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Birthday  作者: 星河七海
9/22

第9話:はじまり

俊はシャーッという、何かを引く音で目を覚ました。ぼんやりと霞む視界に、病室の窓のカーテンを引いている沙穂がいた。静かに振り向いた彼女の姿に、昔が重なって見えた。まだ、付き合って間もない頃の沙穂の姿。俺が起きたのに気付くと、少し微笑んで言った。

「あ、ごめん。起こした?」

その一言で、俺はすぐに身体を起こして、沙穂の両肩を強く掴んで訊いた。

「紗穂!身体の方は大丈夫なのか?!」

「俊、痛いってば……大袈裟ね」

「寝てなきゃダメだろ」

俺は強くそう言って、沙穂の背中を押した。沙穂をベッドに寝かせようとすると、沙穂は細い腕で俺の手を掴み、それを制した。

「俊、大丈夫。もう大丈夫だから」

有無言わせない強い口調に、俺は戸惑った。

そして、次の言葉で俺は、沙穂の真意が分からなくなって、もっと戸惑ってしまった。

「ね、デートしよう?」

「はっ?」


その時の彼の表情は、今思い出すだけでも笑える。この五年で変わったと、そう思っていた。でもこういう間抜けなところは、全然変わってないことが嬉しくて、少しだけ泣きたくなった。私はこのデートをしたら、家族に何も言わず、どこか転々としよう―――そう思った。一人旅なんて、いいかもしれない。

何もかも捨てて―――。

だから、何の企みなんてなく、ただ純粋に最後のデートを楽しみたかった。

最後まで、必死に足掻いて見ようと思っていた。

大きくなった気持ちだけが、いつも空回り。

彼を全力で振り回したいと思った。でも、振り回されてるのは、やっぱり私。

キスを奪われただけ―――。

氷のように冷たいあの表情を見ただけ―――。

たったそれだけのことなのに、私の心は嵐のように荒れ狂って、動揺してしまう。

彼は、ずるいと思う。私ばっかり、好きで好きで、本当に好きだから、彼がとても恨めしい。自分の気持ちは、もう破裂寸前。

もし、この気持ちが破裂したら、私は彼を傷つけてしまう。

彼が傷つく言葉を、平気で言ってしまう。

彼には幸せになって欲しい。笑っていて欲しい―――。

自分の幸せなんて、二の次だ。だから、その前に「別れ」を選ぶ。

今度は、「逃げる」のではなくて本当の「別れ」なのだから―――。


 エドガーは、目的地を変えた感じの悪い客に対して、苛立ちを募らせていた。服装はブランド物で統一されているのに、派手という感じが全くしない。センスがいいというのが、その要因であるのだろう。いかにも高そうなダイヤの結婚指輪が嵌っている。信号待ちの度に、バックミラー越しで彼女の様子を盗み見ていると、目元をくっと細めて、鋭い眼差しで言った。

『何か?』

『いや、別に……』

『用がないなら、ジロジロ見ないで』

『す、すみません』

エドガーは、それきり彼女と一言も話さずに、目的地へと車を動かした。

病院に到着すると、彼女は予想の金額より少ないお札を出して、エドガーにこう言った。

『貴方、客のプライバシーとか少しは考えたら?不快感の分を差し引いておいたから。

それと―――いらないから、あげるわ』

勝手にそう言って、彼女はすぐに病院の中に入っていってしまった。エドガーの手元に、放り投げられたのは、さっきまで彼女の指に嵌っていたダイヤの結婚指輪だった。エドガーは、その指輪と彼女が入っていった病院を見比べ、溜め息を付いた。エドガー自身、おせっかいな性格だというのは、重々承知している。そのせいで、自分が嫌な思いをすることだって、今まで何度あったことか―――。ただ彼が、さまざまな出来事に巻き込まれるのには、いつも意味があった。だからこそ、今の職に落ち着いて、充実した日々を過ごしているのだ。彼女に押し付けられた、結婚指輪。これも何かの縁なのかもしれない。そう思ったエドガーは、慌てて車から降り、彼女を追った。彼の手の中には結婚指輪―――。

銀色に輝くその指輪の内側には、ダイヤの価格に似つかわしくない、『I Love you. Nao 』と下手な文字が彫られていた。


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