第19話:整えられた舞台
結婚式当日―――
私は、住み慣れた部屋全体を見渡した。五年間も暮らせば、さすがに愛着が沸くものね。数日前に大きな荷物を日本へ送ってしまい、今は、この部屋を借りた時と同じ状態。
フローリングの床が、朝陽を浴びてきらきら光る。がらんとして、何もない部屋を見ながら、忘れ物がないかと最終確認をした。
「うん、大丈夫みたいね」
傍に置いてあった、重いアタッシュケースを持ち、玄関のドアを開けた。そのアタッシュケースを少し転がす。なんとなく後ろ髪がひかれ、振り返って部屋をもう一度、見渡してみる。いろんな想いが詰まった部屋。眠れない夜を過ごし、自暴自棄になって酔いつぶれた事もあった。遠くにいる俊を想って、切なくて苦しく、泣いた日もあった。掛かってくるはずのない携帯を何度、開閉したっけ。こっちに来てから、笑ったことがなかったな。再会に驚くことはあっても、いつも心のどこかで俊を求めていた。そんな日々が、昨日のことみたいに鮮明に蘇ってくる。この五年間、色んなことが沢山あった。
私自身も、成長して少し変わった。そんな私を、見守っていてくれた部屋。私はすっと綺麗にお辞儀をして、小さな声で「ありがとう、さようなら」と言った。静かに閉まるドア。今度は一切振り返らず、迷いのない足取りで部屋を出て、そのまま式場へと足を運んだ。
『カーティス!』
手を挙げて大きな声で呼ぶと、チャペルに居たカーティスが振り返った。
『沙穂、来たね。準備はできてるよ』
そう言った、タキシード姿のカーティスを見て、私は思わず目を見張った。
前髪は軽くワックスを付け、それを後ろに流して、きっちりとセット。光沢のある濃い紺色のジャケット、首元を飾るネクタイは薄灰色のチェック柄。それからストライプのパンツを合わせて、足元は高級そうな黒の革靴。なかなかの出来栄えに、思わず溜め息が漏れた。敢えて言っておくが、桃色の―――ではない。美緒ちゃんじゃあるまいし。
『カーティス、そんなにお洒落する必要ないのよ?仮初めの式なんだし』
『えー、いや。でも、結婚する時の参考になるだろう?』
『結婚、する気あったんだ』
妙に関心しつつ、悪気ゼロでざっくりと言うと、カーティスは口元を引きつらせた。
『沙穂って、何気に失礼だよな。まあ……しばらくは、独り身でいるけどな。荷物、それだけか?』
『うん。あと、よろしくね』
『了解』
結婚式というのは建前。実は、トレントさんの知り合いに一日だけ教会を借し切りにしてもらい、元牧師のトレントさんの下、仮初めの結婚式をすることになっている。といっても、カーティスを一回振っているわけだし、あくまでも結婚するフリ。でないと、控え室で介添えを手伝って貰う予定の美緒ちゃんに、殺される。私も、そんな気はさらさらないしね。俊が来ても来なくても、荷物だけは空港に持っていってもらうように、カーティスには頼んである。あとは、俊がどう行動するかに全てかかっている。
勿論、怖い―――。
でも、もう逃げるのは嫌だ。
そう、決めたんだ。
『―――なぁ。もし、俺と先に出会ってたらさ、沙穂はどっちを選んだ?』
『……カーティス』
躊躇いながらも、カーティスは探るような視線を向けて、私に聞いた。
その問いには、既に答えが決まっていた。ただ、何だか言いづらかったので、少し逡巡して言った。
『もし、あなたと先に出会っていても、私はきっと俊を選ぶわ』
『そっか。じゃあ、これは愚問だったかな』
おどけた調子で肩を竦めたが、切ない色が彼の瞳に宿っている。でも、それを慰める役は私じゃない。私は瞳を伏せ、『そうね……』と呟き、その場をやり過ごした。私の気持ちを察したのか、カーティスは、真剣な表情で静かに言った。
『沙穂』
『?』
『幸運を』
何度、彼に感謝したか分からない。
何度、彼の手を取れたら良かったと思ったか、分からない。
それでも、俊を選んでしまった私。私は言い尽くせない「ありがとう」の代わりに、極上の笑顔を浮かべて、頷いた。




