三十九話 王女のお泊り旅
「いい天気ね、タクミ。洗濯日和だわ」
サシャが俺の服を洗いながら微笑みかける。
昨日降っていた雪はすっかり止んで、透き通るような青空が広がっていた。
洞窟の前の水桶でサシャが大量の洗濯物を手洗いしている。
冒険者時代もこうやってパーティーみんなの服を洗ってくれていたことを思い出す。
ドレスからラフな格好に着替え、髪を後ろでまとめたサシャは、昨日、王女として来たサシャとは別人に見え、パーティー時代に戻ったようでなんだか安心する。
「……私の心はどんより曇ってますけどね」
洗濯するサシャの後ろでレイアが恨めしい目で洗濯物を眺めていた。
最初ここに来た時にレイアも洗濯にチャレンジしたが、力加減ができず、服をボロボロにしてしまった。
以来、家事は基本、全部俺がしていたのだが……
「おいで、レイア。洗濯教えてあげる」
「い、いいのですかっ」
「もちろん。女の子なんだから洗濯くらいできないとね」
レイアの顔がぱっ、と明るくなる。
二人して俺の洗濯物を洗う光景になんだか少し照れ臭くなる。
そんな俺を見て、サシャが小さな声で呟いた。
「レイア、ちょっとアリスに似てるね」
そういえばヌルハチも同じような事を言っていた。
「そうだな、なんだか懐かしいな」
サシャやアリスと一緒に冒険していた時のことを思い出して自然と笑みがこぼれる。
「サシャ殿、これでいいのですかっ。なんだか、どんどん小さくなっているようですがっ」
「ああっ! ダメだよっ! 破れてる、破れてるっ!」
また穏やかな日常に戻ったように錯覚してしまう。
だが、タクミポイントから始まった騒動はまったく何も解決していなかった。
「私のものになりなさい、タクミ」
サシャがそう言った時、円卓に座ったまま、俺は固まっていた。
タクミポイントによる結婚は確か、56億7千タクミポイントだったはずだ。
100億ポイントを持っているサシャにはお釣りが出るほど簡単なお支払いだ。
長い沈黙の中、サシャはずっと俺を見つめていた。
「……本気なのか? サシャ」
その質問にサシャは答えなかった。
答えるかわりにサシャは椅子から立ち上がって、俺に近づいて来る。
ごくり、と息を飲む。
座っている俺を見下ろす形になったサシャが、さらに顔を近づけてきた。
魔王にキスされた時の事を思い出し、回避しようとしたが、ぐっ、と後頭部を掴まれた。そのままサシャは俺の耳元に顔を近づけて小さな声でつぶやく。
「抱きしめて、キスをして。フリでいいわ。部下の中に敵国のスパイが紛れている」
(えっ!?)
どうやらここはサシャの指示に従った方が良さそうだ。
叫びそうになるのを我慢して、俺は椅子から立ち上がり、恐る恐るサシャを抱きしめた。
「ぎゃーーっ! あかんあかんあかんっ!! うち、もうドラゴン最終形態なってまうわっ!!」
「……私はもう神を降ろす気にもなりません……」
レイアががっくりと肩を落とし、崩れ落ちる。
「 ちょっ、レイアっ! 短剣取り出して何してるんっ!?」
やめて。すぐ切腹しようとするの、ほんとにやめて。
いつもならすぐに飛び出してくるクロエやレイアも、タクミポイントのせいで為す術がなくなり、パニックになっている。
切腹はクロエがなんとか止めてくれたみたいだが、後からちゃんと説明しよう。
俺が止めに入ってたら心中みたいになってたよ。
誰にも見えない角度で、サシャを包み込んで、キスのフリをする。
フリだというのに、心臓がばくばくとうるさい音を立て、サシャの背中に回した腕にぎゅっ、と力が入る。
その時だ。
パシャ。
円卓から少し離れた草むらの影で何かが光った。
「激写砲術ですっ! サリア様っ!」
ナナシンさんが腰に帯刀していた短剣を草むらに投げ放つ。
同時に草むらから物凄いスピードで影のようなものが飛び出した。まるで空中を走っているように影が走っていく。
「っ!? 隠密っ! 東方の忍者かっ!」
「まって、ナナシンっ。追わなくていい」
「よろしいのですか?」
「ええ、正体がわかればそれでいいわ。隠密を雇える者は限られている」
サシャが俺の腕の中から離れる。
「今のがスパイなのか?」
「まあその一人ね。下っ端の諜報員でしょう。たぶん、まだまだ紛れ込んでるわ」
部下達の中にそんなにスパイがいるのかっ!
事態がよくわかってないクロエとレイアがぽかん、とした顔でこちらを見ている。
「心配しなくても無理矢理結婚して、なんて言わないわ。偽装よ。とりあえず、タクミはルシア王国のものになったと噂になれば、他の国は手を出してこないでしょう」
そう言ってサシャは二人に向かって微笑んだ。
結局、サシャはタクミポイントを結婚には使わなかった。
ただ一億ポイントで交換できるタクミ洞窟一日お泊り券を大量に使い、ナナシンさんと兵士達が帰還する中、一人だけこの場に残る。
クロエとレイアはまだ少し警戒しているのか、少し離れたところから俺とサシャを見ていた。
「しばらくお世話になるわ。今回の騒動を引き起こした黒幕を見つけるまでね」
「黒幕? タクミポイントはアリスが考えたのではないのか?」
サシャがゆっくりと首を振る。
「タクミポイントは不正を行えないように、魔法により細かく管理されている。アリスがそんなシステムを作れると思う?」
確かにそうだ。細かい計算も出来ないアリスがそんなものを作れるとは思えない。
「ずっとタクミの前に姿を見せなかったアリスが、どうして大武会に参加したと思う? 水面下で何かが動いていると感じなかった?」
うん、ごめん、まったく感じなかった。
「大武会、いえ、もっと前から計画を立てていたはずよ。綿密で壮大な計画。きっとタクミとアリスを利用して何かを企んでいる」
え? 今度は俺、一体何に巻き込まれるの?
もういっそ俺が切腹したいよ。
頭を抱える俺を無視して、サシャが洞窟に泊まる準備を始めている。
「ベッドはさすがに入らないわね。あっ、歯ブラシ忘れちゃった。あとでナナシンに送ってもらわないと」
なんだか、ちょっとはしゃいでいるように見えるのは気のせいだろか。
「なんかあの女、鼻歌歌ってへんか?」
「はい、ハッキリと聞こえます」
「どこに寝るんや今日」
「私の時はきっちり境界線を引かれました。先輩として私より近い位置は許しません」
サシャを見ている二人からは不穏な空気が流れている。
「しかし、サシャ、国のほうは王女がいなくて大丈夫なのか? 」
「大丈夫よ。代わりを置いてきたから」
「代わり?」
実に十年ぶりにその名を耳にする。
「ヌ・ルシア・ハシュタル・チルト。初代ルシア王国女王よ」




