第4話:駆け引き
圧迫された空気、刺すような彼の鋭い視線、重い沈黙。私達は、お互いに懐かしんでいたわけでもなく、会えた嬉しさをかみ締めているわけでもなかった。私自身、心のどこかで再会を望んでいたのかもしれない。五年前に二度と会ってやるもんか、降りしきる雨の中で、必死に涙を堪えながら、そう思った。なのに、再会できたことが嬉しくて、何だか無性に泣きたくなった。五年経った今日、私の誕生日に再会―――。
別れたのも再会したのも、誕生日だったなんて、本当に皮肉だわ……。
それを偶然の出会いとして片付けてしまえるほど、私はまだ大人ではない。
「な……んで、いるの」
私は掠れた声で、小さくそう呟いた。ようやく発した最初の言葉が、それだった。他にも言いたいことは山ほどあるのに、頭の中が真っ白で、言葉が続かない―――。でも私達の関係は、五年前のあの日で終わっている。今更私が何を聞こうと、私にはもう「無関係」なんだ。そう思うと、胸の奥に刺さったままの、小さな小さなトゲがずきりと疼いた。
「何でって?俺、亮太さんの秘書だし」
「そ、そう」
「そうだよ、別に沙穂に会いに来たわけじゃない。仕事で来たんだ」
再会してから、俊はずっと私を見つめて話している。狡猾で獰猛な獣のような瞳、自分がちっぽけな小動物みたいだ。この時、俊に対して「男」という恐怖を初めて感じた。私はその瞳に囚われないようにと、必死に目を泳がせていた。あの瞳に捕まったら、私はもう逃れられない。
「……元気、そうね」
「まぁね、って言いたいところだけど……そう見える?」
皮肉めいた笑みを浮かべる彼は、苦笑しながら私にそう聞いた。胸元からタバコを取り出して、シルバーのジッポを指先で弄び、慣れた手つきでタバコに火を付けた。彼は、いつからタバコを吸うようになったのだろうか。社会で揉まれたせいか、「大人の男」という雰囲気が漂う。何だろう、お兄ちゃんと似ているのかも。五年前の俊は、情けないくらい頼りなかった。いつも余裕がなくて、いっぱいいっぱいで頑張っている姿が、どうしてもほっとけなかった。でも人は、五年も経つとこんなにも変わってしまうんだ。
五年という歳月は、長いようでいて短い、改めてそう感じた―――。
私は声を震わせ、惚けた調子で「さぁ?」と肩を竦めた。
「沙穂、駆け引きが上手くなったな」
「貴方は、前より性格悪くなったわね」
私の皮肉を聞いて、彼は一瞬目を丸くした。そして、いきなり噴き出して、声を押し殺して笑い始めた。それが、再会してから初めて見た久しぶりの笑顔。彼に未練タラタラの私の気持ちなんて、きっと分からないんだろうな。
その不意打ちみたいな笑顔に、また心を奪われたんだよ―――?
五年間ずっと忘れようとしていたのに、大切な思い出にしようと努力してきたのに―――それすらも許してくれないの?……本当に酷い人。ねぇ知ってた?
―――それでも、私は馬鹿みたいに好きなんだよ?
「それは、誉め言葉として受け取っておくよ。その方が平和的解決に済みそうだ」
ようやく笑い終えた彼は、不敵な笑みを口元に浮かべて、そう言った。
その時初めて、互いの視線が絡み合った。吸い込まれそうな漆黒の瞳。同じ人種のはずなのに、私なんかとは全然違う。糸で引き寄せられるような、彼の双眸に耐えられなかった。
「お、お兄ちゃんのところ、戻らなきゃいけないんでしょ?」
私は慌てて目を逸らして、咄嗟に話題を変えた。
「まあね。でも、バーで女の人引っ掛けてきそうだから、今日はもうお役御免だろうね。俺も別に取っておいた部屋に戻るよ」
そう言って、このホテルのルームカードキーをポケットから取り出した。『4005』と書いてあるカードキー。わざわざ部屋番号を見せるのは、何故―――?
再会したのに、引き止める様子もない。彼の態度から読み取れるのは、余裕と自信だった。
まるで、私が業を煮やして、この部屋にいつか必ず来ると予想しているみたい―――。
挑戦的な瞳、こんな彼の表情―――私は知らない。
「いつまで、滞在してるの?」
「……亮太さんと仕事次第だな」
彼はそう言いつつも、「それと、お前次第」彼の瞳はそう語っている気がした。
―――自意識過剰かもしれない。彼とやり直したいと、心のどこかで私はそう思っている。
だから、その欲求がそう感じさせたのかもしれない。でも、どことなく熱を帯びた熱い視線は、五年前の彼と確かに違うと思った。彼が私から痺れを切らしてここに来ることを予想しているなら、私も同じことをしてやればいい―――。
「お兄ちゃんに、この紙を渡しておいてくれる?」
私は昼間、職場で書いておいたメモを彼に差し出した。彼は訝しげにそのメモを見ると、少し驚いた表情をした。そのメモには、私の家の住所が書いておいた。「ふぅん」と彼が無表情で呟く。これをどう取るかは、彼の自由だ―――。私だって五年間、無駄に過ごしていたわけじゃない。自分の気持ちに嘘はつけないけれど、五年前のことだって、何もなかったことになんてできない……。それだったら、足掻けるだけ足掻いてみたい。最後に負けるのは、自分だと知っているから―――それまでは、貴方を振り回してみたい。それは、つまらない最後の意地だった。
「……言っておくけど、お兄ちゃんに渡してよね?」
「何?俺が見るとでも思ってるわけ?」
「さぁ?」
これが、私の精一杯の意地―――。覚悟しててね、全力で貴方を振り回してあげる。
私がいないと生きていけないくらい、惚れさせてあげる。
最後に彼が降参したら、もう一度初めからやり直そう?
―――いつもみたいに、それまで待っていてあげるから。




