一般人990
街中の、入り組んだ裏道の先にある喫茶店に僕は来ていた。
木造、狭くはない。座ってる席から入り口は見えないし、窓もない。切り取られたかのような空間だ。暖かいのに涼しい。
適当に頼んだ飲み物を弄っていると、向かいに座った彼が唐突に話しだした。
「いきなりだけどさ、『未来は誰にでも平等にはこない』って台詞知ってるか? 正確じゃないかもしれないけどさ」
「いいや」
「サイボーグ009のギルモア博士が悪の秘密結社から誘われるときの台詞だよ」
「ふーん」
「人工臓器の研究に挫折したギルモア博士のもとに失踪したはずの天才博士が現れて、現代の技術では作製不可能なはずの完璧な人工臓器を見せて、今の台詞で組織に勧誘するんだ」
「へえ、面白いネ」
「これってさ、マジだと思わないか? 『未来は誰にでも平等にこない』」
「うーん、秘密結社ってのは信じないにしても、研究中の最先端技術なんかを集めればそうかもしれないネ」
「そう、なんでも無尽蔵に最先端が市井に出てくるわけじゃない。研究だとかは色々とルールがあって、管理されたりしてる。正しくないことも多いからな。でも、それが足枷にもなっている」
「そうかもネ」
「それが本当に足枷のためにあるとしたら? 有用なもの、必要なもの、革新的なもの、そういった物が独占され、寡占されているとしたら?」
「その、サイボーグ009の悪の秘密結社のようにかい?」
「ああ」
「考えたことはあるヨ、そういうトンデモみたいなことを。実生活や仕事でも見るからネ、大それた研究なんかじゃなくても、秘密にしなければいけないこと自体は。それはもしかしたら誰かにとって重要なことかもしれないネ」
「それで、どう思うんだ?」
「どうって、どうもしないヨ。人間は自分の周りにあることで生きるしかないからネ。今生きていられるならばそれに集中していればいいのサ。今の生活は不便もあるけれど致命的ではない。より先を、より完璧を今すぐ求める必要なんてないのサ。普通でいいんだヨ。僕も、君もネ」
「なるほどな」
「そう、普通が一番サ」
「ところでさ、1970年の万博って覚えてるか?」
「もちろんさ。僕が当時行きたかったけど行けなかったっていうの知ってるだろ?」
「いつも言ってたもんな。それで、あれもさ、普通に過去にあったことだよな」
「ああ、昔の話サ」
「でも、あれは未来を先取りしていた」
「あー、なんか色々あるらしいね。あそこで展示されていたものが後の時代に実用化されていたり」
「そう。限定された空間と時間の中でなら、人類は技術を50年先取りできるんだ」
「だから、未来はもう存在しているって?」
「ああ」
「逆なんじゃないカナ? 普通の今が未来を先取りしようとすると、そういう限定的なものになる。そして、それは見せかけだけのものだヨ」
「なるほど、そういう捉え方もあるか」
「そっちの方が普通だと思うナァ。そんなことを話したくてわざわざこんな誰も知らないような喫茶店に誘い出したのかい?」
「んー、そう。わざわざ話したかったんだ。おまえとな」
「ふーん。ナゼ?」
「えーとな、言いにくいんだけどもな。おまえさ······」
「ナニ?」
「ああ、ちょうど来た」
「うん?」
「久しぶりだな」
「え? この君にそっくりな人は? 君の······双子の、兄弟かい?」
「いいや。ほらもう三人来た」
「まさか、三兄弟?」
「いいや。兄弟でもクローンでもない。全部俺さ。同一人物だよ」
「なにを言って······」
「じゃあ最後に来たこの一人に見覚えは?」
「そんな! まさか!」
「そのまさかサ」
「僕、なのか······!?」
「そうだよ、僕。はじめまして」
「なにが、いったい、どうなって······」
「ねえ僕、僕にも未来がきたんだよ」
「おめでとう。おまえ、選ばれたぜ。次の世界を生きる市民モデルにな。市民モデルタイプ99だ」
「わけが······」
「それで、おまえ自身はどうする?」
「僕、自身?」
「未来にくるか? おまえ、さっき焦る必要はないと言っていたけどな、現代っていうのは未来のための牧場なんだよ」
「······わからないヨ」
「未来は明日来るってものじゃないのさ。今あるんだよ、横に。並列して存在しているんだ。待ってても向かっても来やしないし行けやしない。敷居の向こうにあるんだからな」
「······」
「ねえ、僕? 僕が普通でいたい、普通が一番いいっていうのは僕が一番よくわかっているヨ。だから、僕は満足してるんだ、嬉しいんだ。だって、僕は行くことを許されたんだからネ。選ばれたんだ、本物の、ちゃんとした市民として。僕はようやく普通になれるんだ」
「普通に、なれる?」
「そうとも。君は、僕は、今、普通じゃないんだヨ。普通と思っている今は普通じゃないんだ」
「······」
「かつて行けなかった万博に行けるぜ。未来にな」
「······行きたい、ナ」
「行こうぜ、一緒に」
「うん。行くよ。僕は、行くよ。君と一緒に」
「わかった」
「よろしくネ、市民99番の0号。君が最後の一般人だ」
「最後? 最後って?」
「······もうな、未来に人はいらない。これ以上はいらない」
「いらないの?」
「ああ。現代はもういらなくなったんだ。牧場は、間もなく閉鎖される。消えてなくなるんだ」
そう言って僕の手を引く彼の手は、温かくて冷たかった。
僕は、それが少し嬉しかった。