二百九十五話 誰の
あれからミッシュ•マッシュのエピソードが更新されることはなかった。
カルナが戻らないまま、一桁トーナメント1回戦の日がやってくる。
様々な戦略があり、いくつもの想定されるパターンからベストな戦い方を選ぶこともできた。
蒼穹天井では戦うことが禁止されている。
ならば、相手の世界にはいかず、こちらの世界に誘い込めば、かなり有利に戦うこともできただろう。
だけど、俺はそんな選択肢をすべて捨てて、いきなり相手の世界に1人乗り込んでいく。
「これはどこに繋がっているのでござるか? 拙者も一緒に……」
ついてこようとするロッカを視線だけで追い返した。
もう誰かを巻き込むつもりはない。一緒に修行したアリスにも前もって言ってある。
これは、俺の戦いなんだ、と。
ロッカが開いたピンクデなんとかドアの先は、廃校舎の教室だった。見たことのある景色。過去回想でミッシュ•マッシュが通っていた学校だ。
「やあ」
夜の月明かりが黒板の前に立つ男を照らしていた。
蒼穹天井で見たミッシュ•マッシュの姿ではない。
誰とも合体していないかのように、スラリとスマートな学生服姿の男が腰に黒い剣を刺して、佇んでいる。
「はじめまして、タクミさん」
蒼穹天井で会ったことはなかったことになっているのか。いや、過去が改変されたことを認識しているのか。
「試合開始まで、まだあと5分くらいある。よかったら、僕と少し話さないか?」
僕。蒼穹天井でのミッシュ•マッシュは俺という一人称だった。もはや、あの時のミッシュ•マッシュはどこにも存在していない。
「話すことなんてない。ただ奪われた俺の相棒を返してもらいに来ただけだ」
「奪われた? 違うでしょう。あなたが僕にくれたんだ」
ぎっ、と奥歯を噛み締めて、今すぐに戦いたい衝動を無理矢理抑える。
まだだ。球体王まんまるのルールを破れば、即座に失格して敗北。俺の世界は消滅してしまう。
「……カルナ」
俺の言葉にミッシュ•マッシュの腰にあるカルナは反応しない。
取り込まれていない。ミッシュ•マッシュとは繋がっていない。なのに、何故だ。あまりにも、しっくりとその腰に収まる魔剣カルナにまったく違和感を感じないのはっ。
「気安く呼ばないでくれ。彼女はもう僕のものなんだ」
があっ、と吠えた獣のような声が自分のものだと、一瞬わからなかった。
頭に血が上り過ぎて、そのままミッシュ•マッシュに殴りかかりそうになるのを、幾万の文字が拘束する。
【まだだよ】【停止】【鎖】【ストップ】【あと2分】【待って】【ダメダメダメダメダメダメ……】
「文字は別意志でも自動で動くのか。でもそんな不完全なコントロールじゃ、今の僕には勝てないよ」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走りまくった。
コイツ、1人じゃないっ!?
蒼穹天井の時よりも多く吸収しているっ!?
ただ、それを表面に出さずに内に収めているだけなんだっ!!
「ミッシュ•マッシュっ!!」
「ちがう、僕はミッシュ•マッシュ•カルナだ」
ぽーーん、と脳内に、試合開始の合図が鳴り響く。
気の抜けた効果音とは裏腹に、いきなり沸点を超えた殺意と殺意が混ざり合い、教室の空気がぐにゃりと歪む。
「爆っ!!」
【爆】の文字を貼り付けた床を踏み込んで、爆発的加速を付与させる。
真っ直ぐに一直線に、まさにアリスがごとく、ミッシュ•マッシュ目掛けて殴りかかった。
「百足百式」
足。ミッシュ•マッシュの足が瞬間的に増殖する。
残像ではない。足の能力を使う時だけ、内に閉じ込めた力を解放しているのかっ!?
拳は空を切り、超加速したミッシュ•マッシュが一瞬で背後に回り込む。
腰に手を回した? まさか、抜くのか。魔剣を。俺のカルナを、俺に使うのかっ!?
「千手完音」
今度は手が増殖する。千本、いやそれ以上か?
その手にはすべて鞘に収まったままの魔剣カルナが握られていた。
手に持ったものまで、そのまま増やすことができるのかっ!!
「不可侵領域」
千の斬撃を全て避けることはできない。
文字の力の中でも最高峰の全てを遮断する防御壁を展開する。
絶対に破ることはできない……はずだった。
「がっ!! ぐはっ!!」
自らの身に起こったことが信じられない。
全身にダメージを受けて、大量に吐血する。
床に【不】【可】【侵】【領】【域】の5文字が飛び散っていた。
文字の力ごと叩き切った?
ミッシュ•マッシュの能力かっ!?
いや、これは……っ!!
「カルナかっ!!」
煙のような黒いオーラが鞘の中から漏れ出ている。
かつてのカルナにはなかった魔剣の力が、俺の文字を圧倒していた。
「僕のカルナを気安く呼ぶんじゃない」
「誰がっ、誰のっ!!!」
あまりの怒りで再生を唱えるのも忘れてしまう。
ミッシュ•マッシュが鞘からカルナを居合い抜き、俺の身体は不可侵領域の文字のように、バラバラに斬り刻まれた。




