13
瑠璃花が準備室の掃除に訪れたのはバレンタインデーから一週間以上経ってからだった。
皐月からは気が向いた時だけ手伝ってくれればいいと最初に言われていたのだが、バレンタインデーまではほぼ毎日手伝っていた。
自宅にいて家事を手伝うより、だらだら皐月と喋りながら手伝う準備室の方が何となく居心地がよかったせいでもある。
ただ、バレンタインデーの後は流石に気まずく、瑠璃花はなかなか学校に登校もしなかったのだ。
けれど、祥子と話して気持ちが落ち着いたら、皐月に会いたいと思った。
その勢いのまま、駆け足で化学準備室に飛び込み、瑠璃花はキョロキョロと辺りを見回した。
目当ての皐月は開いた窓から身を乗り出すようにして外を見ている。
その背中に瑠璃花は呼び掛けた。
「…皐月ちゃん、あの…」
皐月は瑠璃花を振り向き唇に人差し指を当てる。
静かに近づいて来るように身振りで示した。
瑠璃花は首を傾げて、窓へと近づいた。
外には小さな鳥が二羽、互いを慈しむように身を寄せあっている。
「……可愛い…」
小さな声で呟くと、小鳥は声が聞こえたのか、辺りを警戒して飛び立ってしまった。
残念そうにそれを見ながら、皐月はしみじみと言った。
「…卒業式は来週か…早いもんだよな」
そう、卒業式は来週に迫っている。
この校舎に通うことはもうなくなるし、制服に袖を通すこともなくなる。
瑠璃花は新たに大学のキャンバスライフを謳歌するのだ。
楽しみな反面、不安も多い。
複雑な気分で瑠璃花は窓からの景色を再度眺めた。
ここからはグラウンドはよく見えないが、代わりに校門とその向こうの高速道路が見える。
平日の昼間の今日は車も少ない。
道路を足早に通りすぎる車を眺めて瑠璃花は不思議な気持ちがした。
この景色が一週間後には見れないのだ。
当たり前の光景は、当たり前ではなくなる。
別の新しい当たり前がぽっかりと口を開けて瑠璃花を待っている。
希望に胸を膨らませている瑠璃花の耳に皐月の少し寂しげな声が聞こえた。
「…一ノ瀬とも会えなくなるな」
皐月の言葉に瑠璃花はハッとして皐月を見つめた。
その通りだ。
瑠璃花は卒業するのだから。
ふっと皐月は笑う。
「卒業しても頑張れよ」
その笑顔は門出を祝う教師のものだ。
純粋に瑠璃花の未来を祝福し応援してくれている。
嬉しい筈のその笑顔が瑠璃花の胸を抉る。
やっと自覚した恋は、またも実ることはないのだ。
その考えに瑠璃花は一人傷つく。
そんな瑠璃花に気づかない様子で皐月は薬品棚に鍵をかけた。
「…よし。これで一通りは片付いたな。一ノ瀬、手伝ってくれてありがとう」
「…え?…じゃあ、もう…」
「うん。掃除の手伝いは終わりでいいよ。今までありがとう、助かったよ」
皐月はにこりと笑う。
それから言いづらそうに両手を顔の前で合わせた。
「それから…この間はごめん。忘れて下さい」
頭を下げる皐月を瑠璃花は見つめた。
この間とは多分、バレンタインデーのことだろう。
あんな風に抱きしめて、瑠璃花がどんなに悩んだか。
それなのに。
忘れて、とは自分勝手すぎる。
瑠璃花は苛立ちを我慢することなく、皐月を睨んだ。
「………皐月ちゃんのバカ!」
瑠璃花は持っていたバックで思い切り皐月の頭を叩く。
うっ、と小さな呻きを漏らし、皐月は顔を上げた。
そこに瑠璃花の顔が見える。
小さく肩を震わせて目に涙を溜めて、瑠璃花はもう一度皐月を鞄で殴った。
「ばか!」
「えっ、ちょっと…」
戸惑う皐月を三度目も鞄で殴り、瑠璃花は準備室を駆け出していった。
お読み頂きありがとうございました。