第6話:夢と現実
いつも、私はある夢を見る。それは、とても心地よい夢―――。
それが夢で終わらなければいいのに、と何度思っただろう。
彼の笑顔、温かい眼差し、不器用な優しさ―――。
まどろむ意識の中で、その全てを感じる夢をいつも見ていた。
だけど、最後に笑顔で「じゃあな」と残酷に笑い、「彼」はどこか遠くへと行ってしまう。
まるで彼の心を表しているかのようで、いつも私は「彼」を追った。
夢であっても現実であっても、構わない。
「彼」から離れたくなかった。
―――待って!俊っ―――
彼へと届くように、私は思いっきり手を伸ばし、叫ぶ―――。でも、その手は空回り、結局彼を捕まえられずに、目が覚める。そして、勢いよく起き上がってみると、頬には冷たい雫が伝っているのだった。
「また……か」
私はベッドの上でそう呟いた。まだ薄暗い光が、カーテン越しに優しく零れている。サイドテーブルの時計を見ると、まだ朝の五時。身体全体がベタついて、何だか気持ち悪い―――。どうやら夢のせいで、変な寝汗を掻いたらしい。乱れる息を整えて、深く溜め息をついた。彼と出会って、付き合い始めてから、いつも見続けている夢だった。夢の内容は、いつも同じ。夢の中ですら、彼と上手くいった試しがない。最後は、夢と現実が同じになってしまう―――。夢の中だけでもいいのに、何故上手くいかないんだろう。私は脳裏をちらつく、俊の顔とホテルのナンバーを頭を激しく振り、思考の外へ追いやった。それから、ベッドから降りて、キッチンにある冷蔵庫を開けた。いっそ清々しいくらい何もない冷蔵庫の中は、生活の匂いが感じない。料理なんて女の子らしいものは、昔から苦手だった。普段の食事も、外食か買ってきた出来合いのもので済ませてしまう。唯一、常に冷蔵庫に入ってるものといったら、ミネラルウォーターやミルクやカロリーメイト、そしてビールだけ。私は、ボトルのミネラルウォーターを取り出して、一気に飲み干した。ポストに挟まっている英字新聞を取ってきて、テーブルにそれを置いた。
「シャワー浴びてくるかな……」
私はぽつりとそう呟いて、バスルームに向かった。
身体全体に叩きつけられるシャワーのお湯が心地よく、顔全体にもシャワーをかけた。流した涙や夢の内容も、すべて排水溝へと流れていくような気がする。目を瞑って、ふと思う―――。彼への気持ちも流れてくれたら、どんなに楽だろうか。だけど、もはや時は遅すぎた。想いは深く染みついてしまい、自分の涙でも落ちない。この気持ちは、これからも変えられないんだろうな。私は、自嘲気味に薄く笑った。バスルームから出て、キッチンの食器棚からお皿を出すと、テーブルに置いてあるシリアルをそこに出した。並々と注がれたミルクが、スプーンですくう度に揺れる。英字新聞を一通り読み終えて、残ったミルクを豪快に飲んだ。身支度と化粧を急いで済まし、時計を見ると既に八時を過ぎていた。
私の家は、七番街の通りに面したお洒落なアパートにある。そこから一駅の隣町に私の勤めている会社はあった。電車で二十分程度なので、駅に着くまでの間、本を読むのが私の一日の始まりだった。だが、たまにその時間を妨害される。誰に、なんて言うまでもない。
『おはよう、沙穂。今日も綺麗だね』
そう笑顔で挨拶すると、カーティスはいつものように隣の席に座った。私は嫌々ながらも、横にあったささやかな抵抗の鞄を自分の足元へ移して、席を空けた。何故、毎日コイツのために席を空けなきゃいけないんだろう……。カーティスとは、乗る電車が一緒のため、仕方なく彼の話に付き合わなければならなかった。
心の底から嫌だけど―――。私は心の中だけで舌打ちをして、隣のカーティスを盗み見た。
まだ懲りていないのか、コイツ……。昨日の今日なのに、案外しぶといわね。
私は深く溜め息をついて、カーティスに言った。
『おはよう。昨日、清掃員が掃除していたからじゃないの?』
『つれない君も好きだよ』
ダメだ、コイツには何言っても無駄な気がする。私は、煩わしさを露骨に顔に出した。
「そりゃどーも、今日も読書は無理そうね」
私は敢えて日本語そう呟いて、本を鞄の中にしまった。ペラペラと他愛もないことを喋り始めるカーティス。だが、私は彼の話をまともに聞いてなかった。左耳から右耳へと雑音のように流れていく。今は、俊のことしか考えられなかった。カーティスのことを気遣う余裕なんてなかった。それにやっと気付いたのか、カーティスは心配そうに私の顔を覗き込んできた。気が付くと私は、会社の廊下でカーティスと並んで歩いていた。放心状態のまま、よくここまでこれたなぁ、とほんの少し感心してしまう。私達以外はまだ出勤してないらしく、辺りは閑散としている。
『大丈夫?……何かあった?』
『何でもないわ』
『何でもないのに、何故泣いているんだい?』
カーティスが私の頬辺りを指で示したので、そっと頬を触れてみた。一筋の涙を無意識のうちに流していた。
『僕じゃ駄目?話なら、いくらでも聞いてあげるよ?』
そう言って、カーティスは私を引き寄せ、きつく抱きしめた。
「……」
この時の私は、本当にどうかしていた。精神的にも参っていたのかもしれない。だから、彼の温かい抱擁を、何故か拒むことが出来なかった。そして、何もかも投げ出したかった。
次の瞬間、荒々しく壁を叩く音が廊下に響き渡る。私は我に返って、慌てて後ろを振り向くと、そこには―――氷のように冷たい表情を浮かべた俊が立っていた。




