7 眠りの巨獣
タクシン村の入り口で、わたしはフェルのお腹に寄りかかって休んでいた。マイに運ばれてわかった真理。人は乗り物に向かない。
「今後、移動はフェルに任せます」
「御意」
ちなみに、戦友たちのスピード勝負は、ほぼ互角。わずかにフェルが先に村に着いたが、マイはわたしを抱えていたハンデがあったので、引き分けということになったらしい。
「それで、賢者様の石とやらはどこにあるの」
『村の外れの洞窟の中です』
「じゃあ、フェルは休んでいて。後で迎えに来るから」
にゃん、とフェルが返事をする。わたしはフェルのお腹をもふっているマイを引っ張って、村の中に入った。
タクシン村は、ナクリア村と比べると、かなり寂しい所だった。道路もきちんと整備されておらず、建物もまばらだ。
「人、少ないね」
『かつては賑わっていたのですが、巨獣が住み着いた事で、皆他の村へと移住したようです』
「……ん? 今なんて?」
聞き返す間もなく、魔導環が点滅を始めた。前方約五百メートル。このまま真っ直ぐ、村の真ん中を通り抜けた先を示している。
『まだいましたね、洞窟の巨獣』
「……なぜ、そういうのがいる事を黙っていたのかな」
『え? お尋ねになりませんでしたし……お怒りですか?』
「当たり前です」
『ひぃっ、でも、直接的な害はないんです。外にさえ出さなければ』
「そういう問題じゃありません」
この人、ものすごい年上なのに、部下を叱っている気持ちになるのは何故だろう。
村の入り口の丁度反対側の山に、洞窟がぽっかり口を開けていた。魔導環が激しく点滅している。
「我が見て参りましょう」
マイが機敏な動きで洞窟の入り口の端に身を寄せて、中の様子をうかがう。
「確かに、何者かの気配を感じますね」
「ちょっと、マイっ」
呼び止める間もなく、マイが抜き足で中に入ってしまう。何が出てくるかわからない。わたしは身構えた。
三分、五分と時間が過ぎていく。十分経っても、マイも巨獣も出てくる気配はない。さすがに心配になって、わたしも洞窟の入り口にそっと近づいてみる。中は真っ暗で何も見えない。
「マイ、大丈夫?」
呼びかけてみても返事はない。
「この中にいるのはどういう巨獣なのよ」
『通称、眠りの巨獣です。恐ろしい爪を持っていますが、刺激しない限りずっと眠ったままなので、そう呼ばれています』
「本当に何もしなければ害はないのね?」
『そのはずですが……』
そうは言ってもマイが出てこないのが気になる。
「アラネス、術法お願い」
わたしは、懐中電灯を思い浮かべて、手を広げた。電池は満タンのやつ。この世界に電気が存在できるのか、少々疑問ではあったが。
『これは何ですか?』
「明かりだよ。こんなに真っ暗じゃ何もわからないからね」
ぽんと音を立てて、手のひらの上に懐中電灯が現れる。スイッチを入れると、ちゃんと点いた。洞窟の中を照らしてみるが、すぐ近くには何もない。
「行くしかないな」
意を決して中に足を踏み入れる。洞窟は思ったより深く、少しずつ地下の方へ下っている。魔導環の表示を拡大してみると、あと二百メートル程行った先に、巨獣とマイの反応がある。反応があるということは無事なのだろうが、なぜ動かないのか。用心してゆっくりと歩みを進める。
『あまり近づき過ぎない方がいいですよ』
「どういうこと?」
『眠りの巨獣は、近づく者全てを、等しく眠りに誘うんです』
その瞬間、わたしの脳内で思考が駆け巡った。マイは巨獣によって眠らされているのではないかということ。そして、近づけないということは、助けるのが難しいかも知れないということ。最後に、こやつはなぜ、今までそれを言わなかったのかということ。
『あの……言わなかったのではなくて』
「言い訳は結構です」
アラネスがしゅんとしているのが何となくわかったが、巨獣が入り口に付近にいたら、今頃夢の中なのだ。
魔導環の反応は、前方八十メートル先を指している。わたしは恐る恐る、懐中電灯を向けた。何やら煙のようなものが立ち込めていて、前方の様子がよくわからない。
「もしかして、その眠りの巨獣って、催眠ガスみたいなものを出すの?」
『ガス?』
「今見えてる、あれを吸ったら眠っちゃう、ということはない?」
『そう言われてみれば、あの時も桃色の霧に包まれた途端、眠ってしまったような』
「体験済みかよ」
ひとつ、対策をひらめいたが、果たして効果があるかどうか。失敗したら、わたしもおねんねする羽目になる。しかし、マイを放置するわけにはいかない。
「アラネス、もうひとつ、術法お願い」
『……これはまた、珍妙な物ですね』
わたしはガスマスクを具現化した。ゲームとかで見る、口元に長いフィルターの付いたタイプ。装着してみたものの、視界が悪くなった事も手伝って、かなり不安になってくる。
「アラネス、もし寝ちゃったら、何とかしてね」
『えっ、何とかって言われましても』
わたしはイチかバチか、煙の中に飛び込んだ。懐中電灯で照らしても、ガスマスクと煙のせいで、ほとんど何も見えない。
「曲者!」
急に叫び声がしたので、わたしは咄嗟に身構えた。
「もしや、主ですか?」
「……マイ?」
声のする方に相当顔を近づけてから、ようやくそれがマイの顔だとわかった。危うくガスマスク越しにチューしてしまう所だ。
「てっきり眠らされたのかと思ってたよ。無事で良かったけど、何してたの?」
「この者を見ていたら、体がうずいてしまいまして」
マイの背後にバカでかい何かがいる。そういえば、『眠りの巨獣』がいるのを忘れていた。
懐中電灯をそちらの方に向けてみると、例のごとく、どこかで見たようなフォルムが見える。
「……なるほどね。あなたが何してたか大体わかったよ」
図体こそ大きいが、見た目はコアラそのものだった。スヤスヤと眠っていて、起きる気配はなさそうだ。
「それにしても、どうしてマイは眠らされなかったの?」
「人の形をとっておりますが、我は巨獣から見れば、同族ですので、基本的にこういうものの影響は受けません」
「アラネス、これも知ってたんでしょう」
『いえ、これはわたしも初耳です。多分』
「多分かよ」
たった今、召喚術師アラネスさんの信頼度は、巨獣フェルの下に降格しました。