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あぶく姫  作者: 城内早良
本編
3/10

2

 コンコン、と叩く音がし、メイドのアンヌが返事をしながらドアを開けに行く。どうやら、ドアを開ける前に叩くのがマナーのようだとダフネは食後の紅茶を冷ましながら眺める。


 目が覚め、ここはどこだっけと思いながらダフネが起き上がったところで、メイドが部屋へ入ってきた。それを見て昨日のことを思い出して、ダフネはため息が出そうになるのを飲み込んだ。

 メイドが名前かと思っていたら職種の名前だったようで、ベッドの傍らに立ったメイドに「おはようございます。マノン様の身の回りのことを致します、アンヌです。よろしくお願い致します」と挨拶をされた。

 その後、アンヌが着替えなどの朝の身支度や朝食の用意をしてくれて今に至っている。満足に下半身を動かせないダフネを気遣ってのものかと思っていたが、話すのが好きなアンヌの言葉によるとどうやら違うようだった。身支度や食事など、一度教われば足さえ動けばダフネにもできそうなものなのだが、貴族の人間はメイドという役割をおいて行わせるものらしい。アンヌは自分の支度をし、更にダフネの支度もしているので二人分支度をしていることになる。面倒じゃないのか、と思っていたらそれを行うことで日々の食事などを調達しているようなので、そういうものなのかと納得することにする。

 人魚にはなかったが、人間には身分という考え方があるようで、侯爵というのは偉い立場で、メイドというのはそれに仕える立場のようだった。


「クリストフ様がいらっしゃいましたが、お通ししてよろしいですか?」

(はい)


 漸く飲みやすい温度になったので紅茶を一口飲んで、テーブルに置く。

 着替えの後にアンヌに運ばれたので、ダフネは今部屋の中心の二人がけソファに座っている。アンヌはダフネと同じぐらいの体格なのに、易易とダフネをベッドからソファへ抱えて運んでいた。階段以外ならお任せください、とにこにこして。

 部屋へ入ってきたクリストフは、向かいに置かれた椅子に座るかと思いきや、ソファの傍らへ立ちダフネの顔を覗き込んだ。


「マノン、おはようございます」


 ぺこり、と会釈するとクリストフは微笑む。隣に座ってもいいかと聞くので頷けば、嬉しそうに隣りに座った。

 普通は前に座るのじゃないかと、テーブルを挟んだ向かいに置いてある椅子を見る。けど当然のように隣に座っているし、アンヌも紅茶を入れて渡しているのでこれが普通なのだろうと思うことにする。


「ゆっくり休めましたか?」

(はい)

「朝食も口にあったようで、良かったです」


 初めて見るものばかりだったが、アンヌが料理や食材を説明してくれて楽しく食べることができたダフネは頷いた。


「それでですね。実は僕も幼い頃足が弱かったので、リハビリをして歩けるようになったんです。そのときに先生に教わりまして、立場的に医者にはなれないんですが、お墨付きをもらっていて」

(今は私を抱えて歩けるぐらいなのに……)

「……あなたの足を診せてもらえませんか? もしかしたら歩けるようになるかもしれない。ただ、足を見せるのに抵抗があるかと思うので無理にとは言いません」


 歩けるようになるのであれば! とつい身を乗り出して口をパクパク動かしてしまう。話せないんだった、と少し恥ずかしく思いながらダフネはどうぞと言わんばかりにドレスの裾を摘んで捲る。

 棒のような白い足を、とりあえず膝まで出してクリストフを見れば、何故かクリストフは頬を赤く染めていた。

 恥ずかしがっているような表情だ。


「お願いしたのは僕ですが、異性に妄りに足を見せてはいけませんよ。……足を僕の膝の上におきますね」


 見せてはいけないから服で覆っているのかと納得したダフネはこくりと頷いた。

 人魚は基本的に生まれたままの姿で、真珠や珊瑚、貝殻などで身を飾ることはあっても体を隠すことはしない。

 だが人間は顔と手足の先以外は殆ど服で隠している。どうやら隠している部分を見られるのは恥ずかしいことなのだ。

 上半身は同じような形をしているのにどうしてこうも人間と人魚は価値観が異なるのだろう。


「触られている感覚はありますか?」

(あるわ)

「ふふっ。足の裏、本当に赤子のようですね。ふにふにだ」


 隣というよりもはや目の前に座るクリストフの足の上に、伸ばした足が乗っているのをぼんやり見る。服越しに見てもクリストフの足とダフネの足は太さが全く違う。ダフネの足は骨と皮だけのようだ。筋肉がほぼない。

 足の裏も、自分のものも他の人間のも見たことがないがそんなに違うのだろうか。皆が履いている靴は、歩けないし誂えるまでとりあえずは穿かないでいいかとアンヌと話していた。

 足の裏を押されるのがくすぐったくて身じろぐと、まくりあげたドレスの裾がずるずる下がってしまう。手で抑えたほうがいいかとダフネが腕を伸ばすより先に、クリストフの手がすっとその中へ伸ばされ、足の関節に触れた。


「ここが膝です。ここは脛。足首、踝、踵。膝から上に触っても?」


 触れた箇所の名を言いながら、クリストフは足を撫でたり、揉んだりする。クリストフの指が撫でるたびに、ダフネはなんだか擽ったいような、背筋がゾクッとするような変な感覚に囚われる。

 そのまま、膝から上へクリストフの筋張った手が上がっていく。大きな手が、そっと優しく動く。


「ここが太ももです。骨に異常はなさそうですね。筋が固まっているので解して、足を動かして筋肉をつければ立ったり歩いたりできるかもしれません。反対側も同じようにしますね」


 見ただけで恥ずかしがっていたのに、クリストフは今は真剣な顔つきをしている。なのにダフネは擽ったいとはまた少し異なる感覚にぐっと肘掛けを掴んで耐えている。

(なんで私が恥ずかしいの……)

 先程のクリストフのように頬が熱くなる。

 特に、足の内側や太もものあたりを触られると、体の力が抜けてしまう。


「僕と、昨日の医者以外にこの足を見せたことは?」


 ないので素直に首を横に振る。

 やっぱり服は大事なのかもしれない。足は隠しておくべきものだ。触られるとこんなに変な気分になる。

 とりあえず今日はもうやめてもらおう、とダフネがクリストフの腕に触れたときだった。

 ノックの後ガチャリとドアが開いた音がした。


「ックリストフ! 何をやっている!」

「何って……昨日話したじゃないか。足を診るって」


 振り返ると同時に大きな声がしてびくりと体が竦む。パトリックが、ダフネらを視界に入れた途端真っ赤な顔をして怒鳴ったのだ。大きな声は聞き慣れていないダフネはびっくりしてしまった。

 クリストフは足に触れていた手でドレスの裾を伸ばし、しれっと返事をする。ダフネはとりあえずクリストフの手が離れたうえに、足が隠れたのでホッとした。


「マノン、変なことはされてないか?」

(私が勝手に変な気分になっただけ……)

「どんなことしてると思ったんですかね」


 クリストフの問いかけには答えずパトリックはドサッと力がぬけたようにダフネの向かいの椅子に座る。やはり向かいに座るのが普通なのではないかと思うが、クリストフはしれっとしている。

 アンヌの持ってきてくれた紅茶を飲んだ後、パトリックは労るような目つきでダフネの足を見た。


「で、どうだった?」

「時間をかければ、歩くことはできそうかな」

「そうか。お前がやるのか?」

「僕は兄さんのおまけで来ただけだからね、暇なんだ。そうだ! マノン、足を見るついでに文字や言葉も教えましょうか」

(それは嬉しいけど)


 これから歩けるように色々してくれるということは、また恥ずかしい思いをしないといけないのだろうか。

 しかし、歩けないと困るのだ。移動するにもいまは誰かにお願いしなければならない。いくらアンヌが力持ちでも、移動の度に抱えてもらうのは申し訳ない。ここは水の中とは違って重力が強いのだ。

 一人で歩けるようになれば、パトリックのところへ歩いていくこともできる。ダフネにとってそれはとても大切なことだ。

 それにクリストフの様子からすると勉強の方はさておき、歩行訓練は断れそうにもない。断るつもりもないけれど。


「クリストフ、その足どうにかしたらどうなんだ」


 パトリックに言われてダフネはあっと気づく。まだ足がクリストフの上にあるのだ。

 自力で戻すのは厳しいため、早く戻してほしいと視線で訴える。

 クリストフも失念していた様子でダフネの足をそっと両手で床に下ろしてくれる。視線がかち合ったのでありがとうと口を動かすと、読み取ってくれたのかどういたしましてと返ってくる。


「お前がそんなふうに女性に優しくしているのは初めて見たな」

「いつも優しく接しているよ」

「紳士的ではあるが、自分から話しかけたりはしなかっただろう」

(こんなに親切なのに?)


 会ってから一日しか経ってはいないが、クリストフはダフネにとても良くしてくれる。

 なのでパトリックの言葉を疑問に思った。パトリックも素性の知れないダフネに優しいが、クリストフのほうがより、声が出せなくてもそこまで意思の疎通に支障がないというか。先程も唇を見て読み取ってくれていたようにも感じる。

 とはいえ、クリストフのこともパトリックのこともよく知らないのだ。二人が、ダフネは本当は人魚だと知らないのと同じように。


「社交界の女性達は僕の肩書と瞳の色しか興味がないからね」


 確かに人魚に劣らぬ、澄んだ海のような瞳の色をしていて、見た目も整っているのだ。人魚としても伴侶として申し分ない。そのうえ偉い身分まであるのだから、人間でも取り合いになるのだろう、多分。

 人魚は生まれてくる個体の九割が雌なので、街には雄の人魚が三人しかいなかった。伴侶になろうと雌の人魚が群がる様を毎日のように見ていたダフネは、きっと同じようなことが繰り広げられているのだろうなと予想した。


「それに、僕も足が悪かったからね。同じように歩けるようになってほしい」

「そうだな」


 そう言ってダフネを見る二人の目はとても温かなのだ。

 人間が皆こう優しいのか、それともこの二人が特別優しいのかわからないけれど。こんなことになってしまったが、助けてよかったとダフネは思う。

 むしろ何故人間と関わってはいけないのだろうか。ダフネは好奇心旺盛だから、あれもこれも気になってしまう。


「さて。屋敷の案内はまだだったろう。見て回ったら一緒に昼食を摂らないか?」

「図書室もあるから、必要そうな本も合わせて持ってきましょう」

(他の部屋がどんななのか、気になってたの!)


 アンヌが移動させてくれるのかと思っていれば、クリストフが失礼しますねと昨日のようにダフネを軽々と抱えた。偉い身分の彼にこんなことをさせていいのだろうか、とクリストフを見上げるも、クリストフは目が合うと微笑むだけ。

 なので、昨日と同じように首に腕を回すと、昨日は気づかなかった、さっぱりとした(ダフネは知らないが柑橘系の)香りがする。特に香りの強い首元でスンと香りを嗅ぐと、クリストフの肩がびくりと跳ねた。


(?)

「マノン、擽ったいのでやめてください。落としてしまいます」

(あっごめんなさい)

「どうしたんだ? クリストフ」

「いえ、何も。……意外と悪戯好きなんですね」


 仕返しとばかりに耳元で話すので、今度はダフネが擽ったさに身を竦める番だった。


次話は明後日投稿予定です。

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