1 ヒカリの戦士
わたしの名前は佐倉光。しがないシステムエンジニア。会社の自席で今日も残業に明け暮れていたわたしは、パソコンの日付が次の日に変わるのを見つめていた。わたしの働く会社は、社会的には『ブライト企業』を名乗っている。ブライト企業である以上、一定時間以上の労働は許されない。許していないからこそ、ブライト企業の戦士たちは、そのルールに抵触しないように、わが身を犠牲にしているわけだ。わが社の今は、先史より、センシビリティの高さゆえに戦死していく戦士たちの骸によって築かれている。
などと、現実逃避をしたところで、目の前の作業ではなく、寝る時間だけが空しく減っていく。わたしは頬をぴしゃりと叩いて、入らぬ気合を無理やり入れた。
キーボードと格闘すること約二時間。既に丑三つ時を過ぎていた。強烈な睡魔に襲われたわたしは、少しだけ仮眠を取ることにした。そのまま机に突っ伏して、目を閉じる。ほんの少しだけだから、と自分に言い聞かせながら、意識が遠くなっていくのを感じた。
『戦士よ。ヒカリの戦士よ、我が声が聞こえますか』
まどろみの中で、どこからともなく、若い女性の声が聞こえた。
『我が名は、召喚術師アラネス。神託に基づいて、戦士をこの地に召喚する者なり』
そういえば最近、趣味のゲームもやってないな。いよいよ夢にまで見だすとは、飢えているな、わたし。
『戦士よ、我が声に応えたまえ』
段々と、その声のボリュームが大きくなってきた。
『戦士よ、どうか』
「うるさいな、聞こえてるよ!」
あまりに声が馬鹿でかいので、わたしは思わず大声でツッコんでいた。
『おお、戦士様、答えてくださったのですね』
頭の中で声が答える。わたしは不審に思って、目を開けた。石でできた女神像と目が合う。女神像の背後にはステンドグラス、両サイドには金色の蝋燭立てがある。そこは教会の祭壇のようなところらしかった。なるほど、まだ夢の中というわけか。わたしは周りを見渡してひとり、納得した。
『教会とはなんですか?』
すると、頭の中で、例の声が問いかけてきた。夢なら何でもありなのだろうが、イマイチ設定がよく分からない。
「教会は教会だよ。ていうか、君は誰だい」
『わたしは召喚術師、アラネスと申します』
そういえばさっき聞いたような気がするな。
『戦士様、ぜひとも我々の願いを聞いていただきたいのです』
「わたしに言ってる?」
『もちろんです。ヒカリの戦士様』
なるほど、わたしは戦士というわけか。わたしは、祭壇に祭ってあった鏡に自分の顔を映してみた。長い銀髪の少女の顔が映りこむ。腕は細いし、どう見繕っても戦う者という感じではない。
「あんまり強そうじゃないね」
『申し訳ありません。わたしは術師に過ぎないので』
彼女は本当に申し訳なさそうに答えた。この子、今『わたし』と言ったか。
「もしかして、これ、あなたの体?」
わたしは鏡に映る顔を眺めながら聞いてみた。
『はい、お見苦しくて申し訳ありません』
お見苦しいとは。色は白いし、お目目ぱっちりだし、めちゃくちゃかわいいじゃないか。と、心の中で悪態をついていると、彼女が恐れおののいた声を出した。
『あの、大変申し訳ありませんっ。どうか、どうかお怒りをお鎮めください……』
どうやら、思ったことも彼女に筒抜けらしい。
「あなた、わたしの頭の中にいるの? いや、体があなたのなんだから、わたしの方が頭の中なのか?」
『わたしの召喚術で、あなた様をわたしのひんそ……体に召喚させていただいております』
今、貧相って言いかけた事はツッコまないでおく。
「召喚っていうより、霊媒っぽいね」
『れいばい? それは何ですか?』
「霊媒は霊媒だよ」
面倒くさいので、霊媒師のイメージを思い浮かべてみる。
『ははあ、なるほど。死者の魂を呼び起こすのですね』
イメージの共有も可能らしい。これは便利だ。
「それで、わたしに何の用なんだっけ」
『実は最近、この村の近くにそれはそれは形容し難い、恐ろしい怪物が出るようになりまして。腕の覚えのある者を向かわせたのですが、それはもう見事に返り討ちに』
わたしは若干嫌な予感を抱きつつ話を聞いた。
『困り果てていたところ、女神のお告げを聞いたのです。ヒカリの戦士を召喚すれば、たちどころに解決に導いてくれるであろう、と』
「それがわたしだと?」
『はい、ヒカリの戦士様』
ツッコミどころが多すぎて、どこから聞こうか迷う。
「申し訳ないんだけど、わたしには戦いの経験なんか、1ミリもないよ」
『ミリ?』
いちいち聞き返してくるのがちょっとかわいいが、今は置いておこう。
「そもそも、あなたのこの体でどうやって戦うっていうの」
『すべては女神様の思し召しですから』
「いやいやいや、それは妄信ってやつでしょ」
この子は女神様に死ねと言われたら本当に死んでしまいそうだ。そこまで思って、彼女からこの件に対して特に反応がないので、わたしは若干、恐怖を感じた。
『わたし、簡単な術法なら使えますので、それで戦えということですかね』
「その場合、わたしがあなたに入り込む意味がわからないよ」
この子、もしかして何も考えていないのでは。
『よく言われます』
「言われるんかい」
わたしは秒でツッコミを入れた。
こういう場合、とんでもなく強そうなドラゴンとか、馬鹿でかいサーベルタイガー的なやつを想像していたが、わたしの前に現れたのは、巨大なカタツムリだった。高さ約3m、全長5mくらい。普通のカタツムリの100倍はでかい。元々あまり得意な生き物ではないので、気持ち悪さも100倍増しである。
「あなた、どういう術が使えるんだっけ?」
目の前で村の若者たちが蹴散らされている。とりあえず何かやるしかない。
『わたしに出来るのは、具現化の術法のみです』
「それ、どうやって使うの」
『頭の中で、思い描いた物を実際に呼び出すんです。手を突き出して、想いを膨らませてみてください。わたしが術法を発動します』
言われた通りにやってみるしかない。わたしはカタツムリに向けて右の手のひらを開いて、ゲームとかで見るような、炎をイメージしてみた。ボォッと音を立てて、火炎がカタツムリ目掛けて飛んでいく。
「何これ、楽しい」
わたしはウキウキになって炎を撃ちまくる。しかし、カタツムリはエスカルゴになるどころか、焦げ目すら付きそうにない。
「ちょっと、全然効かないじゃん」
『わたしに言われましても』
仕方ないので、今度は氷の刃をイメージしてみる。空から巨大な氷柱が落ちてきてカタツムリに襲いかかるが、全て弾き返されてしまった。
「どうすんの、これ」
『女神様をお信じください。あなた様が呼ばれた意味が、必ずあるはずです』
そんなものがあるなら今すぐ教えろと言いたい。とはいえ、相手はカタツムリだ。一つだけ試してみたいものがあるにはある。白い粉的なアレを思い浮かべると、案の定、彼女が問いかけてきた。
『これは何ですか?』
「ディス・イズ・ソルト!」
わたしが思い切り右手を振りかぶるのに合わせて、大量の塩がカタツムリにぶちまけられた。カタツムリはおぞましい悲鳴を上げて、みるみるうちに縮んでいく。わたしは途中で見るのを止めた。
村に帰ったわたしは、盛大にもてなされた。大きなテーブルの上に、見たことがない料理が所狭しと並んでいる。
「どうぞ、遠慮なく召し上がってください」
村の長だという白ひげの老人が満面の笑みを浮かべながら、グラスに飲み物を注いでくる。発泡の具合がビールに似たお酒で、香りはどちらかというと、ワインに近い。
「それにしても、あのような怪物の弱点を的確に見抜かれたとのこと。素晴らしい心眼でございますな」
カタツムリが塩に弱いなど、子供でも知っているが、この世界にはそもそもカタツムリがいないらしい。
『カタツムリとは何ですか?』
『さっきのやつだよ』
アラネスに頭の中で答える。中々に愉快な夢だが、随分と意識がはっきりしているのが気になった。とはいえ、程よく酒が入ってきて、気持ちよくなってくると、何が夢だかわからなくなってくる。
『そういえばこの体、あなたのだったね。ごめんね、勝手に酔っ払っちゃって』
『いえいえ、いくらでも酔っ払っちゃってください。これからお世話になるのですから』
『んー? 何か言った?』
わたしはいよいよ酔ってしまい、いつの間にか眠り込んでしまった。
爽やかな風が窓から吹いている。わたしは目を覚まして、大きく伸びをした。少し頭がズキズキする。そういえば、昨日はお酒を飲んで寝て……いや、会社の自席で仮眠をとっていたのだ。夢と現実がごっちゃになっている。わたしは頭を振って、ぴしゃりと頬を叩いた。
『おはようございます、ヒカリの戦士様』
「ああ、おはよう」
と、頭の中に返事をして、わたしは我に返った。そこは、見覚えのない丸太小屋のような場所だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
連載は不定期になりますので、気長にお付き合いくださいませ。