カミナリ
雷が落ちる、っていうのが実際にあるとは思っていなかった。
どうにかこうにか一次会を終えて、俺は二次会会場付近に移動するためにタクシーに乗り込んだ。
女達を躱すには、会場から会場へタクシーを使っちまえばいい。
幸いタクシー代は新郎新婦が出してくれたし。
同乗したのは春斗のご両親。気を使わなくていい相手だ。
なんだか墓参りをしてから帰るとかで、タクシーはおじさんたちを駅に降ろした。
すぐ出発するのかと思ったら、なぜかその場で止まったままだ。
「あの・・・?」
「ああ、新郎新婦さんからお客様を乗せるように頼まれていまして。お待ちしています」
「そ、そうですか・・・」
そんなことあるのだろうか。
まあ、あるんだろう。
春斗と夢香さんがやることだから、仕方ないか。
そう思っていると、タクシーの横に一人の女性が立った。
運転手が助手席の窓を開ける。
「あの、すみません。井口家と立浪家の二次会のタクシーって、こちらですか?」
顔を覗かせたのは、胸辺りまでの黒髪ストレートをハーフアップにした女性だ。
顔立ちは整っている。ややきつい目元と薄めの唇。すっと通った小さめの鼻。
化粧は控えめだが、アイラインはしっかり引かれている。釣り目に見えるのはこれのせいかもしれない。
シャドーはシルバーラメの入ったピンク。色白の彼女に合っている。
服は、首がある長めの丈のストンとしたドレス。チャイナ服にも似ているが、首から脇の下にかけてのラインから先の袖が無いタイプだ。色は黒。青い花がスカート部分に刺繍されている。品のいいものだ。
シルバーのボレロを羽織っている。これがまた、ドレスとよく合っている。
アクセサリーは、パールのピアスとパールの髪留めのみ。
なんでこんなに詳しいかというと、俺はこの瞬間に雷が落ちてしまったからだ。
運転手と会話する彼女が気が付いていないのを良いことに、しっかり観察してしまった。
あまりにも好み過ぎて、俺は視線が外せなくなる。
ごくんと、つばを飲み込んでしまうほどに。
「はい。松下様でいらっしゃいますか?」
「ええ」
「承っております。どうぞお乗りください」
後部座席のドアが開いて、彼女が乗り込んで来ようとした。
そこで初めて目が合う。
黒目勝ちの目が、大きく見開かれた。
「あ・・・」
「す、すいません。俺も同乗者がいるって知らなくて・・・」
何故、謝ったのか。
これは俺の采配じゃないのに。
「いえ。きっと、あの子の悪ふざけですね・・・あの、私が乗っても大丈夫ですか?」
彼女は軽く首を振ると、溜息を吐いて、それから俺を心配した。
「あ、ど、どうぞ。そちらがお嫌でなければ・・・なんでしたら俺こっから歩きますから」
「あ、いえ、大丈夫です。あの、一緒に行きませんか?」
そして、彼女の笑顔は強烈だ。微笑みながら言う彼女に、俺は目が合わせられなくなった。
「あ、は、はい」
俺は中学生か。
顔を逸らしてしどろもどろになる自分に、舌打ちしたくなる。
彼女が乗り込んでくる。
俺のすぐ隣に。
ヒールをはいているから正確な高さはわからないが、座高は俺より頭半分小さい。
百六十五センチって言うところだろうか。身長は。
それにしても、良い香りが隣から流れてくる。
あまり甘くない、さわやかな香り。俺の好きな香り。
俺の心臓は、バクバクとうるさいくらいに音を立てた。
タクシーが出発して、しばらく俺は窓の外を眺めるふりをして、窓に映る彼女を見ていた。
その横顔も綺麗で、こんなドンピシャな人っているんだなと思うくらいにはゆとりができた時、彼女がこちらを向いた。
「あの、もしかして・・・結城凌空さんですか?」
「え?ああ、はい」
何故、彼女が俺の名前を知っているのか。俺は名乗ってすらいない。
名刺も渡してないし、名札だって付いてない。
驚いて彼女の方を見ると、彼女の方は額に手を当てて「やっぱり・・・」とつぶやいた。
「え、っと?」
「ごめんなさい。夢香だわ」
「は?」
「夢香が今日、あなたを紹介してくれるって私に言ってて・・・」
「ああ、そ、そう言う事ですか・・・」
「本当にごめんなさい。あなた、初対面の女性が得意ではないって聞いていたのに・・・あの子ったら」
はあ、とため息を漏らす彼女も綺麗だ。
そういえば名前を聞いていなかった。
「はは・・・俺も春斗に言われたんですけど、名前まで聞いてなくって・・・あの、よければお名前を」
「ああ、ごめんなさい。私ったら気が付かないで。松下琉亜と申します」
「そうですか。あの、俺知り合いに松下が多くて・・・下の名前でお呼びしてもいいですか?」
どうしてこの時、こんなに積極的になれたのか、俺にもよくわからない。
ただ、彼女は笑って許してくれた。
「ええ。どうぞ結城さん」
「ありがとうございます・・・琉亜さん。あの、俺も良かったら下の名前で・・・」
「いいんですか?」
「あ、ええと、変、ですか?」
「いえ、じゃあ凌空さん、とお呼びしますね」
そう言って微笑んだ彼女の顔が、少し赤くなっているような気がした。
気のせいかも知れない。都合の良い幻かも知れない。
「ええ。ありがとうございます」
俺は嬉しくなって彼女に微笑みを返した。
だが、彼女はふいっと横を向いてしまった。
あれ?駄目だった?
会話が途切れた。俺もテンパってしまって、次の言葉が出ない。
なんだ、次の会話。あるはずなのに、聞きたいことは沢山あるのに、出てこなかった。
それに、二人共お互いの顔が見れず、なぜか横を向いたまま。
このままでは、また上手く行かなくなってしまう。
そんな焦りを俺が感じ始めた頃―――
タクシーが止まった。
「着きましたよ」
運転手さんの言葉で、二人同時に前を向いた。
※ ※ ※
海の見えるレストラン。
海に面した大きな建物の、海側のテラスを大きく占拠した店。
それが二次会の会場、フレンチレストラン『ゼロ』だ。
ここは俺と春斗の高校の同級生がやっているレストランで、俺たちもちょくちょく来ることがある。
価格帯が高めなので、顧客との会食とか、何かの祝い時に利用することが多い。
コース価格は確か一万五千円だ。フレンチの中では安いらしいが、正直俺には良く分からない。
他のフレンチなんて行った事無いからな。
今日は普段と違って、店貸し切りの立食パーティーにしてもらっている。
一人頭の予算も少ないし、なにせ人数が多くて店の椅子じゃ足りなかった。
壁際にズラリと座れる椅子を用意してもらって、疲れたらそこで休んでもらおう、という気楽なスタイルだ。
それでも人数が入りきらなくて、結局テラスも全部開放してもらった。
ビンゴなんかのイベント事は、全部テラスで行う予定になっている。
そう。新郎側は俺が幹事だ。
ちなみに新婦側の幹事とは一度顔合わせをしたきりで、あとはメールだけでやり取りをしたので碌に覚えていない。
二次会開始は夕方の六時から。ディナータイムに合わせてある。
今は午後三時。開場が一時間前からだから、残り二時間。
この間に飾りつけやら音声チェックやらをこなさなければならない。新郎新婦入場の音楽とかね。
まあ、店のオーナは気心の知れた同級生だから、そんなに焦る事も無いけどな。
必要なものは全部前日に持ち込んである。特に問題は無い。
ただ・・・
「あれ?あっちの幹事の子は来てないの?」
「そうなんだよ。お前にもメール入れたって言ってたぞ」
オーナーの木下木乃美(女性)が言う。
彼女は準備で、朝から厨房に詰めていた。立食なので冷めても食べられるお手軽料理を中心にしてもらっている。おかげで直前に仕上げる品が無く、ちょっと手が空いたそうだ。
だからオーナー自ら俺に伝言を伝えてくれた。
男勝りで負けず嫌い。こだわりが強くて男を寄せ付けない女。それが木乃美だ。
本来なら俺のストライクゾーンの性格をしているにもかかわらず、俺に対して無反応。
まあ、俺もストイックすぎる性格に引いて、無反応だったからお互い様だけど。
高卒と同時に料理の専門学校へ行って、その後何年か本場で修業してきて、有名レストランを経由して、去年、この店をオープンさせた。
海外に行っても日本の景色が見たいからという木乃美に、何度か絵葉書を送った。富士山とか、浅草の雷門とか。あと北海道のラベンダー畑も送ってやった。たまたま仕事であっちの支店に行くことがあったから、その時の物だ。同じことを春斗もしてやってたらしい。
あっちからも絵葉書が届いて、やり取りをしているうちに俺と春斗はこの店のオープンを知った。
以来常連になっている。
おかげで奇妙な男女の友情が出来上がってしまった。
三角関係とかにはなったことが無いので、もうこいつは男として扱ってもいいのかもしれない。
「メール?あ!俺携帯切りっぱなしだった・・・」
結婚式場で携帯を切ってからそのままにしていたのを思い出した。
慌てて電源を入れる。
ちなみに琉亜さんは携帯に電話がかかって来たとかで、入り口で別れた。
携帯が起動すると、新婦側の幹事、江藤博美さんから着信が二件、メールが二件、入っていた。留守番電話は入っていない。
メールを見ると、どうやら彼女は高熱で動けないらしい。猩紅熱と書いてある。
今病院で点滴を打ってます、とか書いてあって、ああこりゃ駄目だ、と思った。
だが、二通目はついさっき入っていた。
『別の方に代理を頼みますので、宜しくお願いします<(_ _)>』
「・・・別の人って」
カランカラン、と入り口が開く音がして、琉亜さんが入ってくる。
表情が硬い。もしかして・・・
「あの、今、幹事の子から連絡があって・・・」
やっぱり代理は琉亜さんだった。