二百八十七話 矛盾(ほこたて)
最初は、鍋の蓋だった。
村を襲ってきた盗賊から身を守る為に、たまたま近くにあったものを盾として使ったのだ。
痩せっぽちの、農家の少年アイギスには、それが唯一の抵抗手段だった。
そんなもので、何ができる?
嘲るように下卑た笑みを浮かべ、盗賊は鍋の蓋ごとアイギスの頭を割るつもりで剣を振り下ろす。
アイギスは鍋の蓋で剣を受け止めた後、振り下ろされる剣の力に逆らわず、力が流れるように鍋の蓋を斜めに傾けた。
ギャギャギャギャっと剣が蓋を滑っていき、そのまま地面に突き刺さる。
何が起こったのかわからず、唖然とした盗賊の顔にアイギスは思い切り鍋の蓋を叩きつけた。
持って生まれた天賦の才。
ただの農家の少年だったアイギスは、その日から防御の魅力に取り憑かれた。
どんなに強い力も、盾一つあれば防ぐことができる。
剣を持たず盾だけで戦う異色の傭兵として、アイギスは戦場を駆け巡った。
蓋から木へ。木から銅へ。銅から鉄へ。鉄から鋼へ。強度が増すのに比例して、アイギスの盾は大きく重くなっていく。
それでもアイギスは、まるでそれが自分の身体の一部のように軽々と盾を操る。
どれほどの軍勢に囲まれても、雨のような大量の矢が降り注いでも、アイギスにかすり傷一つつくことはなかった。
「千刀流のゼロという男がいる」
アイギスが少年から青年に変わる頃にその名を耳にした。
あまりにも強い剣撃のため、どんな名剣もたった一撃で刀身ごと跡形もなく砕く男。そして戦場の中で千の剣を作り出すという。
御伽話か誇張されたホラ話だと思っていた。
たとえ、真実でも自分なら、全てを防ぐことができる。アイギスはそう信じて疑わなかった。
「大丈夫、君なら全部、防げるよ、ねえ、ウィンチェスター」
身長2メートルを越すアイギスよりも、巨大で重厚な盾『ウィンチェスター』に話しかける。
その盾の中心には最初に使った鍋の蓋が取り込まれていた。つぎの木も銅も鉄も鋼も銀も金もダイヤモンドも。アイギスは自らの盾を拡張し続けて同じ物を使い続けた。
「ウィンチェスターっ!!」
ゼロの次元刀の一撃でウィンチェスターが粉々に砕け散る。
それでもアイギスは倒れなかった。
追撃された千の剣が身体の至る所に突き刺さり、致命傷ともいえるほどの傷を負っても、その場から一歩も後退しない。
「いつか、絶対っ、貴様の攻撃を全部防いでやるっ」
ゼロは、そんなアイギスにまるで興味がないように去っていく。
悔しくて悔しくて、アイギスは粉々に砕け散った盾の破片を拾い噛み砕いた。
致命傷だった傷口から盾が浮かび上がり、つぎつぎと塞いでいく。
ばりぼりぼりぼりばりボリボリバリボリバリ……
ウィンチェスターの破片を全て喰らい尽くしたアイギスは、拡張した盾と同じように鉱物に覆われていく。
自らの身体が盾そのものになっていく喜びを、狂気と共に噛み締めていた。
盾人間となったアイギスは、ゼロへの復讐に燃えていた。
自分が防げない攻撃があることに我慢できない。
盾の素材となるあらゆる鉱物を取り込み、アイギスの硬度は尋常ならざる領域まで到達する。
「どんな攻撃も防げる。炎も稲妻も次元ごと斬り裂く剣撃すら、もう僕には通用しない」
ずっとゼロを追いかけて、追いかけて、追いかけて、追い続けて、気がつけば無限階層ランキングの10位まで駆け上がっていた。
一桁であるゼロに挑戦するには、そこまで上がらねばならなかったのだ。
「今度こそ、今度こそ僕は、ゼロの剣撃を全て受け止めるんだ、ねぇ、ウィンチェスター」
見えない盾に話しかけるアイギスの視線は、どこにも向いていなかった。
「あ、ゼロちゃん、負けちゃったよ、ランキング50位の勘違い王に」
「へ?」
思考が追いつかない。ゼロが負けた? 僕以外に? それもたかがランキング50位に? 一桁9位のゼロが?
「ど、どういうことだ? 名無し女っ、ゼ、ゼロは死んだのか?」
「ううん、魚屋さんに転職したよー、秋刀魚専門の」
「???」
もう何がなんだかわからない。
「そ、それで、その勘違い王はランキング9位になったのかっ!? 今どこにいるんだっ!?」
「え? 見えないの? ほら、あそこに座ってるよ」
蒼穹天井の1番下にある9番目の雲にちょこんと正座で座っている男がいる。
あまり状況がわかっていないのか、キョロキョロと辺りを見渡して落ち着きがない。
「え? アレが?」
「うん、アレが」
あまりにもオーラがなく、真正面にいたのに気づかなかった。
本当にこんな男が、僕の生涯のライバルを倒したというのか?
「どうする? 挑戦する? 蒼穹天井じゃ戦うことが許されてないから、勘違い王の住む最下層がフィールドになるけど」
何処でやろうが負けるはずがない。
勘違い王の噂は聞いていた。
文字を付属させ、事象を書き換える能力。
そうか、ゼロの刀は、秋刀魚に変えられたのか。
「やるよ、僕の盾は文字さえも通さない。完膚なきまでに叩きのめしてやるよ、ねぇ、ウィンチェスター」
あらゆる攻撃を防ぐ盾で、一文字、いや一画さえ通さない。ゼロがいた席に相応しいのは僕だけだ。
勘違い王を睨むと、やっぱりよくわかってないのか、愛想笑いをしながら手を振ってきた。
【矛】
飛んできた文字を盾で弾き飛ばす。
なるほど、口に出さずとも頭の中で考えただけで、文字を放つことができるのか。
防御できなければ、僕の盾は矛盾となり消えて無くなっていた。
「……蒼穹天井での戦いは禁止されてるんじゃなかったのか?」
「勘違い王に戦ってるつもりはないよ。思考している中から有効な文字が選ばれて勝手に飛んできただけじゃない?」
やりたい放題だな、これ以上、ここにいる意味はない。先に最下層のフィールドに移動して……
ぽとん。
足元に何かが落ちている。
新たな文字? 盾で防御はしてないが、届かずに手前で落ちたのか?
【千】 【ノ】
どういう意図だ? これが盾についたら千ノ盾になり僕の力はさらに強化される。【矛】の文字を防御されて観念したのか?
「あちゃあ、やられちゃったね、それ、君の文字だよ」
「え?」
ぐにゃあ、と視界が歪んでいく。
なんだ? 何が起こった? いきなり目の前の景色が何重にもボヤけてまともに見ることができない。
「文字は付けるだけじゃなくて、外すこともできるんだよ。防御した時に油断しちゃったね。完璧に防いだつもりでも一部を斬り落とされちゃったんだよ」
「文字を外す? 僕はゼロのように千なんて文字は持ってない。そんな文字を外せるはずが……はっ!」
あった。僕の中には確かに【千】と【ノ】の文字が刻まれていた。
「ウィンチェスタァアアアアっ!!!」
ゼロに砕かれた時よりも大きく叫ぶ。
そこにはもう全てを防御する無敵の【盾】は存在しない。
僕は一つの巨大な目玉になって、ぽかんと口を開けたままの勘違い王を見つめていた。




