2 メリット
何度目を擦ってみても、ここは会社ではない。まだ眠っているのだろうかと思って、ベタだがほっぺたをつねってみる。うん、痛い。
『どうして自分を痛めつけるような事をなさるのです』
頭の中の召喚術師がうるさい。
『これはどういうことかな。わたしは夢をみてるんじゃないの?』
『えっと、何を仰っているのかわかりかねますが』
『わたしは、ここはどこだと聞いています』
要領を得ないので、大分イライラしてきた。友人いわく、わたしはイライラすると何故か敬語になるらしい。わたしの悪い癖でもある。
『あの、お怒りですよね。申し訳ありません……』
『謝らなくていいから、説明して頂けますか』
『ひぃ……説明と言われましても、わたしはあなた様をこの世界に召喚しただけですので』
アラネスは怯えながらゴニョゴニョ言っている。
『それなら、元の世界に帰してくださるかしら』
『あ、あの、大変申し上げにくいのですが、わたしは呼ぶ方の専門で、帰し方はわからなくて』
「はぁ?」
つい、輩みたいな声が口に出てしまった。
『いや、あの、帰す方法が無いわけではないのですが、わたしは存じ上げないというか』
「チッ」
わたしはとうとう舌打ちをしてしまった。冷静に考えると、さっきから大分ガラが悪い。
『ヒカリの戦士様。どうしてもお戻りになりたいのですか?』
「当たり前でしょ、勝手に連れて来られたんだから」
『あの、よろしければですが、こちらの世界にいらっしゃることによる利点を、少々ご説明させて頂きたいのですが』
なんかプレゼンが始まるらしい。
「……聞くだけ聞いてあげますよ」
『ありがとうございます! まず、ご覧ください、こちらの豊かな自然』
こちらといっても、アラネスには体の操作権がない。サービスで、窓の方に視線を向けてやる。確かに緑の豊かな土地のようだ。
「悪いけどね、わたしは田舎育ちなので、この程度の自然とか見慣れてるのよね」
『いえいえ、この土地で採れる山菜のみずみずしさを、一度味わって頂きたいのです。後で最高の山菜料理を召し上がって頂きますので』
「うん、まあ、それは頂きましょう。で、次は?」
『えっと、不肖、わたしことアラネスの力によって、術法が使い放題です』
「術法って、昨日やった炎とか出すやつでしょ。あれ、すぐ飽きるわ。ていうか、もう飽きました」
『具現化の術法は、想像力次第で、何でも出せるんですよ。まあ、限度はありますが』
「何でも? ホントに?」
『あ、生き物は駄目です』
「何でもじゃないじゃん」
アラネスは次第に勢いを失って、説明が尻すぼみになっていく。
『えっと、森にモフラというかわいい生き物がいまして。あのふっくら感を一度見たらもう、病みつきになるというか』
「はーい、ネタ切れかな、そろそろ」
『あの、もう一度だけ、機会を』
「準備不足だよ、君」
アラネスは急に大人しくなってしまった。わたしは仕方なく、部屋にあった鏡台の前に座った。アラネスの姿は確かにかわいい。銀色の髪はツヤツヤしているし、大きな瞳は美しい金色だ。アニメに出てくるキャラクターのような完璧な容姿。この姿のまま歩き回るのは悪い気はしない。
「アラネスって歳いくつ?」
『歳とは、年齢のことですよね。生まれてから今年で八百十八年になります』
「はっぴゃく……」
老人とかそういうレベルではない。昨日会った村の長は、普通におじいちゃんだった。ということは。
「あなた、もしかして、歳とらない系の人?」
『見た目の若さ、という意味ではそうですね。召喚術師の特性のひとつです。身体を媒介にするので、細胞が常に活性化していて、基本的にはこの姿のまま、変わりません』
「何故そんな超絶メリットを最初に言わない」
『メリット?』
「いつまでも若いまま、死にませんってことでしょ? これ以上の特典ある?」
わたしは興奮しきりだったが、一方のアラネスは妙に冷静だった。
『そうですかね。長く生き過ぎても、世の無常が身に染みるだけですよ』
「何があった」
ともかく、このかわいい姿のまま不老不死でいられるとなると、大分話が変わってくる。元の世界に帰っても、別のヒカリの戦士をやらざるを得ないわけで。まあ、いらぬオマケもついてきそうだが。
『で、わたしはこれからこの村で何をすればいいわけ?』
わたしは、アラネスに村の中を案内して貰っていた。
『実は、昨日みたいな怪物が他にも出るんです。討伐依頼は結構あるんですが、わたしだけでは心許なくて。あなた様のお力があれば怖いものなしです』
『昨日のは、たまたま上手く行っただけだよ。あんまり買いかぶらない方がいいよ』
『またまた、ご謙遜を』
そういえば、この人は女神様の言う事なら何でも鵜呑みにするんだった。女神様に推薦されたわたしは、彼女の中では伝説の勇者的なアレなわけだ。
村から少し離れた所に大きな洞窟がある。わたしは村の若者数人と共に怪物退治に駆り出された。
『どうせまた、気持ち悪いの出てくるんでしょ』
『とてつもなく巨大で獰猛な怪物です。特に動きが素早いので、気を引き締めてください』
わたしがそっと洞窟の様子をうかがうと、中から断続的に低い音が聞こえてきているのに気づいた。
『これ、寝てるんじゃないの?』
『好機ですね』
村の若者たちが松明を片手に中に入っていく。
「ちょっとあんた達、待ったほうが……」
わたしが言い終わる間もなく、耳をつんざく乾いた声がして、若者達が洞窟から飛び出してきた。その後から、巨大な怪物が姿を現す。
「……って、猫じゃん」
確かに図体は馬鹿でかいが、フォルム的には虎より猫っぽい。というか、三毛猫そのものだ。でかい猫は、散り散りになって逃げる若者たちを見ると、体勢を低くして、お尻を振り始めた。
『あれは、怪物が獲物を捉える仕草です』
アラネスが得意げに解説しているが、よく見るやつですよ。若者たちはでかい猫にじゃれられているだけのようだが、何しろ体長が3メートルはある。怪我してもおかしくはなさそうだ。
『アラネス、術法いくよ』
わたしは猫に向かって右手を開いた。
『はい、でもこれは何ですか?』
「ディス・イズ……マタタービ!」
英語で何ていうのか知らなかったので、とりあえず叫んだ。
巨大猫は、大量のマタタビに頭を擦りつけながら、幸せそうにゴロゴロ言っていた。
『この子、ちょっかい出さなければ悪さしないと思うよ』
『そうなんですかね』
『猫好きのわたしが言うんだから、間違いありません』
というか、いくら巨大でも、まんま、猫のフォルムの生き物を仕留める気にはならない。
『ヒカリの戦士様が仰るのなら、従います』
わたしたちは猫を刺激しないように、そっとその場を離れた。