三百三話 深緑の亡霊
爽やかである。
小鳥が囀り、心地よい風が優しく包み込む。
長い悪夢から目覚めたように、世界が輝いて見える。
「大丈夫ですか? タクミさん」
「あ、あれ? レイアっ!?」
話しかけられるまで、その胸にレイアを抱いていることに気が付かなかった。
え? 知らないうちに押し倒したの? いや、レイアが上になっているから、俺が押し倒されたの!?
「ど、どうなってるの? これ?」
「なんでもありませんよ。もう全部終わったんです」
「???」
状況がまったく飲み込めない。
と、いうか、ここ数日の記憶がまるでない。
無限界層ランキングのトーナメントで、ミッシュ•マッシュを倒したとこまでは覚えているんだけど……
「全部終わったんなら、いつまでもくっつくのはダメでござる」
ロッカが後ろから、レイアをヒョイと持ち上げて、ひっぺがす。
「もう少しいいじゃないですか。私、頑張りましたよ?」
「それとこれとは別でござるよ」
よく見るとレイアとロッカも身体中傷ついてボロボロになっている。もしかして、俺が寝ている間に誰かと戦っていたのか?
「なあ、カルナ、これは一体……あれ?」
腰に帯同していたはずのカルナが見当たらない。
ミッシュ•マッシュを倒して取り返したはずなのにっ。
『ここや、ここ。タッくんに潰されそうになったとこ、アリスに助けてもろたんや』
「へ?」
少し離れた位置に、カルナを握ったアリスが立っている。レイアやロッカよりもさらにボロボロで、足元には木の根っこががんじがらめに絡みつき、近づくこともできないみたいだ。
「まさか、神樹王モクモクが襲ってきたのかっ!?」
3人が可哀想な子を見るような目で俺を見る。
『全部、タッくんがやったんや。はよ、総緑一色解除してあげて』
総緑一色?
なにそれ? 俺がやったの?
確かに、山の景色が一変して異常なまでに植物が成長している。
いや、それどころか、世界全体を通して、人の気配がまったくしない。
俺とここにいる3人以外は……
「俺が世界中のみんなを緑にしちゃったの?」
今度は3人とも目も合わせてくれなかった。
意識がない間の詳細を聞いて、逃げるように洞窟に引き篭もる。
「くっ、俺の正気を奪うとはっ、恐るべき呪物王ンコンディ」
『いやいやタッくん、呪物王、なんもしてへん』
言わないで。わかってるけど言わないで。
「まだ2回戦は始まってもいないのにっ、壊滅的なダメージじゃないかっ」
『全部、タッくんのせいやけどな』
無限界層一桁トーナメントを甘く見ていた。
1人でなんでも解決しようとせず、強敵との戦いに熟知した大賢者ヌルハチや、人類最高の頭脳を持ったデウス博士あたりに相談したほうがいいかもしれない。
『いや、タッくん、まだ総緑一色解除されてへんよ』
「……そ、そうだった、まだ2人とも植物のままだった」
問題は呪物王だけじゃない。
俺が放った禁魔法も、ほとんど解除できていないのだ。
「おかしいなぁ、俺が発動させた魔法なら、すぐに解けるはずなのに、なかなか解除できないんだよ。本当にこれ、俺がやったの?」
『うん、めっちゃ総緑一色て言うてたで』
禁魔法の強化版にしても、世界を包み込む範囲で広がるなんて考えられない。
「魔法が効かないはずのアリスまで拘束されてたよね。緑一色とは違う力が働いてるように思えるんだけど」
俺じゃない誰かが強化させた?
そうなると第六禁魔法で緑一色も使えるロッカしか思い浮かばないけど……
「拙者、そんなことしないでござるよ」
「お、おおぅ、いきなりピンクなんとかドアで現れるのやめてくれない?」
最近、ロッカはドアを使ってすぐワープしてくるので心臓に悪い。
「ダメでござるよ。もう最近は無意識のうちに目の前にドアが出現するのでござる」
「だったらせめてノックして。この前はトイレに入ってきたよね」
「あれはなかなかの眼福でござった」
うん、やめて。俺の下半身に手を合わさないで。
「とりあえず、できる範囲でいいからロッカも緑一色の解除を手伝ってくれ。あと、レイアにもお願いしたいけど、今はどこに……」
「見えないだけで、ずっと側にいますよ、タクミさん」
お、おおおぅ、存在をカットしてるんだった。もう俺のプライバシー、ゼロだよ。崩壊してるよ。
『まあ、うちもずっと腰におるしな』
そういえば、アリスも俺のことを想うだけで何をしているか全部見えるとか怖いことを言っていた。
うん、あきらめよう。逆に大ピンチの時はいつでも助けてくれるとポジティブにとらえておこう。
「そ、それじゃあ、みんな、ルシア王国の緑化を最優先で解除してくれ。あとヌルハチとデウス博士が解除されたら俺のところに来て欲しい、と伝えてくれないか」
「わかりました、タクミさん」
「了解でござる、タクみん」
『うちもロッちんと行くわ、タッくん』
カット能力と逆緑一色で、数日あればルシア王国の緑化は解除されるだろう。あとの解除は2回戦が終わってからゆっくりと……
「……え?」
もう誰もいないはずなのに、見られているような気がして、ばっ、と振り向く。アリスじゃない。呪物王の気配も感じない。
洞窟の外にはただ異常に成長した植物たちが、どこまでもどこまでも、地平の彼方まで広がっていた。
風に揺られた木々が、ざわわっ、と音を立てる。
やっぱりこれは違う。こんな植物は俺が作ったものじゃない。魔法でも文字でもない異質なもので強化されている。
太陽を隠すように成長した木々は暗い森を形成し、まるで一つの生き物みたいに、俺を、じっ、と見つめている気がした。




