二百九十二話 アボイダンスパラドックス
僕にはなにもなかった。
不細工な顔に低身長。
早い足も、高い知能も、絵を描く才能も、本を書く文才も、人より秀でたものは何一つなく、むしろすべてにおいて劣っていた。
不良品。
それが僕についた最初のあだ名であり、最後まで変わらないあだ名だった。
そう人間でいる間はずっとそう呼ばれていたんだ。
たった1人をのぞいては……
まるで太陽の中から生まれてきたような笑顔で、その男は僕に話しかけてきた。
比喩ではなく、本当にまぶしくて、僕は目を背けてしまう。
「どうしたんだい? ***君。元気ないじゃないか」
誰も呼ばなくなり、僕も忘れかけていた名前を呼ばれる。一瞬、自分のことだとわからずに固まった後、はたと気づいて、ようやく受け答える。
「え、えっとマッシュ君だったかな。ど、どうして僕なんかに声を?」
「ん? おかしなことをいうね。クラスメイトに話しかけるのは、普通のことじゃないの?」
それはクラスから孤立して、誰からも相手にされない僕には当てはまらない。
つい最近、転校してきたばかりのマッシュ君には、それがわからなかっただけなんだ。
整った顔に高身長。
優れた身体能力を持ち、頭脳明晰、類稀な才能を持ちながら、人とのコミュニケーションに優れ、リーダーシップを持つ。
まさに、僕とは対極に位置する、すべてを持って生まれてきた男だった。
どうせ、すぐに皆と同じように僕を無視するか、イジメるに違いない。
「あまり僕に関わらないほうがいいよ。……僕は不良品だから」
「誰かにそう言われたの? それは誰かが決めることじゃないよ」
キラキラと輝くマッシュ君の言葉は、僕の胸にはまったく刺さらなかった。
確かに君なら何にだってなれるだろう、でも僕は違う、永遠に不良品のままなんだ。
生まれてはじめて、僕を不良品と呼ばない人を失いたくなかったのか。その想いを口に出すことはできなかった。
僕がうつむいたまま力なく頷くと、マッシュ君はその眩しさで溶けてしまうくらいの笑顔で、よし、と力強く肩を叩く。
力加減を間違えたのか。
彼が去った後も肩はずっと温かいままで、僕はそこをおさえたまま、立ち続けていた。
「な、なんか、重いな」
『どうしたん? タッくん?』
「うん、次に戦う相手を調べてたんだけど、ちょっとエピソードが暗いんだよ」
文字の力は進化し続けている。
知りたい情報を過去に遡って見なくても、無限界層ランキングで戦う前には、対戦相手のエピソードの文字が自動で動画のように、脳内再生されているのを発見した。
それを読むことで、相手の弱点でもわかればと思って見ていたんだけど……
「なんかね。イジメられてたみたいなんだよ。すっごく弱かったみたい」
『タッくんも最弱やったから共感して同情してしまうな。見たら戦いにくくなるんやない?
「うん、そうなんだけど、どうやって相手を取り込んでいくか見たいんだよね」
たぶん、最初に吸収するのはマッシュという明るい青年だ。そこに至るまでの物語が今まで以上に悲惨なものになるのが容易に想像できる。
『可哀想な感じやったら文字の力で過去を変えてあげたらいいんちゃう?』
「文字の力でも大きな過去改変はできないよ。未来との辻褄が合わなくなるとパラドックスが生じてしまうんだ」
過去を変えてミッシュ•マッシュという存在事態がなくなってしまえば、トーナメントの組み合わせ事態が変わってくる。
それだけならまだしも、ランキングの変化により一桁トーナメントそのものがなくなってしまうかもしれない。
「過去に起こった出来事は変えれないけど、ちょっとだけ助けてあげることはできるはず」
『そうなん? だったらうまいこと助けてあげ…… ん? なんでタッくん、そんなキラキラした目でうちを見つめてるん?』
これから戦う相手を俺が過去で助けることはできない。
間違って仲良くなってしまったら、時空が歪むほどの矛盾が発生するだろう。
「うまいこと助けてあげてくれ、カルナ」
『えっ! うちがっ!? しかも大きく過去は変えんと、ちょっとだけ助けるん?? いやいやいやいや、それハードル高すぎへんっ!?』
大丈夫、カルナならきっとうまくやってくれる。
最弱だった頃の俺を何度も助けてくれたから。
「それじゃあ任せた」
『え? タッくんは行かへんのっ!? まってまってまって、こわいこわいこわい、1人で行くん超こわいっ!!』
うん、ごめん。もう送っちゃった。
「あれ? ***君、そんな黒い剣持ってた?」
「うん、生まれた時から、ずっと持ってるんだ」
『いやぁあああああぁああぁ、うち、装備されてるぅっ』
ミッシュ•マッシュ+カルナのエピソードが脳内再生され始めた。




