三十七話 断崖の王女とTカード
「ひゃっ、100億タクミポイントを稼がれたやてっ!?」
クロエの絶叫が響き渡った。
「し、静かにしろっ、黒トカゲっ! タクミさんに聞こえるだろうがっ!」
うん、もうめっちゃ聞こえたよ。
あれから一ヶ月。
初冬に入り、山には雪が降り始めていた。
今年の終わりが近づいて、もう後はのんびりと年越しを迎えよう、そう思っていた矢先に、たいへんなことになってしまった。
「でも、そんなん誰が貯め込んでんっ! うち、まだ、25ポイントしか貯まってへんでっ!」
「私もまだ300ポイントしか貯まってませんっ。普通ならあり得ないのです。だけど、確かにアリス様から通達があったのです」
「一体、誰やっ、まさか、裏チャレンジをクリアしたんかっ!?」
「アリス様が負けることなどタクミさん以外にあり得ませんっ!」
いや、俺も含めてあり得ないから。
なら、一体どうやってこんな短期間で、誰がタクミポイントを100億も貯められたのか。
「今日、直接、ここにやって来るらしいです。ポイントの交換はここでしか出来ませんから」
「な、何と交換する気なんやっ。結婚かっ! 結婚なんかっ! くそっ、ちまちま使わんと、うちもしっかり貯めるべきやったわっ!」
いやいやいや、100億貯めるとか、しっかり貯めるというレベルではない。
魔王のように四天王に手伝わせても不可能だ。
それはもはや一人ではなく、数万人、いや数千万人規模でないと無理だろう。
そんな数の人間を動かせるのはギルド協会でもあり得ない。
「な、なんか、きたでっ!?」
「アレはっ!?」
思わず俺も洞窟の外に出る。
そして、一目見て納得してしまう。
そうか、確かにこれなら一ヶ月でタクミポイントを100億貯めることが出来るだろう。
洞窟の前には物凄い数の大名行列が出来ていた。
この洞窟に、これ程までの来訪者が訪れるのは、ゴブリン王の襲撃以来だ。
その行列は、皆、煌びやかな銀の鎧を身に纏い、規律正しく、行進している。
さらにその中には、巨大な赤い旗を持っている者が何人かいて、そこに描かれている銀色の鷹のマークには見覚えがあった。
「ルシア王国の国旗だ」
100億のタクミポイントは国を挙げて集めて来たのだ。
確かルシア王国の人口は五千万人ぐらいだったか。
一人が一ヶ月に200ポイント貯めれば実現可能な計算になる。
「レイア、あれっ!」
「断崖の王女っ!?」
レイアとクロエが純白のカーテンに包まれた馬車を見て驚いている。
シルエット越しにドレスを着た女性が乗っているのが見えた。
聞いた事があった。
ルシア王国にはもうすぐ30歳になるというのに、すべての縁談を断り、結婚をしない王女がいると。
断崖の王女。
その名前の由来は切り立った崖に咲く白い花、リリーから取られていた。
東方ではユリとも呼ばれるその花は、純粋、無垢、威厳などの意味を持ち、崖の上など過酷な環境であっても、堂々と咲き誇る。
幾人もの男が王女に求婚を求めてきたが、王女はどんな男にもなびかなかった。
時の権力者や一国の王子、国一番の金持ちや絶世の美男子にも見向きもしない。
まるで断崖絶壁に咲く、手の届かない美しい花のようだ。
振られた男性達がそう例え、いつしか、王女は断崖の王女と呼ばれるようになったという。
確か王女の本当の名は……
「到着致しました。サリア様」
そう、サリア・シャーナ・ルシアだ。
「ご苦労様、ナナシン」
黒い執事服を着たメガネの青年が馬車の側で話しかける。
シルエットだけで王女の顔は見えないが、その声には気品があり、高貴なオーラが漂っていた。
「早速、タクミポイントの交換に取り掛かって下さい」
「はっ」
ナナシンと呼ばれた男が一礼し、レイアの方に歩いてくる。
他の兵士達は規律正しく敬礼し、直立不動で待機している。
「我が主人、サリア王女がタクミポイントの交換に参りました。手続きをお願いしたい」
レイアがごくりと息を飲むのが聞こえてきた。
俺も手に汗を握っている。
結婚だったらどうしよう。
一体、王女はポイントを何に使うつもりなのか。
「わ、わかりました。タクミポイントを確認させて頂きます」
「畏まりました。ではまずこのTカードからご覧下さい」
「これはっ。タクミさんの顔写真が印刷されているっ!」
えっ? 何それ? ギルドカードみたいなものなのか?
「タクミポイントカード。略してTカードでございます。僭越ながら私ナナシンが発案させて頂きました。ルシア王国の国民全員に配布され、タクミポイントを管理しております」
い、いつの間にそんなものを作ったのだ。
あ、レイアが物欲しそうな顔でTカードを見つめている。
「よろしければ差し上げましょうか? Tカードは国民だけでなく、希望者全員にお配りしております」
「ぜ、是非っ。あっ、保存用と観賞用も欲しいですっ。出来れば三枚頂けませんかっ」
「うちもっ、うちも三枚欲しいっ」
「内緒ですよ、本来は一人一枚ですから」
レイアとクロエがTカードをもらって子供のようにはしゃいでいる。
ダメだ。完全にナナシンさんに懐柔されているではないか。
「ルシア王国では現在、冬のタクミ祭りを実施しております。タクミポイントは1ポイントから貨幣に換金出来ますが、それ以外にもキャンペーン中に貯めたポイントにより、様々な特典をご用意しております」
なんか、何処かで聞いたことのあるようなキャンペーンだ。
「特典とはどのようなものなのですかっ」
レイアが食い付いている。
もはや完全にTカードの虜ではないかっ。
「10ポイントで様々なタクミ様グッズとの交換から、200ポイントでボア肉一年分、300ポイントでルシア王国記念金貨が貰えるなどの豪華特典がご用意されてございます」
「タクミ様グッズっ!?」
いや、驚くとこそこじゃないよっ!
確か記念金貨は一枚で家が建つ程の価値があるはずだ。
300ポイントでその記念金貨が貰えるとか、そりゃ100億貯まるわ、タクミポイント。
「ナナシン、そろそろ本題に」
「はっ、失礼致しました。サリア様」
ナナシンさんは一礼した後、再びレイアに向き直る。
「それでは交換の方、宜しいでしょうか? こちらのTカードに100億タクミポイントが入っております」
懐から鷹の紋章が入った封筒を取り出してレイアに渡す。
はしゃいでいたレイアが慎重にそれを開けると、一枚の手紙と銀色の豪華なTカードが入っていた。
覗き込むと手紙には、アリスのサインとゴブリン王が書いたと思われる一文がある。
『そのTカードには、間違いなく100億タクミポイントが貯まっています。交換してあげなさい、レイア。……くそっ、まさかこんなに早く貯めるなんてっ。ああっ、どうしようっ、どうしたらいいのっ!? やはりあの女、早くなんとかすべきだったっ! ……お前、今のところも書いてない? 大丈夫?』
十豪会の思い出が蘇る。また全部書きこまれてる。絶対わざとやってるな、ゴブリン王。
「ど、どうやら間違いないようですね。そ、それではタクミポイントを何と交換なさいますか?」
緊張の為か、レイアの声が上擦っていた。
クロエも緊張して、押し黙る。
「はい、それではタクミ様と……」
「待ってください、ナナシン」
突然、王女からストップがかかった。
肝心な所で予期せぬ声がして、レイアが青い顔をしたまま固まった。
俺も心臓がばっくんばっくんと激しい音を立てている。
「やはり、それは私の口から言わせて下さい」
「かしこまりました。では……」
ナナシンさんが馬車に戻り、そっ、と純白のカーテンに手をかける。
王女が俺たちにその姿を見せ、ドレスの裾を持ちながら、ゆっくりと馬車から降りる。
雪が洞窟前を白く染めていた。
だが、そこに降り立った彼女は、その雪よりも白く清楚で美しかった。
そして、俺はその彼女の顔を知っていた。
十年前、二十歳になる前に見た時よりも、遥かに美しくなっている彼女に、俺は目を奪われる。
「久し振りね、タクミ」
だが、その笑顔は昔と変わらず、俺はまるで十年前に遡ったかのような錯覚を覚える。
「……サシャ」
彼女の名前を呼ぶ。
断崖の王女、サリア・シャーナ・ルシアは、かつて、俺を何度も救ってくれた昔の仲間だった。