三十二話 ファーストキスの余波
奪われた。
これまで機会がなかった、いや、大切に守ってきたファーストキスを豪快に奪われた。
しかも、その相手は魔王だ。
頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられない。
夢現つな状態のまま、寝ているチハルをだっこして、大武会の会場に戻る。
「タクミ殿、遅かったな。もうレイアの試合、終わってしまったぞ」
『タッくん、大丈夫なん? お腹調子悪いん?』
「ああ、うん、そうだな」
クロエと魔剣カルナが話しかけてくれたが、生返事しか返せず、席に着く。
「なんだか、懐かしい香りがするにゃ」
後ろの席に座る獣人王ミアキスの言葉に心臓が跳ねる。
魔王から移されたブルーローズの香りがまだほのかに香っているのか。
「タクミさんっ」
そんな中、試合を終えたレイアが帰ってくる。
「見ていてくれましたかっ。私、勝ちましたっ。過去に打ち勝ちましたっ」
隠密ヨルとかなりの死闘を繰り広げたのだろう。
そう言ったレイアは、四神柱に傷は治してもらったようだが、服が所々破れ、ボロボロになっている。
「よ、よく頑張ったな。えらいぞ、レイア」
「試合中、何度も諦めかけました。今までの私だったら負けていたでしょう。だけど、後ろでタクミさんが見守ってくれていたので、私は何倍もの力が出せたのですっ」
「そ、そ、そ、そうか。それはよかった」
ごめん、まったく見守ってなかったよ。
「それでは続いて一回戦第六試合を始めますっ! リック様、エンド様、闘技場へおあがり下さいっ!」
アナウンスが流れて、リックとエンドが闘技場に上がるが、どうも集中できない。
魔王はなんで俺にキスなんかしたのか、そればかり考えてしまう。
西方の国では、挨拶代りにキスをするとんでもない風習があるらしい。魔王はそこの出身者なのだろうか。
「タクミさん、なんだか疲れているようですが大丈夫ですか? そんなになるまで真剣に私を応援してくださったのでしょうか」
「よく、わかったなぁ、そのとおりだぁ」
今までで一番気の抜けたいつものセリフを言う。
ダメだ。頭の中がキスだけに支配されている。
会場からは大歓声が上がり、リックとエンドの試合はかなり盛り上がっていた。
「ボクのエクスカリバーをそのような手段で防ぐとはっ。さすが、沈黙の盾リックというところかっ」
「……無限盾方陣」
大小様々な盾がリックの周りを浮遊していた。
かつて、パーティーを組んでいた時、その盾でいつも守ってくれたことを思い出す。
だが、その盾すら、今は魔王の唇に見えてしまう。
頭がおかしくなりそうで、慌てて目を逸らした。
「た、タクミさん。本当に大丈夫ですか?」
目を逸らした先にレイアの顔があり、思わずその唇を見てしまう。
俺はこの時、普段なら絶対に聞かないようなことを聞いてしまった。
「レイアはキスしたこと、あるのか?」
「へ?」
レイアが一瞬フリーズした後。
「キスっっっっっ!!!!!!???」
天まで届くような凄まじい大音響で叫んだ。
盛り上がっていた会場が静まり返る。
試合をしてたリックとエンドですら、戦いを中断して、こちらに注目する。
「わ、わ、わ、私はしたことはありませんっ」
真っ赤になって、視線を逸らしたレイアが小さい声で今度は俺に質問してきた。
「た、タクミさんは、も、もちろん、ありますよね?」
「い、いやさっきまでなかったんだけど……あっ」
失言に気づいた時にはもう遅かった。
どんっ! と、いう鈍い豪音と共にレイアが神降ろしを実行する。
これまで見たどの神降ろしよりも恐ろしかった。
レイアの顔がまるで鬼のような顔になり、額に真っ赤な第三の目ができている。
『神降ろし究極奥義 破壊神降臨』
男の声と混じったレイアの声は、今にも爆発しそうな怒りを含んだドスの効いた声だった。
ヌルハチ戦でも見せなかった究極奥義をなぜ今使うっ。
『さっきまで?』
三つの瞳で睨まれる。
『それはさっき、キスをしたということですか?』
ひぃぃ、という悲鳴すらあげれなかった。
これまでに感じたことのない強い殺気に、俺は隣の席に座るクロエに助けを求めようとする。
「それ、うちも聞きたいなぁ」
半分くらいドラゴン化していた。
鋭い牙と爪が伸び、いまにも完全形態になりそうだ。
慌ててカルナを持つ。もう助けてくれるのは、カルナだけ……
『いや、助けへんで、タッくん』
カルナがなんか禍々しいオーラを放っている。
『何があったか、洗いざらい言うてもらおか』
「ち、ちがう。俺は、俺はしてない。さ、されただけで……あっ」
再びの失言に思わず口を押さえる。
『さ、された!? 私の、私だけのタクミさんにっ! どこのどいつがっ! そんな穢らわしい真似をっ! ゆるさんっ! 八裂きにしてくれるっ!!』
鬼だ。過去との因縁の試合すら、平常心で挑んだレイアが完全に我を忘れている。
あと、私だけのタクミさんではない。
「手伝うで。うちらの旦那に手を出す奴は、ぶっ殺したる」
半分ドラゴン化したクロエが凶悪な笑みを浮かべている。
あと、うちらの旦那でもない。
リックとエンドの試合中なのに、会場の観客達は俺たちに釘付けだった。
戦っていた二人まで、こちらを見て聞き耳を立てている。
『タクミさんっ、誰にやられたのですかっ。早く言って下さいっ』
「はよ、言いや。はよ言わな、えらいことなるで」
『タッくん、もう観念して言うてしまい』
レイア達に問い詰められるが、言うわけにはいかない。
ここで言ってしまったら、魔王との場外ガチバトルが勃発してしまう。
口を押さえたまま、俺はプルプルと首を振る。
「吾輩、誰かわかってしまったにゃ」
その時、後ろに座るミアキスがとんでもないことを言い出す。
「あの女から魔王様と同じ匂いがするにゃ!」
ミアキスが指差す方向、すぐ後ろの席にいつのまにかリンデンさんが座っていた。
いや、あっちが本当の魔王だからね。
「ギルド会長が手も足も出ずやられたから、魔王様に色仕掛けで誘惑してくるとは、まったくとんでもない糞ビッチにゃっ!」
ミアキスに本当の事を言えばどうなるだろうか。
魔王に向かって糞ビッチと言ってしまったよ。
『貴様がタクミさんの唇を……』
レイアの殺気が鋭くなり、魔王に注がれる。
止めなくてはいけないが、あまりの迫力に声も出ないし、動けない。
「あらあら、たかがキスくらいで大袈裟なこと」
さすが魔王。レイアの殺気を軽く受け流している。
「奪われたくないのなら、貴女もしてみればいい」
ぼんっ、とレイアの顔が真っ赤になった。
「そ、そ、そ、そ、そ、そんなこと、私が、タクミさんとっ、き、き、き、き、キスなんてっ! ……あっ」
レイアの姿が元に戻っていた。
魔王の衝撃発言に降ろしていた神の憑依が解けたようだ。
何を想像したのか、レイアは真っ赤になり、そのまま固まってしまう。
「そう、何もしなければ、失ってしまう」
魔王の言葉に触発されたのか、半分ドラゴン化していたクロエが俺の方に寄ってくる。
「ほな、うちも」
そして、いきなり俺の方に顔を近づけてきた。
『ほな、うちも、ちゃうわっ!』
唇を奪われる寸前で、魔剣カルナが自動で動いて唇をガードする。
むちゅう、とクロエがその剣に口付けをした。
「うわぁっ、カル姉とキスしてもたっ!」
『クーちゃんでも、譲れへんでっ!』
「アハハハハ」
二人が争う中、それを見ている魔王は、実に楽しそうに笑っている。
「あなたは……」
ようやくフリーズから溶けたレイアがそんな魔王を睨んでいる。
「あなたは、タクミさんを好きなのですかっ」
「さあ、どうかしら」
笑みを浮かべたまま、からかうように魔王は言った。
「でも、約束は覚えている? この大武会で優勝した陣営の言う事をなんでも一つ聞く、だったわね」
覚えている。だが、魔王と公表した時点で、そのルールはうやむやにできると思っていた。
魔王はそれでも遂行するつもりなのか。
「私が優勝すれば、彼を貰うわ」
そう言った魔王から、圧倒的なオーラが溢れ出す。
「……させませんっ!! 必ずあなたを倒します」
「ふふ、楽しみにしてるわ」
そう言って魔王は立ち上がり、その場を去っていく。
レイアもクロエも、ミアキスでさえ、魔王の後姿を見つめたまま動けずにいた。
そんな中、今まで俺の膝で眠っていたチハルが目を覚ます。
「タクミ」
立ち去る魔王に皆が注目する中、チハルは寝惚けたような顔で目を擦った後、そのまま、ちゅっ、と俺の唇にキスをした。
それはまるで親子のキスのようで、魔王にされた時のような動揺もなく、俺はすんなりと受け入れてしまっていた。
「大丈夫だよ。チハルは二度とタクミを離さない」
それはいつかどこかで聞いたことのある言葉だった。




