良くしたいと思うかもしれない。思ったことをすぐに口にするタイプなのだろうという感じがしたのだ。容姿や表情、立ち振舞が完璧すぎて近寄りがたい雰囲気はあるが。


「マノン様、大丈夫ですか?」


 そう言ってアンヌが筆記具を持ってきてくれたので、食事のマナーを確認したいと告げると、二つ返事で準備をしてくると言ってくれた。

 小走りでドアまで向かったアンヌがドアを開けた途端に悲鳴を上げた。


「きゃっ」

「あぁ、すまない」


 振り返ると、アンヌが開けたドアの向こうにパトリックがいた。ダフネと目が合うなり、ほっとした表情を浮かべる。

 どうしたのだろうかと見つめていると、アンヌと二、三言葉を交わし、アンヌと入れ違いにパトリックが入室してくる。


「テティス嬢が来たと聞いてな。様子を見に来たんだ」

(髪が少し乱れてる)


 きっと報せを受けて急いできてくれたのだろう。普段、綺麗にセットされている髪が今は少し乱れている。

 パトリックの優しさに、ダフネは嬉しくなって笑みをこぼす。


「彼女は思ったことをそのまま言ってしまうから、そこが美点ではあるが、君を傷つけたりはしてないかと思ったんだが……杞憂だったようだな」

(あの人は思った通りの人なのね)


 ダフネがテティスに抱いた印象と全く同じことをパトリックも言っている。仲良くなれれば嬉しいが、ダフネとテティスでは身分が違う。こうして親しくしてくれるパトリックたちのほうが珍しいのだとアンヌも言っていた。

 ダフネも一緒に夕食を採ろうと誘ってくれた、そう手元の紙に書くと、覗き込んだパトリックはほうとなんとも言えない声を出した。


「そういえば昨日は夕食の席にいなかったが、具合が悪かったのか?」

(ええ、まぁ)

「今は大丈夫か?」

(このとおりです)


 頷いて微笑むとパトリックも笑顔を浮かべる。

 パトリックの笑顔は何度かみているが、太陽のように眩しく屈託なく笑う。対するクリストフの笑った顔は、慎ましく感情を抑えたような雰囲気だ。笑っていても静かというか。兄弟でも違うものなんだなとダフネは改めて思う。


「漸く落ち着いたと思ったらテティス嬢がついてしまったな。マノンと過ごす時間が全然取れない」


 ふぅ、とため息を付きながらパトリックは背もたれに頭を乗せる。きっと疲れているのだろう。パトリックの知っていた使用人が何人も死んで、その手続きとやらをしていたそうだから。

 ダフネとしては、パトリックと過ごす時間が多いほうがいい。だが、こんなにも大変そうな姿を見ているとゆっくり過ごす時間を大事にしてほしいと思う。せっかく助けたのだから。

 私のことはいいので、ゆっくりできるときにしてください、そう書けばパトリックは珍しく姿勢を崩し、膝の上で頬杖をついた。初めてパトリックから見上げられて、炎のような赤の瞳がきらきらしてるように思えてダフネはどぎまぎする。


「気にしなくていい。俺に充てがわれた部屋よりマノンの部屋のほうが落ち着くからな。それに俺が先に君に気づいて招いたのに、あいつの方が会っているのが解せない」


 あいつというのはクリストフのことだろう。確かに昨日までは毎日午前中いっぱいリハビリをして、昼食も夕食も(パトリックもいたが)一緒に摂り、午後も二時間近く一緒にいた。アンヌの次にダフネとともに時間を過ごしたのはクリストフだ。だが、クリストフもただダフネといたわけではなくリハビリが主な目的だったのだ。解せないと言わないであげてほしいとダフネは眉を下げる。

 とはいえ、色々な話をしてくれるから、クリストフのことのほうがよく知っているのは事実だけれど。紅茶はハーブが入ったりしているものよりセイロンのミルクティーが好きなことや、ダフネと同じく猫舌で、少し冷まさないと熱いものは飲めないこと、母親に教わったとかで花についても詳しいこと。幼い頃から足が弱かったので、いつも家の中で本を読んでいて物語に詳しいし、いつも外で遊んでいたパトリックが羨ましかった

 ことなど。


「だからとりあえず、文通というと大袈裟だがメモ用紙程度でやり取りをしないか」


 文通? と首を傾げると文通とは手紙のやり取りをするものだと説明してくれる。

 なるほど、それなら会わなくても自分の言葉でやり取りできるし、パトリックも空いている時間にささっと見たり書くことができる。文字の文化に触れてこなかったダフネには考えつかない方法だ。

 素敵だと思ったダフネはやりたいとぶんぶん首を縦に振る。パトリックも嬉しそうに笑って、じゃあまずは俺から書こうと言ってくれた。

続きは明日更新予定です。

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