二百九十四話 本体
「こんなところに呼び出して、どうしたの、マッシュ君?」
夜の教室。わずかな月明かりが彫刻のように美しいマッシュ君にスポットライトを当てている。
質問しながらも、僕はなんとなくこれから起こることを察していた。
「うん、実は君に話さないといけないことがあるんだ」
「全部、嘘だったってこと?」
仮面のようにいままで同じ笑顔を浮かべていたマッシュ君の顔が初めて変わる。
見開いた目は、初めて僕のことを、ちゃんと見たような気がした。
「驚いたな、いつから気づいていたんだ?」
「君を信じた、あの日だよ」
最初から信じていなかった。
僕みたいなものに友達なんかできるわけないと思っていた。
でも、カルナに言われて君と学食でご飯を食べて、初めて友達ができたと思った、あの日に気づいてしまったんだ。
「クラスのみんなに聞こえるように話す声、まるでカメラがあるように動く大袈裟な演技、君はいじめられっ子である僕を庇うことで、クラスカーストの頂点に立とうとしてたんだ。手っ取り早く簡単に」
「頭いいじゃないか。不良品とは思えないよ」
全てに目を背けて生きてきた。欲するものなど最初から、何一つ存在しなかった。
だから、初めて手にした友達を必要以上に見てしまったんだ。知りたくもないことを知ってしまうほどに。
「ふむ、こうなると、ちょっと計画が変わってしまうな。完璧というのはなかなか難しい。でも、君にとっても悪い話じゃないんだよ。俺と一緒にいれば、もういじめられることはないんだ」
「……そんなのどうでもいいよ。もう僕にかまわないでほしい」
おっとっと、とわざとらしくマッシュ君は、自分のおでこをポンと叩いた。
「いやいやいやいや、そういうわけにはいかないんだ。俺がクラスの頂点に立つためだけに君に近づいたとでも? まあ、それも目的の1つなんだけど、オマケみたいなものなんだ」
その動作はもう癖づいているのか。
僕とマッシュ君しかいないのに、その動きは常に舞台の上に立ち、大勢に見られているかのように立ち振る舞う。
「俺も最初は君みたいな存在だったんだ。不細工で頭も悪く誰からも愛されない人間だった。だけど、欲したんだよ。人の才能を、容姿を、頭脳を、肉体を、あまりにも求めすぎて、気が付けばこんな身体になっていたんだ」
マッシュ君の身体の至る所からタコのような触手がじゅるじゅると無数に伸びている。
「いや、お前が吸収するんかよっ!!」
思わず過去回想エピソードを止めてしまう。
これまでは戦う敵の視点でエピソードが始まってたから、マッシュは取り込まれるほうだと勝手に勘違いしていた。
「え? これ、どうなるの? カルナも一緒に吸収されちゃうのっ!?」
再び、過去回想に戻り、ハラハラしながら続きを見る。
「僕を取り込む? こんな、なんの取り柄もない不良品の僕を?」
「大丈夫だよ。どんな不良品でも一つくらいはいいところがある。俺が吸収するのは君の1番いい部分。そこだけ貰えば後は廃棄する」
「僕の1番いいところ? そんなものがあるとは思えないけど……」
そんなことないで、と腰のカルナが脳内に言葉を送ってくれる。
「本当ならまだ君を吸収するつもりはなかった。俺を信じれば信じるほど簡単に取り込むことができる。それこそ、こんな触手なんか出さなくていいくらいに。俺のことを信頼したままだったら、君も苦しまずに一体化できたんだ」
「目的はクラスメイトたち、いや、学園にいる全ての生徒なんだね」
にぃ、と笑うマッシュ君の顔が歪み、その向こう側に本来の醜い顔が見えた気がした。
「全部が合体すれば優劣なんて存在しない。すべての人類は俺に統一されるんだ」
無数の触手が一斉に向かってくる中、このまま取り込まれるのも悪くないか、と考える。
マッシュ君の中で生きていけば、苦しいことから全部逃げることができるんだ。
『なにいうてるん?』
ぼっ、とカルナから大量の黒い炎が溢れ出す。
『コイツが苦しみの集合体やん』
黒い炎がうねりをあげて、まるで生きた龍のようにマッシュ君に襲いかかる。
ゴオォオオオっ、と触手ごと、その全身が燃え上がった。
身体にダメージを負ったからなのか。
核であるマッシュ君の統制が取れなくなり、これまで取り込んできた者たちの顔が身体中に浮かび上がってくる。
それはどれも苦悶に満ちた表情のまま固定されて張り付いており、各々が勝手に喋り出す。
「助けて」「殺して」「貴様っ」「ゆるさんぞ」「許して」「ママぁっ」「だしてだしてだして」「……ありがとう」
「……ミッシュマッシュか。主人公格なんて、とっくになくなっていたんだ」
ミッシュマッシュ。
たしか、寄せ集めとか、ごちゃまぜとか、そういった意味だったはずだ。
現実世界で見たアニメの女の子がドイツ語を話していた時に聞いていた。
ミッシュとマッシュが合体してミッシュ•マッシュかと思っていたが、そこから間違っていたのか。
最初からコイツ1人で、ミッシュマッシュだったんだ。
身体が崩れ落ちる前に、マッシュ君は、ごぼっ、と巨大なナメクジのようなものを口から吐き出した。
それは、うねうねと粘液をまき散らしながら、教室から逃れようとしている。
「これが本体?」
ぬるっとした物体をつまみあげると、最初はビチビチと跳ねていたが、だんだんと弱っていき、やがてグッタリと動かなくなった。このまま何もしなければ、数分後には絶命するだろう。
『あ、あれ? ア、アンタ、なにするつもりなんっ!?』
カルナにはわからない。だって僕にもわからないんだから。
僕と同じような存在だったマッシュ君に同情したのか。ただただ不良品から変わりたかったのか。カルナにカッコよくなった僕を見てほしかったのか。
…………その全部か。
僕は、それを、ごくん、と一口で飲み込んだ。




