第3話:再会
「ぃ……い、おい?沙穂」
「え、あ。ごめん、何?」
視界がぶれる。その瞬間、はっと我に返った。どうやら肩を揺すられるまで気づかないほど、物思いに耽っていたらしい。兄が心配そうに、私を覗き込んで言う。
「どうかしたか?誕生日なのに、プレゼントあげても喜ばないし、食事の時も心ここにあらずだったぞ?何か、あったのか?」
やっぱり兄は鋭い。いつも惚けているのに、妙に鋭くて、痛い所を突いてくる。何が起きても、冷静で的確な判断を下す。案外社長というポストは、兄にとって適材適所なのかもしれない。
「何にもないわ。また年取っちゃったなって、感慨深く浸ってたの」
「ふぅーん?」
探るような相槌を返されて、私は兄をちらりと一瞥して口を噤んだ。まあ、嘘はついてないはず。感慨深く浸ってたのは本当だし。エレベーターホールまで来ると、兄はボタンを押し、ズボンのポケットに片方だけ手を突っ込んだ。性格を知らない人から見れば、兄はかなりカッコいいらしい。スーツをビシッと着こなしているのに、大人の余裕みたいなオーラがある。少し緩んだネクタイを直す仕草は、私から見ればごくありふれた光景なのに、他の女性からしてみれば、形容しがたいフェロモンが直す仕草に、込められているとか何とか。大学の時の親友は、兄と会った後にそう熱弁していたのをよく覚えている。
ごくごく身内しか、このマイペースでおちゃらけた性格を知らない。ま、知らぬが仏よね。
「何だ?お兄ちゃんに惚れたか?」
「……兄妹の縁を簡単に切る方法ないかしら」
ふざけた調子で私の肩を抱いてきたので、私は冷たい瞳でぼそっと呟いてみる。どうやら、しっかり聞こえてくれたらしく、素直に謝ってきた。
「すまん、冗談だ。うーん……昔は、あんなに「お兄ーちゃん、大好き」とか言って後ろから、可愛く付いて来たのに、どうしてこんな風になっちゃうのかなぁ」
またそんな昔のことを……。というか、それって幼稚園の頃のことよ?比べるほうがどうかしてるわ。それに、こんな性格になった原因だって……。私は半眼で睨みながら、兄に言った。
「ふっ、初恋の人に書いたラブレターを勝手に無断で本人に渡して、その後「いかに妹が可愛いか」を一日付きまとってつらつらと並べ立てる。その次は、告白してくれた人の素性を調べ上げ、ついでに過去の女性遍歴も洗い上げてくれて、ムードをぶち壊したとか。果ては、初めてできた彼氏を紹介したら兄の悪友の彼女も、彼に痛い目に合ったと言って、悪友を電話で呼び出し再起不能へ。こんな風に育った原因の一つに、自分が全く関係ないとはもはや言わないわよねぇ?」
まぁ、十年以上も経てば、人は簡単に変わるのよ。そう、人との関係もまた然り……。
「うっ」
「これが故意なら、本気で縁切ってるから」
そう、悪気がないから余計始末が悪い。初恋の件だって、つきまとったわけじゃなくて「妹はこんなに可愛いんだよ」と結構しつこく薦めてくれただけ。兄の善意なのだ。告白してくれた人も私を後々泣かせまいと、善意から忠告してくれただけ―――。初めての彼のことだって、私のことを考えてくれたから……。そこで、私が兄に「止めて」と言わなかったのは、私が彼らを本気に好きではなかったから。兄はそんな私の感情を見抜いていた。兄は、昔からそういう人だった。
「でも、ちょっと前まで付き合っていた奴、俊っていったか?根性据わってたよな。ああいう奴は、なかなかいないぞ」
私はびくっと肩を震わせたが、なんとか冷静さを装って答えた。
「……俊の話は止めて。もう、終わったことなのよ」
そうよ、もう終わったことなのよ。五年も経てば、彼にだって彼女くらいいるだろう。胸の奥底に潜む、どす黒い感情が私の心を日々、侵食していく。自分自身に何度こうやって、言い聞かせただろう?その度に、心に積っていく持て余した行き場のない想い―――。
もう、どうすることもできなかった。
「本当に?未練タラッタラっぽいけど?」
「好きじゃないわよっ、あんな奴……もう、関係ないの!」
泣きそうな表情で、私は顔を歪めて言い放った。―――次の瞬間、懐かしい声が聞こえた。
「……だってよ、俊君?今夜、俺の部屋で呑みあかすか?」
「亮太さんの酒癖の悪さは熟知してるので、謹んでお断りしますよ」
「そりゃ、残念。さてと、俺はバーで軽く飲み直して寝るとするか。頑張れよ、沙穂」
何で……?
信じられなかった。彼が此処にいることを?……いや、違う。必死に押し殺していた感情が、彼が現れただけで、簡単に溢れ出してしまったから―――。五年に月日を経たのに、何もかも変わってしまったのに、結局、私だけは何も変わってなかったんだ。




