9、森林浴に行ってみた
ところで異世界に転生したらとりあえずやってみる事の定番があるだろう。なので昔、前世の記憶を思い出した後に側に誰もいない時を見計らって呟いてみた事がある「ステータス」と。しかし、何も起こらなかった。まあそれまでの人生でそんな自身のステータス的なものの存在を聞いたことが無かったのでそういう世界なんだと諦めていたのだが、洗礼名を貰ってからか想像したものとは別だが不思議なものを見るようになっていた。
はじめに気付いた時は実家で外見が5歳位になった弟のバジルとトランプのようなカードで遊んでいた時だった。
「はい、バジルの番ね」
母さんと弟とトランプの婆抜きで遊んでいて母さんが一番に上がり、弟と一騎打ちになった時だ。カードに薄い灰色のもやが付着してみえた。最初は汚れかと思い触れてみたが、触れることなくすり抜けてしまう。
思い切ってもやの付いたカードを引いてみた。やはりもやには触れられないがカードはジョーカーの札、婆だった。
私はカードを手で隠し「右手のカードか左手のカードか?」と弟に勝負をせまる。弟は右を選んでジョーカーを引いていった。
弟もカードをシャッフルして私にどっちだと勝負をせまる。私は今度は灰色のもやの付いてない方のカードを引いた。火の8のカードで私の風の8のカードと合わせて上がりだ。この世界のトランプはハートなどの記号ではなく火、水、風、地の4種のカードにジョーカーは光と闇の精霊をモデルにして描かれたカードだ。
まあ、私が勝ってしまって幼い弟は泣き出してしまったのだが、その時も薄い灰色のもやが少し漂って見えたのだ。以降、弟とカードゲームをするとよく見える謎の薄いもやは気になりつつもとりあえず放置していたのだ。
次におかしいなと感じたのはリナリア様の邸宅に行く途中黒いもやを纏った人を見かけた時だ。側仕えのマリーにはその黒いもや自体見えなかったらしい。私は黒いもやはとても嫌な感じがしたので側に寄りたくなかった。とりあえずリナリア様に相談してみた。
「黒いもやねぇ…私もそれは見たこと無いわね。触れないし、他の人は認識も出来ないものねぇ…。とりあえず夫にも聞いてみるわ。ジェダイドには相談した?」
「いえ、まだです。黒いもやを見たのは今日が初めてです。…だた薄い灰色のもやなら見たり触れようとした事はあるんです。すり抜けて結局触れることはできなかったんですがね」
感覚的なものだが黒いもやも灰色のもやも危険性は違うが似たような印象をうける。相談するなる両方の話をしなければならない気がした。
日常的に薄い灰色のもやは見えていて、些細なことで不機嫌などになった人からでている気がする。
黒いもやはとても嫌な感じがして側に来て欲しくないが、滅多に見かけない。なのであのもやは人の負の感情なのではないかと推測している。その事をジェダイド様に相談してみた。
「可視化された負の感情ですか…。洗礼名を貰うと神の加護を授かるのはわりとよくある話ですので、ありえる事だろうね。しかしあまり公言しない方がいいね。君が攻撃されかねないし、感情が見えると言う事で心に疚しいものを持つ者は危険を感じるでしょうし…」
「見えていても見えないフリをした方がいいのでしょうか?黒いもやはなんだかとても嫌な感じがして、私も怖いのです。気分が悪くなるというか、近寄りたくないというか、こっちにこないで欲しいと強く願う程なのですが…」
表情は取繕えたと思う。でもどうしても耳が下がってしまう気がする。
「避けるのは構わないが、フォローする身としては後でかまわんので報告はしてほしい」
それから日々が過ぎていった。
日常的に見える薄い灰色のもやは特に害もなく、見えていても見えなくても変わらない毎日が続いている。ただ私だけが負の感情に怯え他者と接するときにもやが出ないように気を使う日々となっていた。
「ムニ坊はさ、もやを出しませんね」
側仕えのマリーももやはあまり出さないがムニ坊は出している所を見た事が無い。
ぬいぐるみの様な熊に擬態したムニ坊の熊耳のついている頭を撫でる。毛皮の感触はない。どちらかと言うと絹のようなつるつるした布のような感触で中身がつまっているムニムニ感もある。本物のぬみぐるみっぽい。顔は平面的で鼻の周りが白く少しのおうとつを見せるが一応口もあるようだ。喋る時はきちんと口を動かしている。
「現状に不満は無いよ?でもたまには森にお出かけしたいかな?」
白目のない黒一色のつぶらな瞳で見上げて言う。出不精である事を自覚しているが週に二回のおでかけの内の実家のある町周辺なら森に立ち寄っても大丈夫だろうか。
「マリーに相談してみますね」
そして女神の休日の今日、マリーとムニ坊と私でライスの町周辺の森にきました。
実家の顔出しも終えて、成長した弟は近所に母と遊びに行く予定の様だし、母には森を散策してくるといって準備万端。
今日は森歩きという事で普段着の膝丈ワンピースに黒いスラックスのようなズボン、滑り止めの付いた靴で森に行きます。ライスの町にいた頃と変わらない普段着といえばこれ。王都在住の時の普段着は足首まであるワンピースでお嬢様風な毎日で淑女教育の制服みたいでした。コルセットとかの内臓を締め付ける健康被害がでそうな下着類は過去の産物で現在はもっとラフな格好でいいみたい。
マリーは人間に例えると28歳位の外見でエルフお決まりの金髪碧眼なお姉さんだ。今日の格好は膝下丈のメイド服に森歩き用のズボンとブーツという動きやすさ重視の装備。
そして魔法の鞄を私とマリーで一つづつ肩に掛けるように持つ。魔法の鞄は空間拡張の魔法が掛かっていて物をたくさん運べるこの世界の文明の利器って扱いだ。軽量の魔法も組み込まれていて鞄一杯でも持ち運べる様になっている。魔法のアイテムボックスの様に中の時間は止まらないし、容量に限界があるが広く普及している。
「久しぶりの森ー、生命あふれる森ー、非日常な森ー」
ムニ坊がご機嫌に歌っている。そして二足歩行の熊のぬいぐるみ姿でずんずん進んでいく。
「ムニ坊!離れすぎないで!うれしいのはわかったから!」
多少護身術を習う位では運動量が足りないのか、日頃の運動不足を感じる程、ムニ坊と離されていく。
「お嬢様、足元を気をつけてください。ムニ坊は少しくらい放っておいても大丈夫ですよ。自身のペースで進まねば後で辛いですよ」
マリーの注意と忠告をきいて歩くペースをおとす。
「あんなに森を楽しみにしてるなら、もう少し森林浴くらいすればよかったかしら…」
そうこぼして、周囲の野草のうち食べられる物を採取しておく。両親と弟へのお土産だ。そんな感じで森を進んでいく。
野草や木の実、薬草などを採取して過ごす。そんな時、左側の藪ががさがさと揺れる音がした。
「ムニ坊?」
『逃げて』、『危険』、『離れろ』と小精霊の声が聞こえる。
しかし私の背丈より高い藪から現れたのは私の腰ほどの高さのある灰色のイノシシのような魔物だった。
出会いがしらという奴だったのだろう。すばやく反応できない。しかしマリーはすばやく私の腕を引いて背に隠した。マリーは魔法の鞄からナイフを取り出して構える。
「お嬢様、木の上等に隠れられますか?」
相手を刺激しないように小さな低い声で尋ねる。私は小さく応えてから、風の小精霊に木の枝の上に私を運んでもらうように頼む。
私が浮遊して木の上に避難しているとき、マリーに向かって灰色イノシシが突っ込んできた。マリーは右に交わしてナイフをイノシシの側面に当てる。が、たいした傷は付けられない。
私は木の上で意識を集中させ、イノシシを土のなかに引きずり込む。イノシシは暴れるが土に足をとられ鼻先も土の中に沈んでいく。マリーが土の中に沈んだイノシシの首をナイフで刺し止めを刺す。
木の上からゆっくりと木を伝い降りてゆく。さすがに少し怖かった。咄嗟に反応できないからやはり私には狩人や冒険者にはなれないし向いていないと再確認した。
「お嬢様、お怪我はないですね?木の上からの援護ありがとうございます」
「マリー、こちらこそありがとう。咄嗟のことで動けなくて庇ってくれてうれしかったです」
庇ってもらえなければあのままイノシシにたいあたりされ怪我を負っていたかもしれなかった。
「しかし、こんな町の近くでグレイボアが出るだなんて…」
「このイノシシ、グレイボアなのですか?」
食卓に並ぶ豚系魔物肉の一種のグレイボアを生きている所は初めてみた。狩人や冒険者が狩った獲物は彼らが直接解体したり、ギルドに持ちこまれてそこで専門の者が解体するなどしたから市場に流されるため、生きている魔物は一般民にはあまり目撃する機会がない。
「森に広く生息するグレイボアですね。狩人がよく狩っているのでよく食肉として出回っている種類です」
私は倒したグレイボアを地面から押し出す形で地上に出す。
「お嬢様、町周辺は狩人や冒険者が常時依頼で危険な魔物退治をしています。それでもあまり無いことですが魔物はでるのです。町周辺と気を緩ませるのは危険ですよ」
なかなかにグレイボアは大きかった。危険な魔物と言われても納得できる。幼い内は大人と一緒でなければ森に入るのが禁止されていたのもうなずける。
「これ、どうしましょうね?町の方に周辺にいた事を知らせるにしても、血抜きをした方がいいのでしょうけど…他の魔物がよって来ないかしら…」
そんな時再び左側の藪が揺れる。私とマリーに緊張が走り、藪から数歩離れる。
「…ご主人いた。あのね、あっちにね、魔力の多い洞窟があったよ」
出てきたのは私の腰よりも高い位置に頭があるムニ坊であった。そして発言も気になる。
ムニ坊にグレイボアの血抜きをしてもらって、魔法の鞄にいれる。
そしてムニ坊の言う洞窟を確認してから帰ることにした。