4.フリント・ホイール
コンガーに続いて、クラッチも物陰から現れる三人に気付いた。
影から出て来た三人は二十代後半の男達。スーツにコート姿、目元の陰影はカタギのそれではない。
三人の真ん中にいた男が軽く手先を振り、左右の男に留まるよう指図する。男はダークネイビーの背広にハンターグリーンのネクタイをして、視線はじっとコンガーを見据えている。
くわえたばこを捨てて足元で踏み消すと煙が一筋立ち上り、消えた。
男は帽子を手にとって、静かに頭を下げて挨拶する。
「どうも、こちらの若いのがご厄介になっちまったようで」
「アンタがこいつらの元締めか?」
コンガーが向き直って男に歩み寄った。
「いえ、元締めなんかじゃありません。私はランザ・ゲキ。こいつらが下っ端働きをしてる組に少し厄介になってる者ですが……」
ランザが帽子をかぶり直すと、開いた手先から光るロープ状のものが現れた。リゾネーターだった。それを見てコンガーが構えた。
「俺はコンガー・グランド。今度はアンタが相手になる気か?」
「へへへ。私も組の世話になっている手前、少しは役に立っておきたいとこなんで。あなたには申し訳ないが、ちょいと痛い思いをしてもらいましょうか」
ランザはコンガーを見上げながら不敵に笑みを浮かべた。ランザはクラッチ並みの背丈にがっしりした肩幅があるが、コンガーの体躯に比べれば一回り小さい。それでも相手はヤクザだ。何をしでかしてくるか分からない。
「来いよ。相手をしてやる」
クラッチとヨーコは驚いた。クラッチはコンガーに駆け寄った。
「おい、コンガーよせ。相手はヤクザだ。しかもリゾネーター使いの」
「クラッチ、これ見よがしにリゾネーターをチラ見せしてる時点で知れている。はったりをかましてるんだよ、このオッサンは。俺は将来、甚命機動救助隊に入るんだ。こういう輩をのさばらせて居ちゃ、いつまで経っても世の中良くならない」
コンガーは下がっていろとばかりにクラッチの胸元をドンっと押しのけた。
「へへへ。若い人の正義は私みたいなおっさんには少しばかりまぶしい。だが、ヘドが出る」
ランザは羽織っていたコートを脱ぐと、後ろに控えていた男に手渡した。
ゆっくりと、ランザは帽子の縁に指を軽く添え、微かに瞑目した。
「それじゃ行かせてもらい……」
ランザの言葉が終わらぬうちにコンガーの手が光り、瞬時に圧縮大気が形成された。躱そうとするランザを逃さず、圧縮大気はランザを弾き飛ばした。アスファルトの上を転げたランザは傍らのドラム缶に激突し、鈍く重い音を弾かせた。
コンガーが倒れたランザへゆっくり進み寄る。ランザは口から血を垂らし、うめき声を上げていた。
「へえ。言うだけあるじゃん。俺のエア・メガプレッシャーを食らってまだ意識が飛んでないなんて」
ランザが苦痛に体を震わせながら、傍らに血反吐を吐いた。
「オッサンの言ったとおりになったぜ。俺の正義でヘドが出たな」
「おおお……なかなか強烈なリゾネーターをお持ちのようだ……」
ふらつきながら起き上がるランザは、ゆっくりと手でスーツに付いた汚れを払った。
「へへへ。ハンディは一発だけにしておきましょう。もう少しハンディを付けてやるつもりでいたが、今のをまた食らっちゃさすがに分が悪い……」
「なんだと?」
コンガーが眉をつり上げた。
「初めから先手は俺にとらせる気でいたってか?」
ランザはコンガーを指さした。
「私を見て、私がわざと隙を晒して瞑目したと見抜いていなかった。腹を狙わせようと言葉で誘って服の中にリゾネーターを張り巡らせて防いでいたのにも気付かず。観察力が無い、隙を突くにもあまりに正直な一発でした。それじゃあ喧嘩に勝てない」
「なんだと? やられておいて減らず口だな」
「へへへ。そういやさっき、あんたには陸軍特殊部隊の親父さんが居ると聞こえたが、ひょっとしてそれはリンガー・グランド大佐のことですかい?」
「……そうだ。それがどうした?」
「へへへ。貴族階級なんだね、どうりで。あんた、お坊ちゃんだ」
途端、コンガーの目がカッと見開かれた。
力むコンガーの手が光り、周囲の空気が波立ち歪む。
だが、それを待っていたランザが手首を返した。掌にしたライターを振るとケースが開き、フリント・ホイールがチンっと音を立てた。
暗闇に火が灯った。
ライターがコンガーへ投げつけられ、赤い火の光跡を描いてコンガーの手元へ飛び込んだ。
コンガーを取り巻く大気が震え、火柱のようにライターの火が広がり炎となって燃え盛った。
「ぐあああああ!」
瞬時にライターの火がコンガーの手から更に上半身へ、炎と成り広がり燃え上がった。そこへ構わずランザが突進し、コンガーの右顔面へフックパンチを見舞った。
ゴキンと鈍い音を立てて、炎が舞い散る中をコンガーが崩れ落ちていく。その喉元を狙って、容赦なくランザが膝蹴りをぶちかます。
コンガーの押し潰された、声にならない声がこぼれる。ひらりとランザが身体を躱すと、コンガーが地面に突っ伏した。炎は消えたが、服は黒ずみ、肌は赤と黒で乱れ焼けただれ、辺りに嫌な匂いが立ちこめた。
「どんな凄いリゾネーター能力も、ただ振りかざすだけじゃ、そういうバカを見る。もっとここを使わないと」
ランザは自分の頭を指さしてニタリと笑った。足元ではコンガーが身体を震わせのたうっている。
「へへへ。まだ始まったばかりだぜ……」
ランザは静かにヤンキー二人へ振り返り、あごをしゃくる。
「おい、ナイフ寄こせ。こいつが吹っ飛ばした人数分、顔を切り刻んでやる」
ランザが視線を逸らした隙に、コンガーが半身を起こしながらリゾネーターを再度現出した。
しかし、ランザは振り替えりもしないまま、コンガーの顔面をかかとで蹴り上げた。革靴のヒールには金具が仕込まれていた。コンガーは顎から顔面右を蹴り上げられ縦一直線に皮膚が裂けた。
コンガーの絶叫が埠頭に木霊した。血まみれになって崩れ落ちるコンガーに、ナイフを持った二人のヤンキーが震え上がる。
「まずは縦に一本……おい、さっさとナイフ寄こせえ!」
ランザはナイフを掴み取ると、こらえきれない、そんな喜悦の表情をゾクリと浮かべる。
既に意識が朦朧とするコンガーの髪を掴み上体を引き起こすと、耳元へささやくように話しかけた。
「これは私なりの優しさって奴でね。人間、痛い目を見なきゃ成長しない。今日ここで受ける顔の傷が、愚かだった自分を一生忘れないよう、生きた証文としてやりますよ」
ランザは大きく目を見開き、えぐるようにナイフを顔に突きつけた。