二百九十七話 世界の中の世界
文字の力は通用しない。
頼もしい相棒は奪われてしまった。
敵の体内に飲み込まれ、逃げる手段も残っていない。
大ピンチだ。
いまだ、かつて、こんなピンチに陥ったことがあっただろうか。
「…………けっこうあったな」
「この状況でどうして笑っていられるんだい? ああ、そうか、もうあきらめてしまったのか」
そんなことはない。ずっと最弱だった俺には、これ以上のピンチなんて日常茶飯事だった。
ゴブリンにも勝てない男が、魔王やギルド会長と戦ってきたんだよ。それに比べればこのくらいの差なんて、あってないようなものだ。
「こんなのは絶望のうちに入らない。お前ならわかるだろ? 元最弱同士だったんだから」
「ふん、そんな昔のことなど、忘れてしまったよ」
弱かった自分を捨てたのか?
それも含めて最強なのに。
だとしたら、まだ俺にも勝つチャンスは残っている。
「タクミワールド」
「新たな世界の構築か。無駄だよ、ここはすでに僕の領域なんだ」
自分の思い通りになる世界なら、互角以上に戦える。だけども、ここはミッシュ•マッシュの腹の中。
その内側に俺の世界を作っても、すぐに外から潰されてしまうだろう。
それでも、ほんの一瞬なら……
ぱぁーん、ぱらぁぱらぁぱらぁぱらぁぱらぁぱらぁぱぁーーん。
いきなりのファンファーレ。
草木が踊り花が歌う。二足歩行の動物たちがオーケストラを演奏する。
だが、その全てがミッシュ•マッシュの胃液で、太陽に当てられた飴細工のように、ドロドロと溶け出していた。
「こんなものっ、時間稼ぎにもならんっ」
さらにカルナを振り回して、タクミワールドを破壊するミッシュ•マッシュ。
内から外から、まさに出来たと同時に崩壊するタクミワールド。
世界を創造するのに使用する魔力は果てしない。
大部分の力を失い、それでも、それはミッシュ•マッシュの領域に割り込む最良の一手となった。
たった1文字だけ。
ぺたん、とミッシュ•マッシュの背中に貼り付けた。
どれが本体か、どれが分身かなどわからない。
おそらく、全てが本体で、全部あわせてミッシュ•マッシュなんだ。だから、1人に貼れば、それだけで全てのミッシュ•マッシュに影響する。
『タっ……くんっ』
カルナの声が聞こえなくなってきていた。
ミッシュ•マッシュの支配力が強くなっているのか。
このままでは、カルナも完全にミッシュ•マッシュの一部として同化してしまう。
「……文字だと? いまさらたった1文字で逆転できる状況でもないだろうがっ」
俺もそう思っていたよ。
だけど、それ、けっこうくるかもよ?
「さて、どうなるかな」
「このっ、猿がっ!!」
ミッシュ•マッシュの身体がうねうねと波打つように動き、ぼごんっ、とカルナを持つ腕が大きく膨れ上がった。
そこに力を凝縮したのか。
ゆっくりと俺をいたぶっていたが、ようやく本気を出すらしい。
振り上げた腕は、あまりの加速に残像すら残らない。振り下ろす瞬間など、時間を止めても間に合わない。
圧倒的絶望の一撃が身に纏った炎ごと、全てを叩き潰す……はずだった。
ばんっっっっ、と、衝撃は俺の肩口をすり抜けて、地面に激突して世界を揺らした。
ひび割れた教室の床は、それもミッシュ•マッシュの分身で、呻き声のような心地よい叫びが響き渡る。
「よ、避けたっ!? バカなっ、僕の最強の一撃をっ!!」
避けれるはずがないだろう。まったく全然見えてなかったんだから。お前が自分で外したんだよ、ミッシュ•マッシュ。
そんなことを教えてやるわけもなく、大きく姿勢を崩したミッシュ•マッシュに向けて突進する。
「参る」
それはまるでアリスのように。
ただ真っ直ぐに、一直線に、そのままに。全力の一撃を叩き込む。
「ぐはぁあああっ!!」
初めての一撃が、みぞおちに深々と突き刺さった。
ごぼっ、とミッシュ•マッシュが得体の知れない塊を口から吐き出す。
これまでに吸収した者達の成れの果てか。
人の塊が球体になり、わらわらと混ざり合う様はこれまで見てきたどんなホラー映像よりもグロテスクだ。
「分裂もしないっ!? ぼ、僕の身体に何が起こっているっ!?」
「もういい、主導権を我に寄越せ。全部、丸ごと飲み込んでやる」
「は? 私たちも飲み込むつもりかっ? 調子に乗るなよっ、建物ごときがっ!!」
元のミッシュ•マッシュと教室ミッシュ•マッシュ、カルナを持ったミッシュ•マッシュが仲間割れを起こし始めた。
統一されていたはずの人格が、バラバラになっているんだろう。
俺が貼り付けた1文字は、想像以上に効果を発揮している。
「貴様っ、僕に、我に、私たちに、な、な、な、な、な、な、何をしたァアアアアっ!!?」
「……内緒」
タクミワールドに続き、ミッシュ•マッシュの世界もあっけなく崩壊した。




