36 脱走の罪
召喚術師の掟。一族を抜けるには、長の許しを得なければならない。要するに、エレノアはアラネスに黙っていなくなった訳だ。
エレノアはジリジリとわたしから距離を取り始めている。
「アラネス。もう三十年も前の話なんでしょ? 時効だよ。許してあげなよ」
『そうはいきません。掟は掟ですから』
エレノアはまた逃げ出すかと思ったが、一度天を仰いで、肩を落とした。
「戦士様、いいのです。もう逃げるのも疲れました」
「いやいや、諦めないでよ。三十年前ってことは、シェリルが生まれるちょっと前でしょ? 一族を抜けた理由、旦那さん関係よね」
図星だったのか、エレノアはわたしから視線をそらした。
「あなたが罰を受けたら、シェリルが悲しむじゃない。そんなの、わたしが許さないから」
『……戦士様、こればかりは、戦士様のお言葉でも譲るわけにはいかないんです。他の召喚術師に示しがつきませんから』
「さっきまで迷ってたくせに。この頑固者!」
『戦士様の……異世界者!』
「……それは悪口のつもりなのかい」
などとアラネスにツッコんでいる場合ではない。掟か何か知らないが、駆け落ちぐらいでエレノアが罰を受けるのは納得行かない。
「戦士様、わたしはもう、十分に生きました。お陰でシェリルも独り立ち出来そうですし、もう思い残す事はありません」
「お言葉ですけど、まだ独り立ちしてないよ、あの子は」
なんとか説得しようとするが、エレノアは既に達観した表情をしている。
「アラネス、わたしは認めませんからね。罰なんか与えたら、一生口を利いてあげないよ」
『そんなの、賢者様で慣れてますから』
「なら、戦士なんか辞めて、実家に帰らせていただきます」
『帰れるものなら帰ればいいんですよーだ』
「アラネスのくせに生意気な」
「喧嘩なさらないでください。わたしが身を捧げればいいだけですから」
エレノアは少し悲しげな笑みを浮かべると、腰のポーチからナイフを取り出した。
「ちょっと待ちなさいって!」
わたしが止める間もなく、彼女はナイフを素早く振った。
エレノアの膝裏まであった長い髪が、バッサリ無くなっていた。
「君たち、色々紛らわしいんだよ。目の前でハラキリされたかと思ったじゃないの」
「お騒がせしてすみません……」
しゅんとなっているエレノアは、髪が短くなった事で、リーネにそっくりになっていた。これはもう、高校生バージョンのリーネだ。本人達は高校生どころか数百歳レベルだが。
「お姉様、この通り、我が身を捧げます」
エレノアはわたしに、マフラーが作れそうな長さの髪を渡してきた。
「我が身、貰っても困るんですけど」
『女神様への供物としますので、しばらくお持ちいただけますか』
「いいけど……」
わたしはエレノアの髪を束ねてポーチに仕舞う。量が多すぎてパンパンになってしまった。
『これで女神様にもお許ししただけるでしょう』
「ねえ、ずっと気になってたんだけど、女神様って何者?」
『召喚術師を見守ってくださるお方ですよ』
ナクリアで最初にアラネスに呼び出されたとき、祭壇のようなものがあった。アラネスは時折『女神様』に対して祈りを捧げている。声が聞こえる風なことを言っていたようだが。
「本当に神様ってこと?」
『そのとおりです。代々、長だけがお声を聞くことができるんです』
「声をねえ」
アラネスは自慢げに語っているが、そもそもこの人は女神様を盲信している。
幸い、アラネスには全く邪念がないことは、霊感によってわかっている。最初の頃は少々胡散臭さを感じていたものの、それはアラネスが良くも悪くも純朴だからだ。
心配なのは、その純朴なアラネスが誰かに利用されていないか、ということだ。
「エレノアさんは女神様の事をどのくらい知ってるの?」
わたしが聞くと、エレノアは首を傾げた。
「んー、わたしには声が聞こえないですからねぇ。先代の長のお母様の、そのまた先代のお祖母様が生まれる前から、いらっしゃるみたいですけど」
「ねえ、アラネス。ちょっと女神様と話してみてよ」
『女神様はそんなにお気軽にお呼び出来る方ではありませんっ』
アラネスはプリプリと怒り出した。まあ、噂のお姉さんを電話に呼んで的なノリで言われたら怒るかも。
『……様。女神様?』
すると、どこからか甲高い声がした。魔導環が点滅している。この場合の『女神様』はわたしか。
「シェリル? 大丈夫?」
『それが、その……』
シェリルは何故か神妙な声を出している。
『僕、人をコロしちゃったかも知れません』
「はい?」
わたしは思わず声が裏返ってしまった。




