46 賢者様の特訓
『エルサーエルタ ウォルタ ボルツ
クルエイ シカヅテ シティキ ウォーテ』
リカが例の呪文を唱え始める。のどかな田園地帯の上空を、カラスの巨獣が滑空している。旋回して凶悪な赤い目をこちらに向けてくるが、相手が悪すぎる。
『エル・フルガルス』
呪文を合図に、リカが指した空の上から、激しい稲妻が落ちた。至近距離だったので、鼓膜が破れるかと思うほどの爆音。驚いたリーネが抱きついてきた。
カラスの巨獣は、煙を上げながら落下していく。黒焦げになったようだ。元々黒いのでよくわからないが。
「リカちゃん、カッコつけるのはいいけど、もう少し周りに配慮してよね。娘がびっくりしてるじゃないの」
「……うむ、面目ない」
リカはうつむいて頬をかいた。
「リカさん、身体面の機能をチェックしたいので、格闘で戦ってもらえませんか?」
いつの間にか隣にいたシルファが注文をつけてきた。雷の術法で倒した巨獣の幻魔石を、ちゃっかり懐に入れている。
「格闘……であるか」
リカは困った顔をして腕を組んだ。
「わたしはそういうのは不得手だ」
『確かに、賢者様が身体を使って戦っているところは見たことがありませんね』
アラネスが言った。わたしも身体はマイと同じくらいには強いらしいが、巨獣に素手で立ち向かう勇気もないし、そもそも触りたくない。
「ならば、我がご指導致しましょう」
格闘戦と言えば、マイの得意とするところだ。マイは胸を叩くと、颯爽とリカの前に仁王立ちした。
巨獣を倒した所からさらに東にある草原地帯。そこにいたのは、よりにもよって、ヒグマの巨獣。元々が巨体の動物だからか、立ち上がるととてつもない大きさになっている。
「あれはもう山じゃん。素手はキツイんじゃない?」
「フフフ、主、あの程度で怯んでいては、護衛は務まらないですから」
マイは握った拳を腰のところで構えると、呼吸を整えた。
「賢者殿、まずは拳の基本技をご覧に入れましょう」
気合一閃、間合いを詰めると、マイは飛び上がってヒグマのどてっ腹に正拳突きを放った。
低いうめき声を上げ、ヒグマが仰向けに倒れた。
「あのような大きな相手との戦いでは、先手を取って、すぐに離れる事が基本です」
「なるほど、先手か」
リカは倒れているヒグマを見ると、マイの真似をして拳を握った。
なんとか走り出したものの、なんと言うか、ドタバタしてるし、めちゃ遅い。この子、多分、運動が苦手だ。
「えいっ」
大分時間をかけてヒグマのところまでたどり着くと、足の裏に拳を突き出した。鈍い音がして、ヒグマの身体が横回転しながら吹っ飛んだ。シルファ謹製の傀儡なので、パワーだけは相当なものだ。
「そう、いい拳です! 次!」
「ご、ごっつぁんです」
なんか、マイ師匠による特訓が始まった。
「回し蹴りは、少し間合いを詰めて、膝を抱える感覚で放ちます」
「む、難しいな」
巨獣の身体が吹っ飛ぶと、リカがそれをドタドタと追いかけては殴る蹴るの繰り返し。サンドバッグ状態のヒグマに同情してしまいそうになる。
そのうちヒグマが怒ったらしく、素早い動きでリカに襲いかかってきた。
「とうっ」
リカは回し蹴りを放とうとしたのだろうが、足を出すのが遅すぎて、まともに巨獣の体当たりを食らってしまった。
ちょっとヒヤッとしたが、そこはシルファの傀儡。豪快にふっ飛ばされつつも、リカは平然と立ち上がった。
そして立ち上がりはしたのだが、その表現が般若のようになっていた。
「……貴様、余程地獄を見たいようだな」
リカはかなりブチ切れているようで、オーラを纏いながら空へ上っていく。ていうか、あれだけボコボコにされれば、クマだって怒るだろうよ。
リカは天を真っ直ぐに指した。上空に黒雲が立ち込め始める。
『まずいです、戦士様。皆様を退避させた方がよいかと』
アラネスが言い終わる間もなく、巨大な隕石が姿を現した。
「ちょっと、リカちゃん、シャレにならないって!」
わたしはリーネとシルファを抱え上げて、急いで術法で空に逃げた。
「塵となれ、廃物め!」
隕石が地上に落ちてゆく。激しい轟音と衝撃波のあと、抉られた地面の土が天高く舞い上がる。これはこの世の終わりの光景だろうか。とりあえず、あの子を怒らせるのはやめようと、心に誓った。




