閑話 呪いの数式
システムが崩壊した。
完全無敵だった呪いのシステム。
天井に浮かぶ不気味なシミ。
暗い夜道で伸びる自分の影。
厄災の日に生まれた忌み子。
呪いは何処にでも存在していて、何処にも存在しない。
一度疑ってしまえば、最後まで呪いの海に溺れ、沈んでいくはずだった。
「己以外の全てを信じられず、仲間の全てを植物に変えたはず……どうやってそこから立ち直れた?」
想定外で予想外。そして事態はさらに予測不能な動きを見せていく。
「神樹王モクモクの根っこが近づいている」
地中から欠伸が出るようなスピードで、ゆっくりと近づくそれは、弱々しく今にも枯れそうなくらい萎びていた。
「俺たちは戦う振りをしているだけで手を組んできた」
だから決してお互いの領域を侵すことはない。
約束をしたわけではないが、それは2人の間で決して揺らがない盟約のようなものだった。
それが破られる異常事態。
勘違い王は何をしたのか?
神樹王モクモクが文字に侵されているなら、このまま近づくのはリスクが高い。
「樹木を切り離して文字通り関係を伐採してしまうか」
数千年続いた共闘関係が終焉を迎える。
彼女を失えば呪いの仕込みは、かなり面倒なことになるだろう。
それでも俺にとって神樹王は、単なる呪物の一つにすぎない。
「もともと何も持っていなかった。親も金も強さも呪いも、それでも俺はここまで登りつめた」
愛は最も簡単な呪いだ。
甘い言葉なんて囁かなくていい。
思わせぶりな態度や、相手が喜ぶ仕草。
そんな簡単なことを積み重ねるだけで、強力な呪いが完成する。
「残念だけど解除するよ。神樹王モクモク」
地中から出て、棺桶に触れようとする根っこに向かって、真っ赤なナタを振り下ろす。
数百年前にオークションで手に入れたナタは、呪物とは言えない、ただの切れ味の悪いナマクラだった。
それでも今の弱ったモクモクなら、自重をかけるだけで砕け散る。
ぶんっ、と振り下ろしたナタが、モクモクに触れる寸前でピタリと止まった。
「あれ? 目測を誤ったか」
もう一度、大きく振りかぶり、勢いをつけて振り下ろす。まったく同じように、寸前でナタは止まってしまう。
「……まさか」
自らに起こった更なる異常事態。
気をつけていたはずだった。
それでも簡単な呪いは、自らにも簡単に降りかかる。
「まさか俺も呪われているのか? ……愛に!?」
人としての感情など、とうの昔に無くしたと思っていた。
それを取り戻すほどに、モクモクとはあまりにも長い間、気が遠くなるような悠久の時を共に過ごしてしまったのか。
「やはり呪いは最強だ」
ナタを落として、そっと根っこに手を触れる。
ぴくん、と僅かに動いた先から、モクモクの想いが伝わってきた。
『ダメだっ』
「老化の呪い。触わると感染するのか」
勘違い王。
予測していたよりも、狡猾で抜け目がない。
俺がモクモクを切り離せば、どちらか1人。
俺がモクモクを受け入れたなら、2人とも潰すというわけか。
『放せっ、ンコンディ。このままでは貴方もっ』
「もう遅い。呪いはすでに身体の隅々までいき渡った」
老化のほうではない。
人を愛したことがない俺が、まさか樹木に惚れ込むとは……
「このまま俺を吸い尽くせ」
モクモクの生命吸収で2人分のエネルギーを得たなら、おそらく老化を止められる。
『嫌だっ、妾はっ、妾は貴方のことがっ』
「大丈夫、俺はお前の中で生きる」
1+1は1でいい。
それが俺の最後の呪いだ。
かつて人の形をしていたものは、ただの干からびた皮になっていた。
『ンコンディ』
名前を呼んでも反応しない。
その生命は妾が全て吸収してしまった。
枯れ果てる寸前だった根っこから、飛び散るように樹液が溢れてくる。老化は止まっていた。むしろ、老いる前よりも、圧倒的な力がみなぎっていた。
愛する者を失った悲しみと、かつてないほどに膨れ上がった膨大な力に、感情がぐちゃぐちゃに掻き乱される。
『全部呪われてしまえ』
それは妾の言葉なのか。
妾の中のンコンディの言葉なのか。
どっちでもいい。もはや、妾はンコンディで、ンコンディは妾なのだ。
キキキ、コココ、カカカ
ンコンディが棺桶に残した木彫り人形の首が上下に揺れる。
大宇宙に広がる、全ての根っこを集約して、一点に向かって突き進む。
『天上天下完全緑化』
銀河系にある星々を巻き込みながら、宇宙に緑が広がっていく。
その波はうねりをあげて、愛も呪いも勘違い王も、区別することなく緑一色に染め上げた。




