9 召喚術師リーネ
アラネスの娘リーネは、わたしを応接間に案内してくれた。豪華な絨毯が敷いてあって、土足で踏んでいいのか躊躇する。めちゃくちゃ柔らかいソファに身を埋めていると、リーネが銀のトレイにティーセットを乗せて現れた。わたしは無意識に背筋を伸ばしていた。
「チェルメア地方特産の紅茶です。召し上がってください」
わたしの前に高級そうなカップを置いて、リーネは丁寧に頭を下げた。
「これはどうも、ご丁寧に」
所作が完璧すぎる。恐縮しながら一口飲んでみた。爽やかなフルーツ系の風味が口の中に広がる。これは高いやつだ。
「戦士様、こちらにいらっしゃったのは、恐らく母が原因かと思いますが」
「はい、そうなんです」
この場合のわたしの敬語は、イライラしているのではなく、単純にリーネさんの凛とした雰囲気に飲まれての事です。
「母が何か、粗相をしてしまいましたか」
「粗相というか、実力不足というか」
『戦士様ヒドいです』
アラネスが抗議するが、事実なので仕方ない。
「なるほど、召喚術関係ですね? 自分の手に余った結果、やむを得ずわたしに助けを求めに来たと」
アラネス、娘に行動を全部読まれてるな。
「わかりました。詳細をお話し頂けますか?」
わたしは封印された幻魔石のことや、その封印を解きたいことを掻い摘んで説明した。わたしの話を聞いたリーネは、怪訝そうに首を傾げた。
「確かに『回帰召喚』は高度な召喚術ですが、母も習得しているはずです」
『そうなんです。ここ十年ぐらい、回帰召喚だけ、なぜか失敗してしまうようになって、おかしいなとは思っていたんです』
急にアラネスが早口でまくし立てる。少々うるさい。
「……戦士様、幻魔石をお貸し頂けますか?」
懐から石を取り出してリーネに手渡す。彼女はわたしがやったように、両手を天に掲げて呪文を唱えた。
『今ここに、枷を解き放たん。彼方に封じられしものよ、導のもとに再び還れ』
石がリーネの手を離れ、激しく輝き出す。アラネスがやった時と、明らかに反応が違う。どこからか発生した光の渦が、吸い込まれるように石の中に凝縮されていく。透明だった石は、薄紫色に染まって妖しく輝き出した。
『今の呪文、わたしが知っているものと少し違ったような……』
「お母様が、呪文が違ったと言っていますが」
アラネスのつぶやきを通訳すると、リーネがため息をついた。
「そんな事だろうと思いました。日々の修練を怠るから、そういうことになるのです」
『面目ありません……』
「凄くしょんぼりしているみたいです」
この人、もしかして普段から娘に怒られているのか。
「これはお返し致しますね」
わたしは輝きを取り戻した石を受け取って、ひとまず懐にしまった。
改めてリーネの姿を観察する。見た目こそ子供に見えるが、佇まいは風格と気品を備えている。怒られたらわたしでもビビりそうだ。
『アラネス、娘さんって今いくつなの?』
『今年で二百十七になります』
『……ですよね』
やはりガチの年上だったか。アラネスの三分の一にも満たないのに、何だろうこの雰囲気の違いは。
「……戦士様、よろしいでしょうか。ひとつお願いがあるのですが」
「はいっ」
急に先生に呼び止められた生徒のように返事をしてしまった。
「しばらくの間、わたしも戦士様に同行させて頂けませんか」
『えっ』
先にアラネスが声を上げた。
「母が女神様に選ばれし長として、本当に相応しいのか、見定めたいのです」
話の展開が早くてついていけない。
「ご迷惑でしょうか。一通りの召喚術は扱えますし、術法もそれなりに心得ております」
『ご迷惑です。召喚術師はわたしひとりで十分なんですから。そもそも、この子はこの街からほとんど出たこともないし』
母親の方は全力で反対しているが、ここはリーネの話を聞いてみよう。
「お母様って、もしかして偉い方ですか」
「ええ、我々召喚術師を束ねる長であり、女神様の神託を受けることが出来る、唯一の者」
そんな凄そうな人が、娘に説教されているとは。
『リーネは厳しすぎるんです。わたしのやることにいちいち口を出して来ますし』
『それは、至らない部分があるからじゃないのかい』
アラネスが、今までの調子でリーネにも世話を焼かれてきたであろうことが、容易に想像できる。
「戦士様、いかがですか」
リーネがこちらを見つめる眼差しが鋭く刺さってくる。どちらかというと、リーネのことがちょっと気になった。二百年もの間、ずっとここにいたとしたら、それは幸せなんだろうか。ここは確かに綺麗な街だが、人と会うこともあまりなさそうだし、毎日真面目に修練を続けていたとしたら、仙人レベルのストイックさだ。
「わたしは特に問題ないかなと」
『いや、戦士様っ』
アラネスが不満そうに何か言いかけたが、途中で諦めたらしい。
「ありがとうございます」
リーネは深々と頭を下げてから、わたしの目をもう一度見つめた。
「それと、わたしはあくまで、戦士様の従者です。そのようなへりくだった態度をとられると、示しが付きません。どうか、相応の威厳を保って頂くようお願いします」
「すみません……」
なんか、わたしまで怒られた。
リーネを伴って噴水広場まで戻ると、フェルがマイにモフられながら出迎えた。
「巨獣?」
リーネはフェルを見つけると、警戒する素振りを見せた。
「この子は大丈夫。いい子だから」
「確かに、攻撃的な意志はなさそう……」
と言いかけて、リーネはフェルを見つめたまま固まった。これはもしや、マイと同じタイプか。
「リーネも触ってみる?」
「いえ、わたしはそのような事は」
リーネは直立不動のまま、一歩下がる。表情があまり変わらないので、遠慮しているかどうかもわかりにくい。
『この子、あまり外の世界を知らないのです。フェルのような生き物も珍しいのでしょうね』
『お、母親っぽいこと言ってる』
『母親ですっ』
『なら、母親らしいこと、やってみる?』
『え?』
自分でも不思議だったが、二人の事を放って置けない、そういう気持ちが芽生え始めていた。
「アラネスにリーネ。あなた達の目的は、世界中の巨獣を鎮めること、でいいのよね?」
「はい」
『その通りです』
二人が同時に答える。
「なら、わたしも腹を決めました。戦士として、やれるだけやってみましょう」
『ああ、なんと勿体ないお言葉』
正直なところ、まだ得体の知れない部分はあるが、二人の事は嫌いにはなれない。
「リーネにとっても外の世界を知る、いい機会になるんじゃない?」
「わたしの事など、お気になさらないでください」
リーネは口ではそう言うが、今度は動揺しているのが、しっかり顔に出ている。何だか急に愛おしくなってしまった。
「いいから。外に出て見聞を広めること。戦士様の命令です」
「……承知しました」
リーネは頬を紅潮させながら頭を下げた。