閑話 蒼穹天井
無限階層に果てはない。
上も下も中も、常に新しい世界は作られ、その名の通り無限に広がっていく。
だが、現時点では今この場所こそが最上位であり、その上は悠久の時を経ても作られていない。
蒼穹天井。
そう呼ばれるこの世界には、ただ青空だけがどこまでも広がっている。
『わふん』
胴長短足の小さな犬が雲の上にちょこんと座っている。
自分がいる位置よりも数段高い。
その上には、あと一つだけ雲が浮いているが、そこには誰も座っていない。
「1位は? 今回も来ないのか?」
『わふっ』
当然だと言わんばかりに、胸を張って応える。
無限界層ランキング2位の短足犬は、そのままくるんと雲の中で身体を丸めた。
自分が無限界層ランキングの一桁に入ってから、随分と長い時間が経つが、1位の姿を見たことがない。
本当はそんなもの最初から存在せず、概念だけが残っているのではないか。そんな疑念が頭に浮かぶ。
だが、それだとあの短足犬が実質上の1位となり、それを認めることは、如何ともし難い複雑な感情が湧いてくる。
「こらこら、そこ、伽羅さんに殺気を向けるな。蒼穹天井での戦闘は御法度だぞ」
自分のすぐ上に位置する場所で、名前のない女から注意を受ける。
外には一切漏れ出ない筈だが、どのように感知したのか。
「武器は置いてきた。戦うつもりはない。それにやるなら8位のお前からだ、名前のない女」
「最近、名前をつけたんだ。これからはネレスちゃんと呼んでよ、千刀流のゼロ」
絶対呼ばない。だいたいなんだ。いつのまに俺は千刀流などと呼ばれていたのか。
俺はただの刀鍛冶だ。
どんな強者をも一撃で両断する最強の一振りを、数億の敵を屠っても刃こぼれしない最強の刀を、ただただ求め玉鋼を打つ。
戦闘中も常に打ち続け、出来上がった先から試斬していたら、変な異名がついてしまった。
まあよいか。いずれはここにいる者、全てを斬り伏せる。そうなれば異名など、ただの虚飾と変わらない。
殺気は奥の奥、深淵の底にしまい込む。
今度は誰にも気づかれることなく、上の者たちは下を向くことはなかった。
「さて、それでは本日の議会を始めましょうか。最初の議題は無限階層ランキングにおいて、想定外の順位変動が起こっている件についてです」
短足犬のすぐ下で、老紳士が司会を始める。
白髪にピンと上を向いた白髭。一見、ひ弱な老人に見えるが、全ては嘘で加工されている。
本来の姿は、おそらく蒼穹天井にも収まりきらない。
どうやれば、それほどの力をここまで凝縮できるのか。
ランキング3位のこの男こそが最も危険な敵だと、魂は常に警笛を鳴らしている。
「それは勘違い王のことか?」
老紳士の下で異質な物体が言葉を紡ぐ。
32本の腕に100本の足、10の頭に24の瞳。
強者を繋ぎ合わせた巨大な塊は、究極生命体として一つになっていた。
「ええ、そうですよ、ミッシュ•マッシュ。皆さんの忌憚なき意見をお聞かせ願いたい」
「文字の力か。どの部位にあるのか、わかりにくいな」
この巨大な塊に敗れたら優秀な部位だけを奪われる。
差し詰め、俺は刀を作り出すこの両腕といったとこか。
「現在のランキングは?」
塊の下から声が聞こえるが姿は見えない。
ランキング5位のスピード狂は、音速も光速も超え、時空を歪めるほどの速度で雲の上を走り続ける。
残像すらかき消す、その姿を目撃したものは未だ存在しない。
「無敵皇帝ドン・キリング、怪獣王ドゴン、数学者マドゥエル、軍隊蟲の王アンガストを立て続けに撃破し、ランキング50位にランクインしました。圏外からのランクアップでは過去最速です」
最速の単語にスピード狂がぴくり、と反応する。
「走りすぎだな、そろそろ止めてこようか。オレなら言葉が届くよりも早く始末することができる」
声の速度は340m/秒。音速程度では確かにスピード狂には及ばない。
だが、勘違い王の文字の力は、本当に言葉だけで発動するのか?
「いきなり5位が行くこともないんじゃない? 6位と7位は?」
「喧嘩中だ」
ネレスの問いに巨大な塊が簡潔に応えた。
雲にすら根を張り、触れるもの全てから生命力を取り込んでいく一本の大木「神樹王」
棺桶のような箱に入れられ、全身を呪布と鎖で拘束された指先一つ動かせない「呪物王」
動くことのできない2人は、同族嫌悪なのか、いつも争い、数億年変動がない一桁ランキングの中で6位と7位だけが頻繁に入れ替わる。
「ふーん、じゃあ私かゼロのどっちかが行こうか? それとも一緒に行く? デートみたいに」
「ふざけるな、名無し女、俺が1人で行く。それでいいだろう?」
上を見上げると、満足そうに老紳士が頷いた。
計画通りというところか。いいだろう、今回はあえて手のひらで踊ってやる。
「油断なきようお願いします。50位といえど、勘違い王は、まだ一度も本気で戦っていませんから」
「無意識で勝てるほど、俺は弱く見えるか?」
抑えていた殺気を全開に放つが、上位にいる者たちは眉ひとつ動かさない。
わふぅ、と短足犬が大きなあくびをしただけだった。
「化け物どもが」
まだ、コイツらを斬り伏せる刀は作れない。
まずは勘違い王を片付けてからだ。
どれだけ文字の力が強力でも全部斬ってしまえば問題ない。
武器は持ち込めなかったが材料はある。
玉鋼を打ち込んで、一刀を造り出す。
「次元刀」
できたばかりの刀で蒼穹天井を横一文字に斬り裂いた。
空間に稲妻のような亀裂が走り、人1人が通れるほどの穴が開く。
無限階層の最上位と最下層が次元の狭間で繋がった。




