三百九話 いらない文字
あまりにも巨大すぎるものが折れる音は、どこか現実味がない。
ゆっくりとスローモーションで地面に激突した時、夢を見ているような感覚で、ただ魅入っていた。
世界が爆発したような衝撃と爆音は、随分と後からやってきたようにさえ思えてしまう。
「お、終わったのでござるか?」
「まだだ。本体は折れたけど、根っこはまだ生きている」
最後の足掻きではない。
やられたのは上半身だけだと言わんばかりに、地中から無数の根っこが、拳を突き出したまま微動だにしないアリスに向かっていく。
『あかんっ、タッくんっ、アリス、意識ないでっ!』
全力で、全身全霊ですべてを出し切ったのか。
微かな笑みを浮かべたまま、満足そうにアリスは気絶している。
「ロッカ、緑一色を解除してくれっ! あとは俺がっ!」
「わ、わかったでござるっ!!」
ロッカが高速で逆詠唱を唱え、緑から人へと戻る。同時にアリスの前に覆い被さるように飛び出した。
「多重不可侵領域」
アリスを守るために作り出した見えない壁に衝撃が伝わってこない。
襲いかかる無数の根っこが、時間が制止したように、自らピタリと動きを止めていた。
『……ソレが、お前の大切なモノか』
どうやって言葉を紡いでいるのか。
木々や葉の擦れた音が重なり、その意味がダイレクトに伝わってくる。
『妾の大切なものは、お前に奪われた』
折れた巨木の表面が真っ黒に染まっていた。
【鏖】の文字が溢れて、そこら中に散らばっている。
今なら、文字を書き込む隙間もあるはずだ。
『だから、妾もお前の大切なものを奪い尽くす』
めっちゃ怖い。植物の、自然の怒りとは、こうも恐ろしいのか。
対人では決して持ち得ない、大自然の圧が全身にのしかかってくる。だが、それでも……
「俺の仲間には指一本触れさせない」
『いや、タッくん、もう相当数の仲間、触れられまくってるで』
うん、今から、今から限定だから。
「いくぞ、神樹王モクモク」
『痕跡すら残らぬ塵芥となれ、勘違い王タクミ』
【鏖】の文字がビッシリ犇く根っこが再動し、多重不可侵領域の隙間を抜って避けるようにアリスに向かっていく。
「アリスに触るなっ」
文字は前よりも詰まっていない。
これなら、ほんの少しだけ、書き込むことができる。いや、書き込むよりもむしろ……
鏖の間に線を引く。
鹿と金。二つの文字が分断され、別々の文字となる。
襲いかかる無数の根っこから、鹿の大群と黄金の雨が、ぶわっ、と大量に飛び出した。
『なんじゃコレはっ!? これ以上、妾の想いを穢すのかっ!!』
鏖なんて文字いらないだろっ。黄金に溺れ悶えろ。
「黄金海」
始まりの禁魔法、星海の改良版。銀河を作って星をぶつけたら多大な魔力を消費するが、飛び出した黄金ならコストはゼロに近い。※
大量の黄金が、折れた幹の随に向かって降り注ぐ。
『妾の内に入り込むのかっ!?』
「いや外からもだ」
大量の鹿が津波のように神樹王の根っこに押し寄せ、かぶりつく。
「自らの怒りに喰い尽くされろっ!!」
『妾の、この感情がっ、怒りだけだと思うたかっ!!』
黄金や鹿の攻撃を喰らいながら、それでも根っこが襲いかかってくる。
「カルナっ」
『わかってるっ! 今ならイケるっ!!』
脆くなった幹の付け根に、空間をも斬り裂く斬撃を連続で放つ。今度は剪定なんてものじゃない。致命的なダメージが神樹王の根っこを伐採していく。
「これでも止まらないのかっ!?」
根っこや枝を失っても、神樹王モクモクは潰れたまま迫り来る。
『共に行くぞ、ンコンディ』
呪物王の名を呼んだ神樹王の根っこから、また文字が溢れ出す。
黄金や鹿を真っ黒に染めながら、その文字は千切れた根っこを無理矢理繋ぎ止めた。
「タクみんっ!!」
『タッくんっ!!』
わかっている。これまでにない一撃がやってくる。
全ての想いを乗せた最強の一撃が。
神樹王の根っこが螺旋状に捻れて集約し、新しい一本の大樹が完成した。
それは雲を突き抜け大気圏を超え、折れた本体よりも高く舞い上がる。
神樹王の背後に何かが見えたような気がした。
煙のような、黒いもやのような、不確かな物質が人の形を成して、何かをつぶやく。
『ခစိုတ်』
この世で最も強い呪い。人への想いは、いつまでも消えない呪縛となる。
「俺が解き放ってやるよ」
振り下ろされた最大の一撃に世界が歪む。それでも真正面から受け止めて、神樹王を根こそぎ地中から、ぶっこ抜いた。
※ 始まりの禁魔法、星海については二百二十三話の後に載ってる「うちの弟子 裏設定資料 禁魔法編」をご覧になってください。




