二百八十六話 千刀流
体は鋼で出来ている。
血潮は炎で、拳は槌。
一切の武器を持たず、千の刀を作り出す。
たった一つの刀を求めて。
ただひたすらに火花を散らす。
万物すべて斬り伏せて。
その地に独り立ち尽くしても。
いまだ、その夢叶うことなし。
「おまえ、剣の才能、全然ないぞ」
少年の師匠は、片田舎の落ちぶれた剣士だった。そこそこの腕前だったようだが、大きな戦争で利き腕を欠損し、やる気のない剣道教室を開くか、酒に溺れるか、の選択肢しかなく、彼はその両方を選ぶことにした。
「まず遅い。お前の身体は鉄でできているのか? 一振りする間に俺なら十は撃ち込めるぞ。片腕の酔っ払いの俺様が、だ」
そう言われても少年は、教わった通りに剣を振るしかできない。
「やめろやめろ、いくらやっても同じだ。おまえみたいなやつが剣士になっても早死にするだけだ。剣を捨てて鍬を握れ、畑を耕すなら人の役に立つし、長生きできる」
それでも少年は剣を降り続ける。
「無駄だよ、何回振っても変わらねえ。才能ってもんがあるんだ。お前はどこにもいけねえ。俺とおんなじ、ゼロなんだよ」
本当の名前はもう覚えていない。
ただゼロと呼ばれたあだ名だけが今も残っている。
剣を持ち上げ、振り下ろす。
たったそれだけの動作をゼロはいつまでもいつまでも繰り返した。
「鉄血病ですね。生まれた時から身体中の鉄分が細胞の至る所まで浸蝕して肉体を硬化させていきます。やがて全身が鉄化して死に至る不治の病です」
もう亡くなってしまった師匠の『お前の体は鉄で出来ているのか?』という言葉がゼロの脳裏に蘇る。剣の振りが遅いのが才能の欠如ではなく、持病だったことが少し嬉しかった。
「二十歳までの生存確率は0%です。それでもアナタは剣を振るのですか?」
ゼロは答えない。
ただ、ひたすらに剣を振り続ける。
鉄のように身体が硬いなら、柔らかくすればいい。
刀鍛冶が剣を作り出す時、鉄を炎で溶かして伸ばすのを何度も見てきた。
マッチのように、鉄化した身体を擦り合わせ火花を散らす。
それは血潮に引火して、身体中から炎が爆ぜた。
固まっていた鉄の身体が溶けて、柔らかくしなやかに、人間の可動域をも超えて身体が動く。
びゅんっ、と生まれて初めて鉄の制約から解き放たれたゼロの一撃が振り下ろされる。
目の前にあった巨岩は縦から真っ二つに別れ、そのまま、向こう側の大木までも斬り倒した。
「……確かに俺は剣の才能がない」
この時、初めて師匠の言葉を受け入れる。
手に持っていた剣は、ゼロの一撃に耐えきれず、刀身ごと跡形もなく砕け散っていた。
どのように鍛えた名剣も、ゼロにとっては飴細工のように儚く脆い。
たった一振りで丸腰と化す。
一度しか剣を振ることができない者を剣士と呼べるはずもなかった。
この日、生まれた最強の剣士は、すぐに、ただの刀鍛冶に転職した。
「お前が勘違い王か。俺はゼロ。刀鍛冶だ」
「はあ、どうも」
勘違い王との初見で誤解させてはいけない。
強制的に文字の力で望まない設定に上書きされる。
だから1番最初にやることは、斬りつけることではなく丁寧な自己紹介だ。
「特技は自分の身体から刀を作れること。手のひらほどの大きさの玉鋼を体内から吐き出して、燃やして引き延ばす。俺の身体は鉄でできているんだ」
ありのままの自分を知ってもらうことが、そのままの自分で戦える唯一の手段となる。
「1秒間に10刀弱。1分半で千の刀を作り出せる。壊れなければたった1つでいいんだが、いまだ、その一刀には至らない」
千本の刀を使っても零になる。千刀流のゼロとはよく言ったものだ。
「強い者を斬るたびに俺の鉄は鍛えられる。お前も俺の火花となって散ってくれ」
「え? 戦うの? 鍛冶屋さんなのに?」
「ああ、剣士になりたいんだ」
ばらばらと、口から大量の玉鋼を吐き出した。
落ちる前に炎で溶かし、拳で叩いて形成する。
一本たりとも見逃さず、空中で完成した千本の刀は、俺を囲むように次々と地面に突き刺さっていく。
それでも勘違い王は身構え一つとらない。
「ちょっと落ち着いて朝ご飯でも食べない? 昨日、村の魚市場で新鮮な魚を買ってきたんだ。秋の魚は脂がのって美味しいぞ」
「戯言を」
一本の刀を引き抜いて振り上げる。
ぬるっ、とした手触りの中で、刀がピチピチと元気に跳ねた。
「へ? ぬるぴち?」
信じられない光景に目を疑う。
そこにはもう一本たりとも刀は残っていない。
飛ばしたのか? 文字を。
いや、俺の攻撃範囲に入ったなら、たとえ音速を超えた文字でも斬り落とせる。
勘違い王が頭で考えた時にはすでに文字は、刀に付属されていたのか?
思考と同時に放たれる絶対不可避の無敵能力。
「……秋刀魚。秋と魚で掴んだのか」
「え? これ、サンマっていう魚なの?」
とぼけているのか、本当に無自覚なのか、文字は簡単に全てを変えていく。
「これ、やっぱり塩焼きが1番おいしいのかな?」
なんだか全てがバカバカしくなってくる。
きっと新たに作る刀も、全部秋刀魚になるのだろう。
「俺が焼いてやるよ」
今度は魚屋に転職するのも悪くない。
勢いよく跳ねる千匹の魚に囲まれながら、ふっ、と笑みが溢れ落ちた。




