第2話:色あせない想い
あれから五年、渡米した私はN.Y.で仕事をしていた。前からN.Y.行きの話は出ていた。あの日、俊が来てくれたら、私達の関係は続いていたかもしれない。心がちゃんと通じ合っていれば、離れていても想いは変わらないから……。だけど、心が離れてしまったらそれまで。私達は、もう終わってしまった。それなのに、五年経った今でも、まだ想いが消えないなんて……本当に未練がましいな。その想いを振り払うかのように、私は再び仕事に没頭した。
『日本人は真面目だねぇ』
『カーティス、仕事はどうしたの?』
『終わったよ。お嬢様をお迎えにきました』
私がキーを一心不乱に叩いていると、同僚のカーティスが声を掛けてきた。私より年下だが「仕事の出来る男」として、社内ではいろんな意味で有名だった。社内にいる半分の女性と寝たとか、寝ないだとかそんな噂も飛び交っている。どうやら、彼の標的はいつの間にやら「私」に切り替わったようだ。
『言っておくけど、食事ならお断りよ』
『何故?』
『五ツ星レストランなら考えないでもないわ』
なーんて、嘘だけだけどね。私は心の中で舌を出す。彼以上の人なんていない。心のどこかで、彼と比べている自分がいる。それを認めてるって、相当重症だわ……。
『せめて三ツ星くらいにしてくれよ』
『それなら、諦めてちょうだい。お疲れ様でした』
しつこく食い下がってくるカーティスを無視して、出来あがった書類の束を整えて、帰り仕度を済ませた。周囲にも挨拶をすると、ぱらぱらと返事が返ってきた。とはいっても、仕事中だから生返事の人がほとんどだった。
エレベーターで一階に降りようとすると、開いた扉の向こうにはカーティスが居た。エレベーターのドアを片腕で抑えながら、私の行く手を阻む。三階から階段で降りてきたのか、息が少し乱れていた。その薄く乱れる息遣いが、彼の魅力に一際磨きをかけていた。なるほど、社内の女子が虜になるわけだわ。彼がモテる理由を垣間見た私は、妙に納得した。だが、その腕をかいくぐり、ロビーを早足で歩いた。
『待って。一緒に帰ろうよ』
追いかけてくる足音を気にせず、私は会社の外に出た。辺りを見回すと、柱に寄りかかるよく見知った長身の男性を見つけた。
『ごめんなさい。私、彼氏いるの』
カーティスが追いついたのと同時に、待っていたその男性に腕をからませて笑顔で言った。彼の容姿と人を射抜くような鋭い目つきに気圧されて、カーティスは肩を落として帰って行く。カーティスが去った頃、隣にいる男性は、私の頬を軽くつねって嫌味っぽく言った。
「彼氏?よく言うよ。この大嘘つきめ」
「痛いってば。んもう、連絡ぐらいしてよ。まったく、何しにこっち来たの?泊まらせる場所なんてないわよ」
「そう怒るなって。ちゃんとホテルの予約してあるから大丈夫。せっかくだし、そのホテルのレストランでご飯でも一緒に食べようぜ」
そう言って、彼は馴れ馴れしく肩に手を置いた。しかし、私はさほど気にも留めず、彼を見上げて訊いた。
「……勿論、奢りでしょうね?」
「……お姫様のお好きなように」
「からかわないでよ、お兄ちゃん」
彼は、立花 亮太。彼氏でもなく、婚約者でも、夫でもない―――。一応、私の兄である。昼間、会社に電話がかかってきて「今、会社の前にいるんだ」とだけさらりと言ってのけ、給湯室の窓から覗いた時は目を疑った。日本に居るはずの兄。それが何で、こんなところにいるのよ。―――まあ、大体の想像はつくけど。私は少し考えて、馴れた手つきでダイヤルを押した。
兄に連れられてきたレストランは、皮肉にもカーティスに示した、五ツ星高級ホテルのレストランだった。兄は外資系会社の社長なので、超がつくほどのお金持ちだ。五ツ星レストランのメニューの値段など、全く気にならないらしい。メニューに一通り目を通すと、「とりあえず、このフルコース」と簡単な口調でウェイターに言った。とりあえず、と言う必要性を見出せないが、この際、それはどうでもいい。
「で、何でここにいるのよ?」
「妹に会いたかったから」
「嘘ばっかり」
兄は、にっこりと嘘臭い笑顔を浮かべる。十年来の付き合いである私は、目を細めて兄を睨みつけ即答した。
「隠居したはずの父さんが余計な口出ししてきて、対立したんでしょ?」
「う……よ、よく分かるな」
「家に帰ったら帰ったで、今度はお母さんが「沙穂に連絡してみて」とか「沙穂は、ちゃんとご飯食べてるかしら」とか心配してきて、自分のことなど何一つ心配してもらえなかった。それが面白くなくて、ついつい怒鳴ったらお母さんが泣いちゃって……運悪くそこに、父さん帰宅。またしてもそこで喧嘩になって、結局勢いで飛行機に乗ったんでしょ」
「何で分かるんだ?……そうか、電話あったのか」
「電話してみたの。ようやく分かったの?馬鹿兄貴。はぁ、こんなのが社長なんて日本経済も先が危ういわ」
冷たくぴしゃりと兄に言い放ったが、まるで堪えていない。仕事している兄というのが、どうしても想像出来ないのは、この緩みきった平和そうな笑顔のせいだと思う。冗談ではなく、本当に兄の先行きが心配になった。兄は思い出したように、スーツのポケットからラッピングされた小箱を取り出した。
「はい、プレゼント。お誕生日おめでとう」
「……そうだった、すっかり忘れてたわ。ありがとう」
嘘だった。あの日以来、毎年誕生日を迎えるのが苦痛だった。忘れようと思っても、忘れられない日。だから、毎年一人で過ごしていた。そういえば大学の頃は、誕生日が待ち遠しかったな。彼は、私を驚かせるのが上手かったから、毎年とても楽しみにしていたんだっけ。一番驚いたのは、付き合い始めて最初の誕生日だった。友達が誕生日パーティを開いてくれて、皆の前で渡された。勿論、冷やかされながら。
「今年は何かなぁ?」と言いながら、私は渡されたプレゼントの包装紙を綺麗に取った。中身は、シンプルな写真立てだった。中には、まだ何も入っていないらしく、真っ白だ。彼の友達も興味津々で見ていたが、何も入ってない写真立てだったので、面白くなさそうに文句を言っていた。家に帰って、その写真立てに二人で撮った写真を入れようとすると、そこには私の写真が裏返しで入っていた。いつの間に撮ったのだろうか。何気ない日常の一部で笑っている私がそこに居た。彼はどんな想いでこれを撮ってくれたんだろう。ファインダー越しの私は、彼の瞳にどう写っていた?そんな想いを馳せると同時に、彼を想うことが嬉しくもあり、どこか切なかった。
今でも鮮明に思い出せる、色褪せることないあの想い。彼以外の誰かと結婚して、家庭を持っても、きっと一生忘れない。
少なくとも、あの時だけは彼の「彼女」で居られたのだから―――。




